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2019年4月 2日 (火)

たゆまず、休まず

今日で仕上げますと約束していたイラストは、昨夜のうちでペン入れを終えていて、今朝から着色だけすればよかった。

多少修正があったにせよ、まあ昼過ぎくらいには書き終えるかなと余裕でかかっていたが、伯父から電話で今日入院することになったからとヘルプ要請があった。

腰痛があるので、レントゲンをとったら圧迫骨折していたらしい。

本人は杖をつきながらいつものように歩けるのだが、悪化させないために、しばらく病院に入院して養生しないといけないとのこと。

いったん家へ戻って着替えの準備をしてから午後2時過ぎに入院した。

高齢ですっかり動きが緩慢になっている伯父の送迎や着替えの合間につい何度も腕時計をチラ見してしまう。

焦りの色が顔に出ていたのだろうか、「忙しいのにすんません」と言われてしまった。

ああ、恥ずかしい。

普段から、早め早めに仕事を進めるよう心がけていれば、途中に何かあっても対処できるだろうに…

いつもギリギリになるから、心を亡くす「忙しい」状態になってしまうんだ…とまたもや反省。

なんやかんやでイラストが完成したのは、19時だった。

しかし、すぐには送信せずに、庭の草花に水遣りなどして一呼吸入れてから、イラストをあらためて確認した上で19時30分にようやく送った。

締め切りギリギリ、または、締め切りを過ぎたイラストは、完成するなりすぐに発送するか、メールで送信するハメになる。そうした仕事は総じて満足感も低い気がする。

普段から地道にコツコツやっていれば、そんなことにはならずに済むだろうに。

追い詰められた状況下で、火事場の馬鹿力を発揮するかのごとく猛スピードで仕事をして締め切りに間に合わせるよりも、急がず休まず、一見ゆっくりとした歩きでありながら、締め切りに遅れたことがない…みたいな、そんな風に淡々とした仕事ぶりに憧れるなぁ。

「忙」にならぬよう、普段から「たゆまず、休まず」・・・だな。

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この顔を見ると亡くした心もたちどころに戻ってくる。

ノア子のご飯のために明日からも頑張るぞと。

2019年1月14日 (月)

平成最後の同窓会

一昨日古仁屋の「ビートル」で同窓新年会があった。

毎年1月と夏(みなと祭りの舟漕ぎのとき)に同窓会が催されるので、今回が平成最後の同窓会ということになる。

僕もそうだが皆身体が丸くなり髪は白くなりあるいは髪そのものが寂しくなり・・・年々確実に歳をとっている。

来年の今頃はとうとう還暦の祝いを迎える。

話に興じ歌い飲み食べる見慣れた同窓生たちの顔をしみじみ見た。

まだ現役なので幾分肩書きを生きている人もいるにはいるが、子どもの頃から下の名前で呼び合うフラットな仲間たち。

つい数年前までここに座っていた同窓生の何人かはもうこの世にいない。

彼らは還暦までたどり着けなかった。

僕らはもう大丈夫かな? 還暦まであと一年元気で過ごせるかな?

ここまできたんだ、まだまだ元気でいたいねぇ。

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個人的にはあと10年、欲を言うなら20年。

それだけあればたとえ歩みが遅くとも思うところへだいぶ近づけるはず?

わき道に迷いながらだろうけど・・・

2016年9月 3日 (土)

失明怖いし

お盆(旧盆)の後くらいから約1週間ほど目の痛みが続いた。

さては、テレビの見過ぎ(オリンピック競技の放映が続いたので)か、パソコンのし過ぎ(こちらは仕事で)かと思って、なるべく長時間継続しないよう気をつけていたのだが

目の痛みは断続的におこり、そのたびに氷タオルで冷やして休ませた。

激しい痛みではないのだが、ずーんとした鈍い痛みが目の奥にあり、やたらと目やにが出るようになった。

温めたほうが良いのか、冷やしたほうが良いのか迷ったが、とりあえず冷やしたタオルをあてると気持ちが良かったので、痛みがあるたびに目を冷やしながら横になってやり過ごした。

目を休ませるためにあえて老眼鏡をかけるという方法があることをネットで知った。

目の焦点が合わないのでその間目が休んでいる状態になるらしい。

目に良いといわれる3D画像も同じ原理らしい。

それで、しばらく老眼鏡をかけたまま家の中で過ごしていたが、長時間その状態でいると少し気持ちが悪くなってくる。

なので、老眼鏡はやめた。

今度は、パソコンやテレビのブルーライトが原因ではないかと思い、サングラスをかけることにした。

これまでは、強い陽ざしをさけるためにだけ使っていたが、

目に有害な光や紫外線をカットするために家でも外でもサングラスで過ごしている。

室内では少々暗いが、目の疲れが減ったのは実感できた。

眼圧を下げる目薬はまだ十分残っていたが、痛みがあったことが心配なので先週眼科を受診した。

一番恐れていた眼圧は正常範囲で、目の疲れや痛みは、ドライアイによる眼精疲労ではないかとの診断だった。

緑内障は、失明率がもっとも高く、常々眼圧をコントロールしてくださいと言われているので、実はとても心配だった。

とりあえず安心した。

痛み止めとドライアイ予防と眼圧を下げる目薬が処方された。

実際に病気が進行していないかどうか次回詳しく検査するとのことだった。

サングラスについては、医師にそれはその方が良いですよと言われたので、もうどこでも憚らずかけっぱなしでいる。

ひげをはやしたおっさんがサングラスかけてウロウロすれば奇異な印象はあると思うが、そんなことよりも祖力を失うことが怖い。

偏光グラスは怪しすぎるので、一応目が映る柔らかめの印象?のサングラスにしている。

目の痛みが続いたとき家族に心配させまいと平気なふりしていたけど、もし、このまま暗くなって視界が閉じたらどうしようと思ったら怖かった。

人間の得る情報は、目から得るものが大部分を占めている。

やはり死ぬまで守りたい。

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ぼくは、もうだいぶ慣れた。

まわりにもちょっとずつ慣れてもらおう、っと。

明日は豊年祭

今年もその季節がめぐってきた。

五穀豊穣を願う豊年祭りと年配者を敬う敬老会をセットにした、「十五夜豊年祭・敬老会」

しかし、人口減が止まらない離島にあって、島々の入江に点在する集落は激しい過疎化の波にさらされている。

どの集落でも残っている人々は高齢者ばかりだ。

隣り集落の応援や出身者の帰省を頼りに細々と続けていた年中行事もついに途絶えてしまったというところもあるようだ。

ぼくの住む清水集落は、それなりに若い人もいて、まだまだ健在?だ。

もっとも、シマの”若い”の範囲はだいぶ広めではあるが・・・

先週の日曜日に会場と神社の清掃と土俵の整備が行われた。

手慣れた様子で働く集落の人々を見ながら、ふと、あと10年、あと20年経ったらこの景色はどう変わっているだろうか?と想像した。

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一年一年貴重な記録としてしっかり映像を残しておかなければと思う。

清水の「十五夜豊年祭ならびに敬老会」は、明日いよいよ本番を迎える。

今月は土曜、日曜ごとに各集落で豊年祭が催されることになりそうだ。

2016年7月27日 (水)

ポケモン捕まえる?

アメリカで大人気となったポケモンGOがついに日本に上陸!

テレビが一斉にニュースで報じ、さらにその後の経過を何度も報じたので、さすがにおじさんの僕でも、任天堂のポケモンGOというスマホゲームで各地に出没するモンスターをゲットして遊べるらしい・・・ということは理解できた。

そして若者を中心に大勢の人々がそのゲームに夢中になっていて、自転車や自動車を運転しながらスマホをいじって危ないとか、立入禁止区域に入り込んで迷惑しているとか・・・いろいろと弊害が生まれていることも知った。

まぁどうせ都会の話だろうと思っていたら、同窓生のグループLINEに「ポケストップが幸福の鐘になっていました」のメッセージとともに海の駅にある幸福の鐘の写真がアップされた。

こんな離島にもモンスターは出没するらしい。

次の風刺漫画は、ポケモンGOをネタにして描くことにした。(7月25日付南海日日新聞掲載)

娘も休日にモンスターをたくさん捕獲したようだ。

ビッグツーの駐車場では5匹くらいゲットしたらしい。

「父さんもすれば? いい運動になるかもよ」

なんでも卵を孵化させるためには歩かないといけないらしい。

都会では、犬の散歩を装って遊べるようにドッグレンタルも始まったとか。

モノクロ世代のおじさん達は、仮想現実を軸とするリアルな展開にぽかんとするばかり。

2016年7月23日 (土)

「戦時中の奄美の子どもたち」の本のブログ

木曜日に奄美のトラさん(花井さん)の家を訪ねた。

その前の月曜日に加計呂麻島で会って渡す予定だった資料を届けるためだ。

(当日花井さんの都合が悪くなって会えなかった)

花井さんが発行した、戦争体験者の証言を綴った「戦時中の奄美の子どもたち」を僕のブログ「あげ漫でぃ!」にアップしている。

断片的に語られる様々な証言をイラストつきで毎日更新しているので、とりあえずその日までの55回分をプリントしたものを見てもらった。

「やっぱり絵があれば分かりやすくて良いね」と、僕が勝手にやっている作業を評価してくれた。

ラフな描き方をしているのだが、ちゃんと状況は伝わっているようである。

どんどん更新しています、いつでもネットで見られますよと、伝えたが、花井さんはパソコンを持っていないようだ。

考えてみれば、この本で証言されている方々は、後期高齢者以上で花井さんよりも年配者である。

おそらくパソコンでインターネットを見るような環境ではないだろう。

ブログでの発信は、高齢者には届かない可能性が高いということか・・・

せめて、花井さんのところには定期的に紙媒体で届けようと思った。

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(しーまブログ / あげ漫でぃ! /「戦争を知っている子どもたち」)

2016年7月20日 (水)

かけろまの体験交流館

久しぶりに加計呂麻島・諸鈍に行ってきた。

昨年諸鈍シバヤを観たとき以来だから約9ヶ月ぶりだ。

古仁屋港から生間(いけんま)港までフェリーで20分、そこからひと山越えたら諸鈍に着く。

集落のすぐ入口にはシバヤの会場となる大屯(おおちょん)神社があって

そこを過ぎてしばらく歩くと左手に諸鈍小学校、右手に体験交流館が見える。

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じゃん!

と言いたくなるような立派な建物だ。

実はここにデザインTシャツを置かせてもらっている。

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諸鈍シバヤの演目のキャラクターを並べたTシャツ(ダットドンが下に隠れている)

たくさん売れるかもしれないと思って去年大量に作っておいた。

それから9ヶ月補充なしだから推して知るべしの売れ行きなのだ。

そんな中でこのTシャツを着ている女性に会った。

嬉しくてお礼を言ったら、何でも2枚買って1枚は人にあげたとのこと。

そんなやり取りをそばで聞いて気を使ったのか、同行していた福島さんがその場で1枚購入してくれた。

このTシャツに限り、委託料の他に売上の一部がシバヤの保存会に寄付されることになっている。

売上げが売上げだから、まだ雀の涙だけど。

ところで、テラスからは島唄でも知られる諸鈍長浜のきれいな海が一望できる。

8月からはこの景色を眺めながら食事もできるらしい。(ただいま準備中とのこと)

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今年は10月9日が諸鈍シバヤの開催日にあたるようだが、おそらく大勢の見物客でごった返すだろうから、それまでに機会を見つけて一度訪れることをお勧めする。

ひっそりとした大屯神社ときれいな海辺とまだ新しい交流館をぜひ。

(トイレは、境内、海浜公園、交流館いずれもある)

瀬相港に行くもよし、生間港に行くもよし。

フェリーかけろまの往復だけでも大島海峡を遊覧できる。

加計呂麻島の空気を吸いにウエルカム。

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2016年4月25日 (月)

貴重な写真資料を見せてもらった

先週の日曜日に蘇祢さんに誘われて宇検の村長さんの家を訪問した。

村長さんは絵画が趣味で二元会の会員でもある。

落書きのような僕らの絵とは次元が違うのだが、同じ?「絵」の話仲間としてたまに招待してくれる。

自宅の敷地内に施設ギャラリーがあって、そこで色々”ゆんきゃぶる”。

いつも絵やイラスト、ケンムンの説話などを楽しそうに語ってくれ、しかも奥さん手作りの美味しいお菓子とコーヒーがついているので時間を忘れてつい長居をしてしまう。

そこで貴重な奄美の古い写真をたくさん見せてもらった。

その中で特にすごいと思ったのが、「奄美の島々」という古い写真集だった。

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これまで見慣れた”奄美の懐かしい写真集”よりもう少し遡った戦後間もない頃の島の風景や人々の暮らしぶりが掲載されていると感じた。

初版発行は昭和31年だから僕はまだ生まれていないのだが、写真からニオイが蘇ってくるような錯覚に陥る。

生活の変化はゆっくりだったろうから、写真に写っている景色の名残が記憶の端にかかっているのかもしれない。

一緒に行った2人も古い文献や写真から作品のヒントをいっぱいもらったようで興奮していた。

しかし、こうした貴重な資料が例えば行政機関にあったとしても定められた保存期間が過ぎれば棄却される運命にあるようだ。

定期的に人事異動が行われる役所では、そういうことに全く関心のない人も配置されるわけで、その場合容赦なく処分されてしまうだろう。

建設課などは業務上たくさんの写真を撮っていただろうし、それぞれの地域の貴重な資料となるべきものもあったと思うが、おそらくどの市町村でも粛々と廃棄処分されたはずだ。

奄美大島のどこかに群島すべての文化遺産となる資料を一括して保管しておく大きな施設があれば良いのにと思うのだ。

そうなれば民間の貴重な写真も集まってくるだろうし、そこでデジタル化していけば永く保存できて後世への文化遺産になりうるのに・・・。

100年後の奄美にはどれだけの資料が残っているだろうか?

2016年2月21日 (日)

瀬戸内町まちづくりフェスティバル

今日は一日家で仕事をするつもりでいたが、ペン画の伊藤さんから「今緑地公園でフェスティバルしてるよ」と電話をもらい、ちょっとだけお出かけした。

公園いっぱいにテントが並んでいて賑やかな様子。

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古仁屋中学校吹奏楽部の演奏を楽しみながら

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椎茸のバター焼きとアボカドの天ぷらやスムージーを試食した。

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昼もここで食べることにして列に並んでマグロカレーを買った。

今内地では200円カレーが有名だが、ここで売られていたカレーも300円と安い。

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でも、量が少ない (;一_一)

マグロもつ煮込みも美味しかったけどね。

2016年2月20日 (土)

カフェ・キョールの奄美カレー

1月の話だが、名瀬の「カフェ・キョール」で昼ごはんを食べた。

4~5年前に神奈川県茅ケ崎にお店があった頃に2度ほど訪ねた店だった。

神奈川から引っ越しして去年4月に奄美でオープンした。

奄美産ウコンを使った「奄美カレー」が売りだ。

この日食べたのは一口カツカレー 750円

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店内の手作り感が良い感じだし、コーヒーも美味しいのでお薦め。

(10:00~18:00 / 定休日 火、水)

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イオン(旧ダイエー)脇の海岸側の道を少し行ったところにカレーのノボリが立っている。

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