「存在する」咲き方
集落に設置されたゴミ箱の中に見たことのない花が咲いていた。
後日その花のことが新聞の「みちくさ」という欄で紹介されていて、「錦蝶(きんちょう)」というのだと分かった。
場所が場所なので、きれいというよりはちょっと不気味な感じがした。
いずれもぎ取られるかゴミ袋に押しつぶされる運命だけど、多くの人がこれを見て、印象に残っただろう。
花は人に見られるために咲いているわけではないが、人目を引き「存在した」花と、山奥で人知れず(人間社会では存在していない)ひっそりと命を全うする花がある。
どちらも置かれた場所で命の限り咲いているのに変わりはないが、これを人間の一生に置きかえるとちょっと難しくなる。
病気や境遇を考慮しないで、普通に生活している人で考えたときに、「一期は夢よ、ただ狂え」的に生きるか、「こつこつ生きて働いて」的に生きるか、「生き方」みたいなものがあるような気がする。
自分の立場で考えたときに、人間の器に応じてそれなりの小市民的な生き方をするのだろうが、それでも「人知れず」一生を全うするのは寂しい気がしている。
何でもいいから「存在した」証が欲しい。
だから描いて描いて描きまくりたいのだ。人を喜ばせたり、面白がらせたりしたいのだ。
たとえいつも犬と散歩している浜辺の足跡のようにすぐに消えるものだとしても、自分が歩いている間はときどき振り返って自己満足?したいのだ。
そうすれば(それなりに)良い人生だったと言える気がする。
コメント