井戸の底を掻きつつ
溜まっていた新聞記事の切り抜きがようやく終わった。
挿絵の資料として始めた作業だったが、一所懸命になりすぎて少々くたびれてしまった。
記事の切り抜きをしながら具に読んでいたので思ったよりも時間がかかってしまった。
具体的には何もアクションを起こしていないが、なんとなく進展したような気分になっている。
少しは知識が増えたと思うが、日本史の試験の前に分厚い歴史小説を読んだみたいな、努力した割には実際に役立つ感じがしない不安感もありながら。
奄美の歴史や文化について様々に書かれている書籍や新聞のコラムなどを読むにつけ、ああ〜こんな深い知識が自分にもあれば!と、羨ましく感じている。
遅まきながらも、もっとしっかり勉強して必要とする知識を蓄えていかなくてはという焦りが当然あるが、この凡庸な頭をそれなりに満たす頃にはどれだけの時間を要するか想像もできない。
だから知識の自転車操業、インプット即アウトプット。
地下水をなみなみ湛えた井戸なら澄んだ水を易々と汲み上げられるだろうが、底石の見える今にも枯れそうな井戸では砂も混じろうというもの。
書籍やネット等の媒体を通して専門家たちの知識にすがりながら、
少し水を溜めては、確信の持てない不純物を含みながらせっせと汲み上げている有様だ。
「アサジエに つるべ取られて もらい水」
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