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2017年9月18日 (月)

パンがない

台風18号が群島をかすめていった。

風の影響はそれほどではなかったが、海上が大時化だったために数日間フェリーが運行されなかった。

島のあるあるとして馴染みの風景になったが、スーパーや小売店の棚から食品が消えてしまった。

内地から入る野菜やパン類などが品薄になる。

特にパンがひどい。

今日名瀬の大型スーパーを何店か訪ねたがパンコーナーの棚は空っぽ、ほとんど何もなかった。

流通を数日止められるだけでこんなにも離党の脆弱さが浮き彫りになってしまうのか?

毎日の流通を前提とした社会は、もし、何か災害があって交通が遮断されたらあっという間に窒息してしまうということか。

考えてみれば、世の中のシステムのほとんどが、流通というか、流れ(フロー)を前提として成り立っている。

失業して、あるいは倒産して、お金の流れが遮断されれば、いずれ路頭に迷うことになる。

食事が途絶えれば飢えてやがて死に至る。

ガソリンは常にスタンドで補給でき、ガスで火が起こせ、電気が流れているおかげで文明的な生活が送れている。

今も未来も必要とする様々なものが常に流れ続けていることが大前提になっている。

もしも、核戦争が起きたら・・・もしも、南海トラフでの大地震が起きたら・・・もしも、世界中で食料や資源が不足したら・・・

たちまち流れがせき止められて、これまで当たり前だと思っていた状況が一変する。

明日も明後日もその先もずっと同じように続くと思って漫然と過ごさず、今日一日を大切にしないといけないな、と

仕方がないので食パンに粒あんとバターを塗りたくって食べながら思った。

2017年9月16日 (土)

ブログを書く筋肉?

まあ、いずれそのうち書くさ・・・そう思っていたが

特にブログを書かなくても日常生活になんら問題もなかったのでそのままになってしまった。

周りから「最近更新していないね?」と度々声をかけられる時期があって、そろそろ書こうかなと思うのだがすぐに気持ちが萎えてしまう。

そんなに大変な作業では全然ないはずだが、まるで長期間動かしていなかった筋肉が動かせなくなるようなもどかしい感じがしてなかなか書き出せなかった。

イラストはもうやめたのかな?それとも死んでしまったとか?と、心配してくれた知人から久しぶりに電話があった。

ホームページを見てくれたらまだ活動中だと分かると思うが、その人はブログしか見ていなかったので、倒れたまま息をしていないように感じたのかもしれない。

実は、少し前からブログを復活させている。

「あげ漫でぃ!」という別のブログでとりあえず日々のニュースを一コマ漫画に切り取って方言交じりで書いている。

ニュースなら毎日書くことがあるからと、半分リハビリのようなつもりで再スタートしたのだ。

落ちた”ブログを書く筋肉”は、徐々に感覚を取り戻してきて他の記事も書けるようになってきた。

大げさに聞こえるだろうが・・・止めてから時間が経つとなかなか再開できないものなんだなと実感している。

継続は力なり。ただ、これは何の力になっているのか分からない・・・

僕自身にとっては、記録、そしてボケ防止?ということになるのかな。

離れて暮らす親族や友人たちへは、近況報告ということでもあるだろうし。

まあいいや、理由はともかくブログを続けていこう。

全然たいしたことじゃなくても、ほら書けたし。

2016年9月 3日 (土)

明日は豊年祭

今年もその季節がめぐってきた。

五穀豊穣を願う豊年祭りと年配者を敬う敬老会をセットにした、「十五夜豊年祭・敬老会」

しかし、人口減が止まらない離島にあって、島々の入江に点在する集落は激しい過疎化の波にさらされている。

どの集落でも残っている人々は高齢者ばかりだ。

隣り集落の応援や出身者の帰省を頼りに細々と続けていた年中行事もついに途絶えてしまったというところもあるようだ。

ぼくの住む清水集落は、それなりに若い人もいて、まだまだ健在?だ。

もっとも、シマの”若い”の範囲はだいぶ広めではあるが・・・

先週の日曜日に会場と神社の清掃と土俵の整備が行われた。

手慣れた様子で働く集落の人々を見ながら、ふと、あと10年、あと20年経ったらこの景色はどう変わっているだろうか?と想像した。

Dsc_2008

一年一年貴重な記録としてしっかり映像を残しておかなければと思う。

清水の「十五夜豊年祭ならびに敬老会」は、明日いよいよ本番を迎える。

今月は土曜、日曜ごとに各集落で豊年祭が催されることになりそうだ。

となりのやぶが気になる

草も刈らず放ったらかしの土地がすぐとなりにある。

元々わが家よりも高い位置にあって草が伸び放題になっているので向こうの景色はまったく見えない。

強い西日をさえぎるというメリットもあるにはあるが、なにしろうっそうとしていて不気味だ。

Dsc_2018

数か月前にはそこの前の道路にハブが出ている。

そしてある夜そこからにょろりとヒャンも出てきた。

小さかったので、火ばさみでつまんで元のやぶの中へ戻した。

あとで調べたらヒャンにも毒があるようだが、口がとても小さいので人は咬まないらしい。

てっきり無毒だと思っていた。

Dsc_2003

ずっと以前は、東北の電子部品製造会社が別荘用として看板を立てていたが、その後何度か転売されているようで、今は誰が保有している土地なのか分からない。

せめて年一度くらいは草刈りをしてほしいのだが・・・

ときおりガサガサと何かが(たぶん鳥?)動く気配がしたり、たまに子猫の鳴き声が聞こえたり、虫の大合唱があったり

そしてヘビが出たり・・・

いろいろ棲んでいそうでとても気になる。

2016年1月 4日 (月)

町立図書館の駐車場のはずれにぽつんぽつんと置かれたポストと石碑(のようなもの、墓石?)

違和感があるようで、何だか馴染んでいるようでもあり、なんとも不思議な光景。

腑に落ちるところまで見ていようと思っていたけれど

「あ こんなことしている場合じゃないや」と、理性みたいなものがすぐにピッピーって笛を吹いてじっと佇んでいるような”時間の無駄”を許さない。

効率的な時間の使い方なんてちっとも出来ないくせに

ぼうっとしていることはいけないことだと思い込んでいる。

子どもの頃はじっと凝視したりぼうっと空想したりして止まっている時間がたびたびあったのに

五十路に踏みこんでからだんだん残り時間を気にするようになったか?

じっと佇んでいてはいけないと焦りのようなものがこみ上げてくるのに

どうしたらいいのか分からない。

僕とあのポストは一緒なんだ。

ああそういうことか。

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2015年12月31日 (木)

もうすぐ2016年

家の中も外も片付かないまま正月を迎える雰囲気じゃないけど

お構いなしに明日になれば新しい年がめぐってくる

今年良いこともたくさんあったけど偶然めぐってきたことばかり

来年は・・・

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2015年12月14日 (月)

昭和が欠けていく

銀幕の向こうに理想の女性を見た思いがした原節子さん

さようなら

妖怪をおどろおどろしい闇の中から明るい太陽の下に呼び出して身近な存在にしてくれた水木しげるさん

さようなら

よくわかんない人だったけど自分の気持ちにまっすぐ生きた野坂昭如さん

さようなら

そして沖縄の”おばあ”平良とみさん

みなさんおつかれさまでした。

少しずつ確実に昭和が欠けていく気がしてさみしいです。

昭和を懐かしいと思う歳にいつの間にかなっていました。

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2013年10月 1日 (火)

とほほのつぶやき(6)

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なんだかんだ言っても人の力が及ばない「運」みたいなものが人生を支配していることを感じることがある。

僕はどちらかというと流れに任せるタイプだと思うので、そこ、とっても大事。

己のチカラで運命を切り拓いていく馬力はないなと感じているから。

せめて「禍福は糾える縄のごとし」であってほしい。

2013年9月29日 (日)

とほほのつぶやき(5)

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それでもHACHIDORIは言った。

「僕は今僕にできることをやっているだけ」と。

やっかいなのは

それがHACHIDORIだけの個人的な問題であること。

 

2013年9月27日 (金)

とほほのつぶやき(4)

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だってどの兎が自分にとって良いのか分からないんだもん。

追いかける兎がいるだけマシか・・・(;一_一)