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2013年7月17日 (水)

英会話クラス最終回

今年はちょっとやる気を出して公民館講座を申し込んだ。

「初級☆英会話」・・・万年初級なんだけど(;一_一)

途中何度か「やる気」がガス欠になりながらも週一回なんとか通い続けた。

でもここ最近は色々な用事が重なって何度か休んだりした。

で、昨日は英会話講習の代講日だったが、やりかけの仕事もあったのでパスしようか迷ったがとりあえず行くことに。

10分ほど遅刻して教室に着くと

なぜかケーキを切って皿に盛っている???

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実は昨日の講座が最終回だったのだ。

来週まであると思ったのは僕の勘違いだった。

危なかった・・・ラッキーだった。

もし、パスしていたらケーキに・・・じゃなくてクラスの皆に会えなかったわけだ。

その日は、ずっと英語のゲームをして楽しく遊んだ。

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カーソン、そしてクラスの皆さんありがとう。

箸で食べるケーキもいい思い出になった。

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See you again someday. (*^。^*)

2013年4月17日 (水)

「顔」が面白い

にがお絵を描くために

絵の技術的なことはもちろんだが、「顔」について書かれた雑学的な本も読んでいる。

主に人相学の類だが、学術的なものもある。

「顔」は生物にとってどんな意味をもつのか?といったようなことを真面目に研究している。

人間にとって「顔」は、人体の中で一番気にしている部分だと言える。

人間が顔を認識できる能力はかなり高いレベルらしい。

だから、家族や友達や職場の同僚、近所の人、テレビで見る有名人・・・と、膨大な人の顔を認識できるとのこと。

「日本顔学会」なるものもあるようだ。

その中で特に面白いと思ったのは、「顔の進化論」というもの。

植物とは違い、外部から栄養素を取り入れる必要のある動物は、効率よく餌をとるために「顔」ができていったというもの。

最初に出来た器官が餌をとるための「口」で、それは他の生物との競争に勝つために進行方向に移動し、そこにやがて早く餌を見つけるための目や鼻や耳ができていった・・・ということらしい。

そして社会の中で他の集団と共存する人間は、コミュニケーションのためにとても複雑な「顔の表情」を身に付けた。

たとえば「眉」があるのも人間だけで、これを自在に動かすことによって他の動物では表現できない感情を表すことが可能だという。

・・・という感じでなかなか興味深い。

こういう知識が似顔絵を描くときの何の役に立つか分からないが・・・(;一_一)

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2012年10月30日 (火)

手話講習最終日

今日は5月から週1回行われた「手話講習会」の最終日だ。

講師は社会福祉協議会の責任者で手話通訳士でもある榮さん。そして聾唖者の立場から山下さんが助手を務めてくれた。

受講生は下は小学生から80歳までと幅広い。みな熱心だった。

出席率が良かった生徒には終了証書が授与された。

指文字で受賞者の名前が告げられたが、すぐには自分だと気付かない生徒も。

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その後は、テーブルを寄せてお茶とお菓子をつまみながらの交流会となった。

でも、皆まだ手話に自信がないから、なかなか聾唖者に話しかけられない。

講師が聾唖者と高速で手話するのをポカンと見ていた。

まるで外国人同士が会話しているみたい・・・。

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2011年1月16日 (日)

島案内人講座

1月15日(土)は第四回目の「島案内人育成講座」が開催された。

午前中は加計呂麻島の渡連(どれん)集落の公民館で、Iターン者でガイド業を営んでいる國宗さんから観光ガイドの心構えなどについて話を聞いた。ガイドが単に知識を伝えるだけでなく、お客様の安全に気を配りながら、喜んでもらうために細やかな配慮をしていることがわかった。

自己紹介トークが30分近くもなったのはご愛嬌。話すことが好きなようで、まさにガイド向き。

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でも、ガイド業は労多くて身入りの少ない仕事だと、実情を隠さずに教えてくれた。「夏のたくわえで冬を生き延びています。いっそ冬眠できればとときどき思います。」とも。でも表情はとても明るい。

お昼は民宿の「ここ夏ハウス」で食べた。ご飯とみそ汁にウルメの唐揚げとサラダ。海の見える食堂でずらっと並んで食べた。お櫃からご飯をよそって渡すと「なんだか修学旅行みたい」との声。地元の参加者が「普段は赤ウルメが出るのに・・・」とちょっと不満気。今日は人数が多すぎたのだろう。

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午後は、加計呂麻バスに乗って安脚場(あんきゃば)へ移動。戦跡めぐりのコースだが、高台にあるので景色が楽しめる。今日はあいにくの雨模様なので海や空の色が良くない。

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次に諸鈍(しょどん)から徳浜(とくはま)に抜けて、広い浜辺でのんびりと過ごした。ここは「男はつらいよ(最終話)」のロケ地でもある。徳浜はとても小さな集落だが、ペンションやカフェがあり、塩炊きの工場も見学できる。でも、何と言っても浜が素敵だ。広く見わたせる海は、運が良ければクジラを見ることができるとか。

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今日は、天気も悪いし、あまり運がないみたい・・・。

2010年12月18日 (土)

郷土のことを学んでいる

地元の観光浮揚事業の一環として、ガイドを養成するという企画があった。

面白そうだったので受講を申し込んだ。9月のことだ。

そして10月16日に第一回の講座が加計呂麻島(かけろまじま)の諸鈍(しょどん)という集落で行われた。国指定重要無形文化財の「諸鈍シバヤ」が催される日に合わせた粋な計らいだった。

土曜日と重なったこともあって狭い境内はたくさんの見物客であふれかえっていた。

僕は木の根元の小高く盛り上がった傾斜に陣取り、不自然な形で両足を突っ張らせながらビデオを撮った。諸鈍シバヤを最初から最後まで見たのは、これが初めてだった。

代々諸鈍に住む者だけで演じてきたが、集落の人口減少に伴い、近頃は”諸鈍小中学校に通う学童も含む”と解釈を広げて周辺に住む児童にも参加してもらっているようだ。

なにしろ800年も続く伝統芸能であり、国の無形文化財だ。演る人がいないからと言って簡単には止められない。

大変だ。

見る人たちにとってはありがたいことだけれど。

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( これはまだ始まる前の写真。肝心の演舞はビデオでしか撮ってなかった・・・)

続いて、11月27日に2回目の講座が開かれた。

役場の会議室で町の戦跡について詳しい抗議を受けた後、船で加計呂麻島の瀬相(せそう)へ渡り、海軍大島防備隊の跡地を見学した。

戦闘指揮所は敵に発見されぬよう深い壕になっていて、懐中電灯のわずかな光を頼りにまだ出るかもしれないハブに怯えながら歩いた。

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その後、再び船で呑之浦(のみのうら)に移動し、作家の故島尾敏雄が若い頃に特攻隊(第十八震洋隊)の隊長として駐屯していた壕を徒歩で巡った。

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大島海峡は複雑に入り組んでいるから、軍港や基地をつくるのに恰好の地だった。なので、明治の頃から度々利用されてきた経緯がある。

瀬戸内町には奄美大島要塞司令部も置かれていたので戦跡は多い。

それを観光資源として見ることには抵抗があるが、過去にそこで何が行われていたかを知ることは大事だと思う。

まだまだまだまだ勉強不足。