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2013年10月の23件の記事

2013年10月15日 (火)

アンパンマンの遺書

やなせたかし氏が亡くなった。漫画家として現役のまま94歳だった。

アンパンマンがテレビに登場してから25年、

アニメを夢中で見ていた僕の子どもたちもとうに二十歳を過ぎた。

アンパンマンは国民的ヒーローだ。

テレビで訃報を聞いて、ある本のことを思い出した。

1995年に発刊された「アンパンマンの遺書」だ。

奥さんに先立たれて「死」を身近に感じたやなせ氏が身辺整理のつもりで書いた自伝である。

「はじめに」の中で人生について氏が思うところが書かれている。

 

『戦後も五十年を経たが、ぼくの人生はまさに戦前、戦中、戦後を通過してきた。

 いつ死んでもおかしくない激動の時代だった。ぼくはなんとか生きのびてきた。今は人生のオツリか、附録のようなものだ。しかし、附録が本誌より豪華ということもある。ぼくの附録は意外に良かった。

 高位高官というのは望まないし、似合わない。雑草の暮しがいい。

 それにしては恵まれていたと思う。日陰の細道の名もない雑草としては、ちいさな花を咲かせることが出来ただけで望外である。すべての点で人後に落ちるぼくにしては上出来と、自分で拍手している。

 大部分はアンパンマンのおかげである。このキャラクターにめぐり逢えたことが幸運だった。

アンパンマンはぼくの子供であり、ぼく自身でもある。』

(やなせたかし著 「アンパンマンの遺書」より引用)

 

「なにが君のしあわせ なにをしてよろこぶ わからないままおわる そんなのはいやだ!

わすれないで夢を こぼさないで涙 だから君はとぶんだどこまでも ~♪」

 

子どもたちに夢と勇気を与え続けたやなせ氏をアンパンマンたちと一緒に見送ろう。

 

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2013年10月13日 (日)

風刺マンガ(65)

南海日日新聞 9月8日掲載

<テープを切ったのは?>

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8日(日)の未明にオリンピック開催国が決定するので、その結果を受けて9日(月)の新聞にマンガを載せるつもりで3通りのパターンを用意していた。

ところが、たまたま9日が休刊日にあたるので結果を知ってから掲載することは不可能になった。

でも、そのときの一番の話題でもあったので何とかしてオリンピック招致レースを題材に描きたくて「テープを切るのはだれか?」みたいな絵にした。

結果、東京が開催地に決まり、その後しばらくテレビで何度も繰り返し流れた決定の瞬間を興奮を持って見た。

後から裏舞台で様々な思惑や駆け引きがあったことが徐々に明るみに出てきて、一筋縄ではいかないオリンピック招致の複雑さ難しさを知った。

2020年の7月にちょうど僕は還暦を迎えるので特別な思いで競技を観戦できるような気がしている。

そのとき会場にいるだろう自分に明るいイメージを重ねながら2020年の東京オリンピックを待ちたいと思う。

 

2013年10月10日 (木)

風刺マンガ(64)

南海日日新聞 9月2日掲載

<イプシロン打ち上げ中止>

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予定していたロケットの打ち上げが発射寸前でストップした。

周囲の熱い期待のまなざしを機体に浴びて緊張したのかと・・・(笑)

衆知の通りその後の打ち上げで見事成功した。

日本のハイテクノロジーがんばれー!

 

 

2013年10月 9日 (水)

とほほ(8)

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どんな小さなことでもやりたいことをやり通すって大変だよね。

「案ずるより産むが易し」より「言うは易し行うは難し」を実感している人多いはず。

こころって豆腐みたいにぐにゃぐにゃだからどのみち後悔しそう。

自分が納得できる方の後悔を選択したということか・・・。

 

 

2013年10月 8日 (火)

台風一過

まともなら本当にやばい台風だったけど

暴風域がぎりぎりかすめる感じで心配したほどではなかった。

一夜明け、さっそく窓や車の水洗い。

このときのために用意している高圧洗浄機をひっぱり出した。

何しろ海そばなので塩害がすごい。

台風用の支線(島独特かな?)のステンチェーンですらところどころ錆びている。

エアコンの室外機は越してから2つダメになった。

車は水洗いもためらうほどの手遅れ状態。(普段の手入れを怠っていたからだけど・・・)

とりあえず車検が切れるまでは頑張ってくれ。

家の雨戸を全部洗ってから戸袋に納めたら部屋の中がぱっと明るくなった。

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特に被害らしい被害はなかったけれど、庭のバナナが何本か倒れた。

そのうちの一本に実が成りかけていたので一応吊るしておくことにした。

食べられるようになるだろうか?

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2013年10月 7日 (月)

大型台風接近中

今年は台風が来ないねぇと安心していたら

台風24号がまともに来そうだ。

今は沖縄と与論島が暴風域圏内に入ってこっちへぐんぐん近づいている。

935hPa、風速50メートル(最大瞬間風速70メートル)の「非常に強い台風」だ。

しかも奄美大島の西側を舐めるようにして通過する。

東と西では台風の強さが全然違う。

台風は反時計回りに回転しているので進行方向と風向きが一致する西側はやばいのだ。

今度は移動速度も速いので

スタン・ハンセンが突進しながらウエスタンラリアットをぶちかますみたいな衝撃が来る。

(ちょっと古いプロレスファンなら分かると思うけど)

家の前が海なので波しぶきとともに「グォォォーン・・・」という唸り声を上げて何度も何度もぶちのめされるんだ・・・。

死ぬかも (;一_一)

そこら中の電線がぶち切れて停電になるだろうし、最悪、家屋倒壊でこれが最後のブログになるかもしれない・・・。

今まで読んでくれた人ありがとう。

そのくらいビビっている。

ちょっとした台風でさえ 「ギシギシ」とか「ベキベキ」とか「バキッ」とか不気味な音を立てて揺れまくっているのに・・・。

夜から明日の朝にかけて一番強くなるらしい。

今夜はピースと一緒に闇の中でふるえて眠れないかも・・・。

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2013年10月 5日 (土)

真珠養殖の展示台

3日前のこと

今描いている挿絵の参考にするために名瀬の歴史民俗資料館へ行った。

ついでに3階展示室に飾られている昔会社勤めだった頃の展示品も見てきた。

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資料館への展示を依頼されてデザインしたものだ。

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イラストはその頃出たばかりの「ポスカ」を使って描いた。

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真珠をただ陳列するだけじゃ面白くないので、ショーケースを海の中に見立てて飾ってみた。

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思えば、会社に勤めている間にこんな風な「創る」仕事をいっぱいさせてもらった。

大は記念式典の会場づくりから小は社内報の挿絵まで、様々なことに夢中で取り組んだ。

(もちろん本来の事務の仕事もしていた (;一_一) はず)

「創る」という心ときめくイベントにずっと関わらせてくれた会社や上司に感謝している。

本当に幸せな時間を過ごさせてもらった。

今は、僕の我儘に付き合ってくれている家族に感謝している。

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マツタケなんぞ食べてみたい

数日前のテレビニュースで今年はマツタケが豊作と報じていた。

一大産地の長野県の様子が紹介されて、去年の3倍の量が市場に出ているとか。

ただし、他のキノコ類も大量発生していて、毒キノコでの食中毒も増えているようだ。

マツタケはとても香りが良い・・・・・・らしい。

どのみち高くて手が出ない。(ーー;)

今年はウナギすら食べていないし。

旬のものをためらうことなく食べられる生活がしてみたい。

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2013年10月 4日 (金)

とほほのつぶやき(7)

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周りと違う考えや行動をとると批判の標的になるってこと。

「個」より「集団」を大事にする日本では特にそうかな?

イチローは常識破りの振り子打法を貫いて(打撃コーチに叩かれ)二軍に落とされたけど、しっかり結果を出して一軍に復活、その後は大リーグでも大活躍してる。

イチローは言う、「出過ぎた杭は打たれない」と。

さすが・・・。

つま先立ちしても低い杭としては、せめて木槌にはなるまいと・・・ (;一_一)

 

2013年10月 3日 (木)

芭蕉の句の秘密?

何気なくつけたEテレで松尾芭蕉の奥の細道の句について解説していた。

面白くてついつい見た。

元々侍だったけど江戸へ出て俳句(俳諧?)で名をはせたこと。

当時の俳句は見たものを面白おかしく表現する言葉遊びだったこと。

へー!、へー! の連続。

それが奥の細道で劇的に変わったという。

「古池や 蛙飛び込む 水の音」

この有名な句は、水に何かが落ちる音を聞いた芭蕉が頭の中でイメージした風景を詠んだものだとか。

古池も蛙も実際には見ていない。

目の前の景色でなく心象を表わすことで俳句が短歌と肩を並べた瞬間だったとか。

(確かこんな感じの説明だった・・・ちょっと記憶に自信ないけど)

「フルイケヤ カワズトビコム ミズノオト」

僕もイメージが浮かんだ。(滑稽な方で・・・)

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「どしゃ降りに なって出てゆく 雨やどり」

とか、川柳の方が好きだな、やっぱり。