テレビ60周年だって
今日はテレビが放送されてから60年の記念日らしい。
夕方からテレビをつけっぱなしにしてNHKの特集番組をちらちら見ている。
僕が初めてテレビを見たのは母の実家だった。もちろん白黒テレビだ。
3、4歳くらいだったから昭和38年頃だろう、さぞかし高かっただろうに。
ある日、そのテレビを見ていて、波を切って走るモーターボートがカッコ良くって、突然この場面をヨシボー兄(顔とか覚えてないけど名前だけ記憶に残っている)にも見せようと思って、慌ててスイッチを切り、彼を探しに行ったことがある。
残念ながら見つけることができなかったので、一人で続きを見ようと思いスイッチを入れると、違う画面に変わっていた。
このときテレビの絵は止められないということ覚えた。
しばらくして僕らは古仁屋に引っ越した。
そこでは父も母も働いていたが裕福ではなかったのでテレビはなかった。
いや、洗濯機や冷蔵庫もなかったし・・・何もなかったかもしれない。
その頃テレビでは「ひょっこりひょうたん島」を放送していて、子どもたちに大人気だった。
当時は子どもはみな外で遊んでいたが、放送時間になると一斉にテレビの前に集合した。
テレビを持っている家庭は限られていたので、皆その子の家に上がりこんで一緒に見ていた。
ところが、たまたまテレビの家の子とケンカしたりすると、いじわるされて見ることができなかった。
たぶん1~2度くらいだと思うが、テレビを見られないのがよほど悔しかったのだろう、よく覚えている。
小学校の頃は、道徳や社会の授業の中でテレビを見る時間が設けられていて、そのときは、教室の机を全部下げて全員床に体育座りして、先生がおごそかに観音開きの扉を開けてスイッチを入れたものだ。
女房の場合はさらにすごい。当時その学校にはテレビがなかったので、村の中でテレビのある家まで全員で歩いていって「おじゃましまーす」とか言って、家に上がり込んで見ていたらしい。
今はへたをすると一人に一台だから隔世の感がある。
なので、数年前までの大晦日は、女房と娘は紅白歌合戦、僕と息子は格闘技と別れて見ていた。
今は女房と二人きりなので大人しく紅白歌合戦を見ている。
女房を不機嫌にしたまま年を越すのがこわいのだ。
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