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2019年1月の31件の記事

2019年1月31日 (木)

辺ぴで静かで小さな美術館

数日前に寒中見舞いという形で画家の堀晃(ほりひかる)さんの訃報を知らせるハガキが届いた。

亡くなられたのは今年の1月1日とのこと。

堀晃さんは山口県出身の画家であるが、新しい創作拠点を求めて奄美大島の瀬戸内町・嘉徳集落へしばらく移住していた。

2005年〜2015年にかけて約10年間、廃校となった小学校をアトリエとして活動されていた。

その間は山口と奄美で半年ずつ過ごされていたよう。

初めて氏の作品に触れたのは2009年12月に田中一村記念美術館で催された個展だった。

その時点では堀さんが身近な瀬戸内町に住まわれていることをまったく知らずにいた。

2013年に子どもマンガ教室を主催している福島さんの紹介で初めて嘉徳のアトリエを訪れて、堀晃さんと奥様にお会いした。

コーヒーをいただきながら、その席で「カトク芸術豊年祭」の企画について聞かされ、地元からも参加して欲しいんだけどねぇ、どう参加しない?と水をむけられた。

あとで冷静になって考えると、”地元のアーティスト”というニュアンスであったはずで、瀬戸内町には油彩や写真などの芸術活動をされている方は何人もいたはずである。

堀さんがどれだけ実績のある著名な画家であるか、また、イベントに参加される他の方々がそれぞれにどれだけ活躍されているか、知っていれば即座に断っていただろう。

そのことを認識している賢明な方々が遠慮して穴が埋まらずにいたところにおっちょこちょいの僕がはまりこんだというのがおそらく真相だろう。

思い返しても恥ずかしい限りだが、アーティストとはほど遠い僕と作品を気持ちよく受け入れてくれた堀さんご夫婦と参加された芸術家たちには感謝している。

訃報に接してからしばらくして、嘉徳の美術館は今どうなっているだろうかと気になった。

それで、久しぶりに行ってみることにした。

旧国道から嘉徳集落に向かう分岐点にはまだ「カトク美術館」の小さな看板が立っていた。

集落に向かう急傾斜の道を下りながら、数カ所に鉄のフェンスが並び工事車が出入りしているのに驚いた。

自衛隊のミサイル基地関連の建設はかなり広範囲で行われているようだ。

堀さんがこの光景を見たらどう思っただろうか?

集落の奥まった場所にある学校跡地は変わらずきれいに手入れされていた。

今は、「辺ぴで静かで小さな美術館」の敷地になっている。

イベントが行われた校庭をしばらく眺めながら色々思い出した。

美術館の中に入るとこじんまりとして静謐な空気が漂っている。

中央に以前はなかった机と椅子が置かれていた。

肉体を離れた魂が自由になるのであれば、今は山口と奄美を易々と往来しているかもしれない。

椅子に腰掛けてタバコをくゆらせているのかも。

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2019年1月30日 (水)

そこはもう瀬戸内町

”越境の長いトンネルを抜けると港町であった”

「雪国」風に言うならこんな感じで奄美市から瀬戸内町へ入っていく。

奄美最長の網野子トンネル(4243m)は、奄美市住用町と瀬戸内町網野子集落を跨って伸びている。

トンネルを出ると山間からぽっと海辺へ出ていくような印象である。

瀬戸内町に住む者にとっては見慣れた光景だが、ここまでたどり着くと、よし帰ってきたと安堵するのではなかろうか。

奄美大島の南側のスカートを広げたような一帯が瀬戸内町。

東端のヤドリ浜から西端の西古見まで正確に何キロか分からないが、リアス式海岸に沿って走る曲がりくねった道は想像以上に距離がある。

道沿いに見える海は大島海峡。

その向こう側に蓋をするように東西に伸びている島が加計呂麻島。

さらにその向こう側には請島、与路島がある。

これらの島々をつなぐフェリーや海上タクシーが住民の往来と生活を支えている。

この海囲いのだだっ広いエリアが瀬戸内町。

奄美大島で1番、県では2番目の長〜いトンネルを抜けて瀬戸内町へ・・・たまにはどうぞ。

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2019年1月29日 (火)

「城大師」とは何者ぞ?

「城大師堂 500m先」

住用町城(ぐすく)の国道脇に立つこの看板がずっと気になっていた。

正体は謎だが、城大師なるものがこの奥で祀られていることは想像がつく。

そのうち確かめてみようと思いながら、なかなか”そのうち”が掴めずにいた。

山に伸びる見通しの悪い道に何となく不安感があったのだ。

昨日の午後そこを通ったとき、ようやく決心して看板の道へハンドルを切った。

狭くガードレールもない道ではあったが、ちゃんと舗装されていて人の気配も感じられた。

途中で道が二又に別れていて、社があるなら山上だろうと左の山側を選択した。

はたしてやがてそこに赤い鳥居が見えた。

鳥居の上には「弘法大師堂」と書かれている。

弘法大師って、あの弘法大師?「弘法にも筆の誤り」のあの・・・?

意外な感じがしたが、脇の看板にちゃんと「弘法大師」との説明書きがされている。

それによると、弘法大師とされる坐像が戦前から伝わっており、それを平成22年に集落で祠に祀ったという次第。

どうして弘法大師の坐像が伝承されてきたのか、その所以は明かにされていなかった。

鳥居をくぐって細い階段を上っていくとさらにまた赤い鳥居が立っていて、そのすぐ先にこじんまりとした赤いトタン張りの祠があった。

祀られている坐像を拝見したかったのだが、扉が閉められていて角材の閂がかかっていた。

扉には2つの覗き窓が設けられているが、劣化なのかいずれも曇っていてはっきりと中を見ることはできない。

閂は簡単に持ち上げられそうであったが、さすがにそこまでする気持ちにはなれなかった。

扉を閉じて祀られているものを興味本位で暴くような真似はしたくない。

なので、「城大師」の坐像がどんなものであるかを知ることはできなかった。

ただ、ずっと気にかかっていた謎をひとつ解けて満足した。

これでわだかまりなく城の道を通過できるはず。

そういえば、「奄美大島の口承説話(田畑千秋著)」にも弘法大師の話がいくつも出てくるが、どうして奄美にそんな話が伝わっているのだろう?

新たな謎だ。

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2019年1月28日 (月)

井戸の底を掻きつつ

溜まっていた新聞記事の切り抜きがようやく終わった。

挿絵の資料として始めた作業だったが、一所懸命になりすぎて少々くたびれてしまった。

記事の切り抜きをしながら具に読んでいたので思ったよりも時間がかかってしまった。

具体的には何もアクションを起こしていないが、なんとなく進展したような気分になっている。

少しは知識が増えたと思うが、日本史の試験の前に分厚い歴史小説を読んだみたいな、努力した割には実際に役立つ感じがしない不安感もありながら。

奄美の歴史や文化について様々に書かれている書籍や新聞のコラムなどを読むにつけ、ああ〜こんな深い知識が自分にもあれば!と、羨ましく感じている。

遅まきながらも、もっとしっかり勉強して必要とする知識を蓄えていかなくてはという焦りが当然あるが、この凡庸な頭をそれなりに満たす頃にはどれだけの時間を要するか想像もできない。

だから知識の自転車操業、インプット即アウトプット。

地下水をなみなみ湛えた井戸なら澄んだ水を易々と汲み上げられるだろうが、底石の見える今にも枯れそうな井戸では砂も混じろうというもの。

書籍やネット等の媒体を通して専門家たちの知識にすがりながら、

少し水を溜めては、確信の持てない不純物を含みながらせっせと汲み上げている有様だ。

「アサジエに つるべ取られて もらい水」

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2019年1月27日 (日)

スロット値引きの誘惑

奄美大島に1箇所だけ(もしかしたら他に知らないだけかもしれないが)、セルフ給油のスタンドがある。

Tシャツの納品などでそこをよく通るのでときどき利用していたが、セルフになってからは給油する機会が断然増えた。

一番の理由はガソリン代が必ず値引きされること。

”必ず”という言い方は、給油後にスロットゲームがあり、1等から5等まで段階的に値引きしてくれるからだ。

最低の5等でもリッター2円の値引きをしてくれる。

給油サービスの人件費を抑えてその分を少し還元しているのだろう。

雇用の観点からするといくらか問題を孕んでいるようにも思うが、ガソリン代を少しでも節約したい利用者からすると”背に腹”ということになる。

加えて、給油後のスロットの出目次第で値引額が決まるというギャンブル性?も利用率を高めている理由だろう。

「いっくよー!」の声とともに回転するスロットを止めるとき、なにか運だめしのような気分になる。

一応ハズレはないので、おみくじで言えば「大吉」〜「末吉」程度の喜怒哀楽の振れ幅になる。

直近のスロットくじは、久々の「大吉」だった。

そうなると気分よく他の買い物で無駄遣いをしてしまうので値引分はたちまち消えるのだが。

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2019年1月26日 (土)

あの名作を100円で!

水曜日は仕事の打ち合わせで、昨日は商品の納品でと、続けて名瀬方面へ出かけた。

龍郷のビッグツーにその都度寄った。

店の出口を通るときに一瞬目に入った映画のパッケージと100円の文字に足が止まり、後ずさりするように戻って確かめた。

出口のすぐ左脇の棚に名作のタイトルがずらりと並んでいる。

しかも、1枚100円!消費税入れても108円!

過去に著作権が切れた名作シリーズが500円で市場に出た時にうれしくて買い漁ったが、それよりもはるかに安い価格で出てきたのだ。

ビデオテープやDVDを1タイトル数千円で買っていた頃と比べたら隔世の感というか・・・いい時代になったなぁ。

さすがにパッケージは紙製の安っぽいものだが中身は同じはず。

とりあえず3枚だけ購入した。

あまりに安いのでちゃんと映るかどうか確かめてから・・・

「シェーン」を観てみた。

画面は見慣れたワイドサイズではなく、昔のテレビ画面のような比率だったが、これは当時の映画の基準がそうだったのだろう。

画質は特に悪くなく十分満足できた。

そして、金曜日に再びビッグツーへ行くと棚にディズニーのアニメ作品が追加されていた。

ディズニー作品は、子どもたちがまだ小さい頃にビデオや絵本をよく買っていた。

懐かしてまた数枚購入した。

資料としてもいろいろ役立つので手軽に揃えられるのは嬉しい。

個人的にはこうした低価格化はとてもありがたいことだが、映画製作〜DVDの販売・レンタル会社等の関係者は大変かな。

そう気にかけつつも、昔の怪獣映画とか時代劇も出してくれないかな・・・と。

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子どものときに初めて観た映画が白黒の時代劇「怪傑黒頭巾」だった。

あれから半世紀以上経った今もう一度観てみたいと思っているのだが・・・

2019年1月25日 (金)

灯はぼんやり灯りゃあいい

我が家は普段とにかく暗い。

住人はともかくとして照明はほぼ電球色で暗めなのだ。

家中のすべての電灯をつけてようやく一般的な家庭の明かりに近づけるかどうか?

夜にお客さんが訪ねてくる以外はそうした明かりをつけることはないので、普段の夜はぼんやりした明かりの中でぼんやりと過ごしている。

そうした生活にもうすっかり慣れているので居心地はとっても良いと感じている。

ある日、仕事机の上にある電灯の傘が割れてガラスの破片が机の上に散乱した。

しばらく裸電球のまま使い続けていたが、眩しく感じたので傘をつけることにし、ネットで調べて自作してみた。

百均で麻紐とゴム風船を買ってきて、膨らませた風船に麻紐をぐるぐる巻きにして木工ボンドで固めて、乾燥後に風船を割った。

とっても簡単な方法で鳥の巣のような照明カバーができた。

これでこっちも柔らかな灯りになった。

煌々とした明かりで家の隅々まで照らされていると全方向に意識が向いてちょっと疲れてしまう。

ぼんやりした明かりならゆったりした気持ちで過ごせる。

舟唄ではないが、その方が家で飲むお酒も旨いような気がする。

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仕事も集中しやすい、ということを付け加えておこう。

2019年1月24日 (木)

ナンとも美味しいインドカレー

ビッグツーのTシャツ売り場が近々模様替えするとの情報があったので、状況を確認するために立ち寄った。

売り場の様子はまだ以前と変わりなく、模様替えが実施されるのは来週以降になるとのことだった。

ちょうどお昼だったので敷地に隣接しているジョイフルでランチを食べようと思ったが、まさかの休みだった。

ファミレスは年中無休だとばかり思っていたのだが、昨今はどこも人手不足が言われているのでおそらくそういった事情などがあるのだろう、毎週水曜日を定休日にしますとの張り紙がかかっていた。

もう他に龍郷に用事はなかったので名瀬街に戻ることにして、新しくできたばかりのカレーライス店に行ってみることにした。

店の看板には「本場インド・ネパール料理」と謳われている。

ドアを開けると、正に”本場”の味を期待させるような雰囲気でインド人が働いていた。

屋号の「ドゥルガダイニング」のドゥルガは、ヒンドゥー教の女神「ドゥルガー」のことかなと後でネットで調べて思ったのだが、ちゃんと確かめてはいない。

給仕をする男性は日本語が堪能で普通に注文できた。

先日食べに行った息子から羊のカレーが美味しかったと聞いていたので、「マトンカレー」を注文した。

香辛料に弱いタイプなので辛さはお子様レベル?の「甘い」で。

出てきたカレーはなんと、ナンがでかい。

固すぎず柔らかすぎず少しもちっとして単独でも美味しいナンだった。

これまでのカレーで食べたナンはなんだったんだろうかと。

肝心のカレーは、ちゃんと期待を裏切らない、本場のカレーを食べたことはないが、本場のカレーってこんなに美味しいの?と思うような美味しさだった。

おそらく日本人向けに食べやすくアレンジされているのだろうけど、ミックスされた良いとこ取りになっていると感じた。

ランチにしてはちょっと高めの千円ちょい超えだったが、何しろ美味しかったし、ソフトドリンクつきなので良しとしよう。

食べ終わる頃に「ナンのおかわりどうですか?」と尋ねられた。

このでかいナンをおかわりする人がいるのか?そこまでお得で良いのか?と驚いた。

次は辛さを一段階上げてみてナンの2枚食べに挑戦してみようかな。

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2019年1月23日 (水)

居酒屋にシマの風景を

去年12月19日、神奈川伊勢原市に”奄美”の居酒屋がオープンした。

お店の名は「奄美居酒屋 ルリカケス」

オーナーは奄美二世、お店を運営するのは以前自分でも居酒屋を経営していた加計呂麻島出身の女性だ。

彼女のシマに寄せる想いは強く、普段から島口で話し、奄美の調味料を使う。

島の料理と黒糖焼酎を振る舞いながら奄美の魅力を伝えてきて、実際に何人もの常連さんが奄美を訪れたという。

僕も過去にそのお店で鶏飯や豚骨煮物やアオサの天ぷらなど食べた。

「ルリカケス」では台所の制約で本格的な島料理はまだ作れていないようだが、これから工夫してメニューを増やしていくとのことだった。

その彼女から店内を飾る奄美のポスターが欲しいとのリクエストがあった。

どうすればいいか分からなかったが、とりあえず正面から当たってみようと役場を訪れて新しくオープンした居酒屋に飾るポスターを少しもらえないかと交渉してみた。

これが確かな話であることを理解してもらうために、以前彼女が経営していた「うも〜れ奄美」の名を出し、過去にもポスターをもらったことがあると伝えると、スッと話が通じた。

対応してくれた職員はありったけのポスターを提供してくれた。

入手したポスターはその日のうちに宅急便で送った。

しばらくして、壁一面が奄美色に染まった店内の様子をSNSで送ってくれた。

「奄美」を看板にしているお店にとって、自然の美しさや伝統芸能を魅力的に伝えてくれるポスターは頼もしい助っ人になる。

これは他の居酒屋での話だが、トイレの壁に貼られた奄美のポスターを見て、何のゆかりもない親子が奄美行きを決心したほどだ。

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うも〜れ!奄美

2019年1月22日 (火)

温まるもの

これまで数々の暖房器具を購入してきたが、いずれも一定の年数を経て使えなくなってしまう。

遠赤外線のフォトンは動作しなくなり、石油ストーブは不完全燃焼の匂い?がきつくなる。

エアコンは塩害で室外機がすぐダメになる。

オイルヒーターのデロンギは壊れていないが、効率が悪く電気代がかかり過ぎる。

そんな中で唯一30年ほど使い続けている暖房器具がある。

それは、子どもが赤ん坊の頃から使い始めた「湯たんぽ」だ。

容器を覆うカバーもそのままだ。

もう記憶は定かでないが、ウサギの絵は干支にちなんで選んだのであろう。

日頃は妻の、娘が帰省したときは娘の足元を温めている。

アナログなこの暖房器具はとても丈夫で役に立っている。

湯たんぽは、奄美の短い冬の間に用をなした後ビニールに包んで大事に保管している。

体調が悪いことの多い妻がベッドに横たわっているとき、寒い日はそっと足元にこの湯たんぽを差し入れる。

そんなときは、ありがとうと、しみじみとした調子で感謝してくれる。

夫婦でいて良かったと何故か思う。

湯たんぽが温めてくれるのは足元だけではないようだ。

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