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2013年4月 5日 (金)

工房に絵本を

工房の壁に本棚をつくった。

コンパネだけを使用したチープな本棚だ。

前に椅子の足を切ったときの端材をとって置いたのでそれで補強した。

そしてここに

絵本を並べた。

子どもたちがまだ小さい頃、目を輝かして読む姿が嬉しくて夢中で集めた絵本。

捨ててしまったものも少しあるけれど、ほとんどのものは段ボール箱に入れて保管していた。

それを本棚に移した。

「絵」を描く仕事だから、絵本は参考になるし・・・とか、自分なりの理由をつけて。

でも、それはこじつけ。

早く絵本を箱から出してあげたかった。

2階にはもうそのスペースがなかったので諦めていたのだが

工房に置けばいいんだと気づいて実行に移した。

熱いコーヒーを飲みながら絵本を広げているとそれだけで満たされた気分になる。

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そしてまた良いことを思いついた。

他にも仕舞いこまれていたものがあった。

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2013年4月 2日 (火)

雨のふる日は

今日は朝から雨。

表から見える加計呂麻島は薄くけぶって、裏の川は茶色に濁っている。

おそらくリュウキュウマツの立枯れのせいで山の地盤が脆くなり、激しい雨が降ると土砂崩れが心配になる。

今日の雨はシトシトと降る雨。 このまま梅雨に入ったりして・・・と思うような雨。

窓から外の雨を見ていると思いだすことがある。

子どもの頃に段ボール箱で家をつくって遊んだこと。そして、雨が降ったりすると、”外は雨に濡れているのに自分は箱に守られている”という感覚が嬉しかった。

そのときにお菓子とかあればなお幸せだった。

同じような理由でトタンを打つ雨の音も好きだ。

冷たい雨に晒されずに済んでいる身を誰かに感謝したい気持ちになる。

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2013年2月20日 (水)

着信拒否のワケ

今日取材があって10時頃に記者と会う約束をしていた。

電話がかかってこないので何かあったのかな?と思っていたが、

突然玄関のチャイムが鳴った。

何度も電話したがつながらなかったとのことだった。

しかし、ケータイを見ても何も表示されていない。さらに電話の着信記録で調べてみると、ずらりと着信の知らせが・・・(゜-゜)???

何故だかわからないが、たいへん失礼な事をしてしまったようだ。

ケータイの着信が壊れたのかと思い、家の固定電話から自分のケータイにかけてみるとちゃんと呼び出している。

試しにもう一度記者のケータイからかけてもらうと、まったく反応しない・・・なんでだろう?

記者が帰った後にケータイを調べていてやっと原因が分かった。

番号を登録する際のちょっとしたミスだった。

操作の最後に「完了」のアイコンにタッチするのだが、そのすぐ上に「留守番電話に自動転送する」という項目があるのだ。

指の太い僕は、「完了」にタッチしたつもりで、そこのチェックボックスにも触れてしまったようだ。

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以前娘から、「お父さんのケータイは変だよ。かけてもすぐに切れてつながらない」と文句を言われたことがあるが、そういうことだったんだ。(留守電のオプションをつけていないので)

あのときは編集をいじって偶然解除できたのだが、今回しっかりと原因が分かった。

必ずタッチする「完了」のすぐそばにそんなトラップがあったなんて・・・。

しかし、わずかに触れるだけで身に覚えのない事をしでかしてしまう「スマホ」って恐いな。

2013年2月10日 (日)

「存在する」咲き方

集落に設置されたゴミ箱の中に見たことのない花が咲いていた。

後日その花のことが新聞の「みちくさ」という欄で紹介されていて、「錦蝶(きんちょう)」というのだと分かった。

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場所が場所なので、きれいというよりはちょっと不気味な感じがした。

いずれもぎ取られるかゴミ袋に押しつぶされる運命だけど、多くの人がこれを見て、印象に残っただろう。

花は人に見られるために咲いているわけではないが、人目を引き「存在した」花と、山奥で人知れず(人間社会では存在していない)ひっそりと命を全うする花がある。

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どちらも置かれた場所で命の限り咲いているのに変わりはないが、これを人間の一生に置きかえるとちょっと難しくなる。

病気や境遇を考慮しないで、普通に生活している人で考えたときに、「一期は夢よ、ただ狂え」的に生きるか、「こつこつ生きて働いて」的に生きるか、「生き方」みたいなものがあるような気がする。

自分の立場で考えたときに、人間の器に応じてそれなりの小市民的な生き方をするのだろうが、それでも「人知れず」一生を全うするのは寂しい気がしている。

何でもいいから「存在した」証が欲しい。

だから描いて描いて描きまくりたいのだ。人を喜ばせたり、面白がらせたりしたいのだ。

たとえいつも犬と散歩している浜辺の足跡のようにすぐに消えるものだとしても、自分が歩いている間はときどき振り返って自己満足?したいのだ。

そうすれば(それなりに)良い人生だったと言える気がする。

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2013年2月 7日 (木)

柔道乙女の一撃

女子柔道の代表監督をしていた園田さんが選手たちに日常的に暴行を加えていたとして監督を辞任したニュースが報じられたときに、最初に思ったのが、「女子15人の告発だけで柔道連盟がよく対応したな」ということ。

こういくケースでは不祥事が外に出ないように内部で揉み消しにかかるのが普通?だからだ。

でも、背景が詳しく報じられるようになって、やはり最初は内輪だけで事なきに済まそうと画策していたことが分かった。

昨年10月に告発された時点で選手たちとの信頼関係は崩れていたはずなのに、引き続き監督の座に居座り、今年事が公になってから急に「選手たちとの信頼関係が・・・」うんぬんを理由に監督を引退するのは、これ以上問題を大きくしては自分たちに飛び火すると感じた上層部からの圧力があったに違いない。と、ほとんどの人が怪しんだのではなかろうか?

その後日本柔道連盟トップの吉村理事が引責辞任という形で退いたが、テレビの記者会見で「腹はくくっていた」という発言には「ちっ」と舌打ちするようなニュアンスが感じられた。「結局俺もやめる羽目になっちまった」的な。(個人的な感想)

しごきは当たり前的な体質が染みついた世界の中で、自分が潰されるかもしれないリスクをかけて告発に踏み切った柔道乙女たちの勇気に拍手を送りたい。

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それにしても肩書きって大事だなぁと思った。

テレビで見た吉村元理事の強面は予備知識がないと暴力団の人かと思ってしまう・・・。

ところで、この問題をきっかけにスポーツ界の著名人のコメントが紹介されたが、目からウロコだったのは、「しごき」が日本特有のものだってこと。(ほんとかなぁ)

スポーツに限らず、ビンタや棒打ちは小学校からずっと味わって?たので、「指導」にはそんな要素も含んでいると思っていた。

僕らの年代はほとんどそんな目にあっているはず。

あれって、やっぱり間違っていたんだ!

まあ、教師の一発目をかわして恥をかかしたために、その後ボコボコにされた生徒を見たりすると、あれが正しい行為とは誰も思ってなかっただろうけど。

野球の桑田さんが「絶対服従の関係で暴力をふるうのは一番卑怯なこと」とコメントしたのは、とても説得力があった。

ただ、ある程度経験を積んだ社会人なら言葉だけでの指導も可能だと思うが、高校生以下の子すべてに有効かどうかわからない。「体罰厳禁」をいいことに図に乗ったり、怠けたりする子が出る可能性も否定できない・・・「叩いてみろよ、親に言いつけてやるからな}と教師を脅す生徒の話も聞いたことあるし。

評論家は、「信頼関係を築くことが大事」と簡単に言ってのけるけど・・・。

先ずは、日本のスポーツ界(こんなに大きく括っていいのか?)の「なんとなく体罰容認」の体質を改めていく必要があると思う。

そして息子へ、

小さいときに言葉より先に手をあげたことを謝る。(もっと大人になってから親になれば良かった・・・。)

2013年2月 1日 (金)

テレビ60周年だって

今日はテレビが放送されてから60年の記念日らしい。

夕方からテレビをつけっぱなしにしてNHKの特集番組をちらちら見ている。

僕が初めてテレビを見たのは母の実家だった。もちろん白黒テレビだ。

3、4歳くらいだったから昭和38年頃だろう、さぞかし高かっただろうに。

ある日、そのテレビを見ていて、波を切って走るモーターボートがカッコ良くって、突然この場面をヨシボー兄(顔とか覚えてないけど名前だけ記憶に残っている)にも見せようと思って、慌ててスイッチを切り、彼を探しに行ったことがある。

残念ながら見つけることができなかったので、一人で続きを見ようと思いスイッチを入れると、違う画面に変わっていた。

このときテレビの絵は止められないということ覚えた。

しばらくして僕らは古仁屋に引っ越した。

そこでは父も母も働いていたが裕福ではなかったのでテレビはなかった。

いや、洗濯機や冷蔵庫もなかったし・・・何もなかったかもしれない。

その頃テレビでは「ひょっこりひょうたん島」を放送していて、子どもたちに大人気だった。

当時は子どもはみな外で遊んでいたが、放送時間になると一斉にテレビの前に集合した。

テレビを持っている家庭は限られていたので、皆その子の家に上がりこんで一緒に見ていた。

ところが、たまたまテレビの家の子とケンカしたりすると、いじわるされて見ることができなかった。

たぶん1~2度くらいだと思うが、テレビを見られないのがよほど悔しかったのだろう、よく覚えている。

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小学校の頃は、道徳や社会の授業の中でテレビを見る時間が設けられていて、そのときは、教室の机を全部下げて全員床に体育座りして、先生がおごそかに観音開きの扉を開けてスイッチを入れたものだ。

女房の場合はさらにすごい。当時その学校にはテレビがなかったので、村の中でテレビのある家まで全員で歩いていって「おじゃましまーす」とか言って、家に上がり込んで見ていたらしい。

今はへたをすると一人に一台だから隔世の感がある。

なので、数年前までの大晦日は、女房と娘は紅白歌合戦、僕と息子は格闘技と別れて見ていた。

今は女房と二人きりなので大人しく紅白歌合戦を見ている。

女房を不機嫌にしたまま年を越すのがこわいのだ。

自分のブログを見た

買い物に出たついでに友人の職場に寄ってみた。

ちょうど3時の休憩中で事務所で休んでいた。

事務員のお姉さんがコーヒーを飲むか聞いてくれたが、僕はさっき買った鶏のモモ肉が気になる。すぐに帰るつもりなので断った。(ありがとう)

机の上のパソコンをいじっていた友人が指さすので覗いてみると

ディスプレイには僕のブログが表示されていた。

人のパソコンで自分のブログを見るのは初めてだった。

同じものなのに何だか違って見える。

当たり前だが、書いたものは全部さらけ出されるんだと気づいた。

とても正視できない(笑)

読まれることを前提に書いているけれど、ついつい勇み足というか、自分を吐露してしまう部分もあるので・・・恐いな(;一_一)

でも、不思議なものでこうやってブログを書いているときには、どこか自分だけの世界みたいな雰囲気があって、さっき感じたような「人がこれを読むんだ」みたいな緊張感はない。

今後、もし何かとんでもないことを書いてしまったとしてもどうか知らないふりをしてほしい。

「世界自然遺産」への期待

昨夜のニュースで「奄美・琉球」が世界自然遺産の候補地としてユネスコの暫定リストに載るとの報道があった。

内地に住む奄美んちゅにこのことを気にかけていた人がいたので知らせようかと思っていたが、何やらしているうちに忘れてしまった。

今朝の新聞の一面にそれが載っていて改めて、世界自然遺産登録に向けて具体的に動き出したことを知った。

リストに掲載されると候補地として国際的に認知されるらしい。

「Amami」ってどこ?と関心を持ってもらえるわけだ。

ただし、まだ入り口に立ったばかりで、これから様々なハードルを乗り越えていかなければならないが・・・。

これまでテレビの「世界自然遺産の旅」みたいな番組を観ても遠くの景色みたいに思っていたのだが、もしかしたら身近な、しかも住んでいる地域がその対象になるかもしれないと思うと何だかわくわくする。

「世界自然遺産」の中に住んでいるってすごくない? (極めて単純な感覚だけど)

もちろん物事には両面あるからデメリットもあるだろう。

そこは知恵と努力で克服していくしかないと思う。

そうなることを島の動物たちも期待しているんじゃないかな?

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2013年1月31日 (木)

ありがとう

僕に素敵なサンプルを届けてくれたFさんありがとう。

そして似顔絵の予約ありがとう。

わざわざ僕のポストカードを買いにきてくれたKさんありがとう。

電話で励ましてくれたMさん(大阪)、Mさん(名古屋)ありがとう。

メールで似顔絵カードを広めるよと言ってくれたTさん、Iさんありがとう。

ブログを見て1時間近くも電話でアドバイスしてくれたSさんありがとう。

そしてTシャツの注文ありがとう。

弱いからときどき挫けそうになるけれど

折々に誰かが背中を押してくれる。

お酒が入ってちょっとおセンチになっているかもだけど

いろんな人に支えられていると感じた。

頑張る!

ありがとう。

「洗濯機と呼ばれた男」さんへ

ブログにコメントを寄せてくれた「洗濯機と呼ばれた男」が誰か見当がつきました。

かって彼からその名前の由来を聞いたことがありました。

その哀しい過去を・・・!?

こんな感じだったかな? (シチュエーション間違えてたらとってもごめんなさい)

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