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2010年7月の8件の記事

2010年7月26日 (月)

水がきた!

以前の女房は水をほとんど飲まなかった。市販のミネラルウォーターさえ変な味がすると言ってお茶ばかり飲んでいた。

それがある日飲めるようになったのである。テレビでCMが流れたこともあるZ温泉水の電話勧誘に「まあ千円くらいなら・・・」とあまり期待せずに購入して飲んでみたところ、「あ、美味しい」と自分でもまさかみたいな感じでするっと飲めたのである。

すぐに月一回の購入では足らなくなり、たびたびスーパーで買足すようになった。それならいっそのこと定期購入の回数を増やそうと10日に1箱のペースで配達してもらうことにした。僕もZ温泉水を飲みだしてからは他の水が飲めなくなり、知らず知らずに二人とも”依存症”になっていた。

10日も経つ頃になると箱の中身が少なくなり、箱を傾けて絞り出すようにして水を飲みながらもうそろそろ着くはずだと文字通り渇望していたのである。それなのに、支払いをめぐってちょっとした手違いがあり水が届かなかったのだ。

支払いは毎回箱に同封される郵便振替用紙で入金するのだが、大概は後からついでのときに(覚えていたら)みたいな感じで呑気に入金をしていた。月に3回にしてからはさすがに面倒なので口座振替の手続きをした。それまで振込用紙が届いた分はちゃんと入金をしていた・・・はずだった。

ところが、今月の14日に5月の分が未入金ですと電話で告げられ、それなら紛失したかもしれないのでお手数かけますが振込用紙を送ってくださいと頼んだら、では入金の確認がされるまで水は送りませんと厳しい宣告をされた。

その前にも女房が電話で未入金があると指摘されたらしいのだが、よく分からなかったらしい。昨日振り込んだものがまだ入金処理されていないのかとか、今手元にある振込用紙がそれなのかと呑気な対応でいた。5月だったとは・・・。

しかもちょうど水が切れたその日、宅配便が届くはずの前日に非情な宣告を受けてうろたえた。「水がこない、どうしよう!」そういう事態になるとは思わなかったので、冷蔵庫にはそれに代わるお茶もなく、まさかビールを飲むわけにもいくまい、スーパーに買いに行こうということで、とりあえずペットボトルの水を数本買って帰った。(Z温泉水は車で1時間ほど走った大手スーパーには置いてあるのだが・・・)

女房はまた水が飲めなくなった。僕もさすがにペットボトルの水が美味くないと感じていた。それでもお茶を買ったり、水を買ったりしながらこの10日間をなんとか乗り切った。仕打ちが何だかくやしいから、もし同じように美味しい水に出会ったらZ温泉水はキャンセルしようとかとも思って色々な水を試したが、あらためて比類ない美味しさを再認識することになった。

そして待望の水が今日届いた。こんなに待っていたとは想像もしないだろう宅配業者が「印鑑ください」と差し出す伝票に印を押しながら笑顔がこぼれそうになるのが少しくやしい。

そしてやっぱり美味しいのだ。くやしいけど。

2010年7月23日 (金)

クスリを食べる?

僕は血圧が高いので薬を飲んでいる。遺伝的に高血圧の家系なので若い時から注意しなさいとは言われていたが、特にからだの調子が悪くもなかったのであまり気にとめていなかった。

上が160、下が120というような状態でずっと病院にも行かず5年ほど放置していたのだが、たまに後頭部に痛みというかだるさというか嫌な感覚を覚えることがあって、「やばいな・・・」とさすがに怖くなって病院に通いだしたのだ。

MRで頭を調べてみると、(先生が言われるには)脳に小さな出血の跡が2か所ほど見られるのと、頸椎の血管が少し狭くなっているとのことだった。「危険ですよ。倒れるときはあっという間ですよ」と不用心をさんざんたしなめられて心を入れ替えたわけである。もし倒れたら家族みんなが不幸になる。

だから今日も薬が切れる前にちゃんと病院へ行った。診察はいたって簡単。調子はどうですか?と尋ねられ、特に変わりはないと答えると、じゃあ胸の音を聞かせてくださいと聴診器をあてられて終わる。いつもの薬を30日分出しておきますねと言われてやっと薬を入手する権利が与えられるのだ。

本音を言うと、特に自覚症状がなければ薬だけもらえればいいのに・・・と思う。受診するお金と時間がなんだか惜しい。せめて3回に1回くらいの受診でいいのにと心の中で愚痴る。

薬局に行き、病院から受け取った処方箋を渡して薬をもらう。僕の薬は2種類。はじめは服薬の習慣になじめず忘れることもあったが、今は毎朝欠かさず飲んでいる。ぼくのように呑気な人間は少し問題を抱えていた方が普段から健康に気を使っていいのかもしれない。一病災息とも言うし。

薬局では信じられないような光景を見た。75歳以上と見られる高齢者がありえないほどの量の薬を渡されたのだ。湿布薬も入っていたのでカサが多くなったのだろうが、それにしても痩せた体に一抱えもある紙袋は尋常ではないように思えた。まるで薬を食べよというように・・・。おばあさんはたくさんの薬の種類を忘れずに飲み分けられるかそっちを心配していた。

支払いは2200円だった。本人1割負担だから22000円分の薬が使用されたことになる。そんなものなのか?そんなに薬を飲まなければならないのか?でも、事情を知らない外部の者がとやかく言う権利はないので、「大変だな」とか思いながら黙って見ていた。案外見た目より深刻な病気かもしれないし、他の家族の分もあるのかもしれない。

塩分控えよう、間食とかやめよう。運動もしよう、痩せなくっちゃ・・・と、日ごろ粗雑に扱っているからだの反乱におびえ、健康でいようとあらためて思った。

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2010年7月17日 (土)

ハブが出た!

夜の帰り道でハブに遭遇した。

ついさっきのことだ。僕の住む集落の入り口の三叉路を右に折れてすぐヘッドライトの中ににびよーんと伸びたハブが映った。びっくりしてブレーキを踏み、一瞬躊躇した後すぐにそれを轢いた。一度轢いたくらいではハブは死なない。そのままバックしてライトの先を見ると、いない・・・。えーっ、いない!確かに轢いた感触があったのに・・・。

いったん車を走らせて少し広くなった処でUターンして探してみたが見つからない。再びUターンして元の方向に戻して目を凝らしてみると・・・今度は居た。道路端の側溝の脇でとぐろを巻いてじっと動かない。

うーんどうしようかな・・・この状態で轢こうとすればタイヤが側溝に落ちる可能性があるし、かといってそのまま去ってしまうわけにもいかない。この道はみんなが利用しているし、徒歩で通る人もいるのだ。

突然横に乗っていた女房が「あ、そうだY元兄ならきっと大丈夫だ」と言って携帯電話で助けを求めた。Y元兄は同じ集落に住んでいて割と何でもやるたくましい人だ。

約5分後に軽トラックでやってくると落ち着いた様子でハブ捕りセット(ハブを捕獲する棒と保管する木箱)を取り出して、おっかなびっくりで見つめている夫婦の前であっけなく捕獲して木箱に納めた。

ハブは役場に持っていくと一匹4000円のお金になるのだ。撲滅するための助成や血清をとるためのお金らしい。以前は5000円もらえたのだが、需要と供給の関係だろうか、4500円に下がり、やがて4000円になった。

だからハブ捕りの道具を持って普段から車に積み込んでいるような人にとっては、猛毒のハブを駆除したというよりも道に落ちていた千円札を拾いあげたといった感覚なのだろう。「一回轢いてるからや、月曜日まで生きているかい?」とハブの命を心配していた。死んでしまえばお金にならないからだ。

「ついでにもう少し回ってくる」と言ってその場を立ち去った。どうやらハブ捕り魂に火がついたようだ。

僕らは家に帰りついてから駐車場から玄関までのやや薄暗い中を目を凝らして歩いた。くねくねと動く生ハブを見たばかりなのでなんとなく足元が頼りなくて落ち着かない。本格的な夏に向かうこの時期に彼らの活性が高まるので遭遇する機会が増えるのだ。 台風来るし、ハブ出るし・・・。奄美の夏はそこが悩ましい。

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2010年7月12日 (月)

梅雨が明ければもう真夏か・・・

梅雨がまだ明けない。遅い梅雨明けの記録を更新しそうだとか。

それでも、今朝いつものように海岸を散歩していたら海が空が「夏」だった。忘れていた真夏のじりじりした日差しを思いだした。

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ここ数日ホームページをつくるために睡眠不足だ。それで頭がぼんやりしていたせいか知らないけど、今日面白い聞き違いをした。

集落のマイク放送で区長が「集落のみなさん、県職員住宅、ユーミーマンションのみなさん」と呼びかけてから伝達事項を伝えていた。ふーん、マンションとかいちいち言うんだ・・・みたいに聞いていたら、最後に「マンションお売り払いの上・・・」って区長が言った。

えっ?と思って、二度目の放送(いつも続けて二度言う)に耳を澄ませたら、「万障お繰り合わせの上」だった。

売れるものなら僕も売ってお金つくりたい。(笑)

やっぱり少し疲れているみたい。

2010年7月 6日 (火)

残念、ボツだった

奄美市名瀬の夜の社交場(飲み屋さんがいっぱい並んでいる通り)、通称「やんご通り」が今年で100周年を迎えるにあたり、「やんご」のイメージキャラクターの募集があった。

賞金目当てで締切間際にメールで2点応募した。発表は7月上旬となっていたので、もうそろそろかなと思って気にしていたら、今朝の新聞に結果が載っていた。最優秀、優秀とも県外からの作品が独占して、地元勢(どれだけ応募があったが分からないが・・・)は選外だった。

ボツになったけど気に入っていたキャラなのでいつか漫画に登場させようかな。

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お酒が大好きなケンムンが一張羅の泥染め甚平を着てアマミノクロウサギ(♀)を連れ出して山を下りた。髪が赤くてももう誰も気にしない。いい世の中になったもんだ。さあ今宵も「やんご」へGO!

もうひとつは女房が気に入ってくれた作品。コンセプトは一緒でシンプルに描いたもの。

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2010年7月 4日 (日)

漫画同人誌の思い出

だいぶ前に漫画同人誌を発行していたことがある。今日片付けをしていたら箱からごそっと出てきた。

地元に住む5人の仲間で始めた同人誌は「童夢」。創刊号の表紙裏に「漫画-子供たちの夢を育んできたもの。そして、大人たちの童心に語りかけるもの」と書かれている。タイトルはそんな意味を込めてつけたものだったが、後に大友克洋先生の同名漫画があることを知り気恥ずかしい思いをした。

当時は今のようにパソコンで描くことなんてできない環境だったので100%手描きだ。スクリーントーンすらほとんど使われていない。田舎ではなかなか入手できない高級グッズだったのだ。そしてフキダシのセリフはすべてワープロで文字を打って切り抜いて貼り付けた。

懐かしく読んだ。 それぞれの漫画の一部を紹介したい。

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2010年7月 3日 (土)

シーカヤック大会へ向けて浜辺の清掃

明日は町の一大イベント「奄美シーカヤックマラソンin加計呂麻大会」が開催される。

比較的波の穏やかな大島海峡にコースを設けフル36㎞、ハーフ20㎞の距離を漕ぐ。今回で18回目を数え、今年も全国からたくさんのカヤッカー(?)がエントリーしているが、聞いた話では宮崎県からの参加者が数名棄権したらしい。

口蹄疫問題で畜産農家が苦しい思いをしている中でお祭りに参加するのは憚られると思ったのか、車で移動してくることに対して地元農家の懸念に配慮したのか・・・いずれにしてもまるで宮崎県の人たちが悪いことでもしたかのような隔離された状況は気の毒だ。

それはともかく、大勢の方々がこんな遠くまで足を運んでくれたのだから、明日が選手にとって思い出に残る良い一日になることを祈りたい。

僕の住んでいる集落の浜辺はコース最初の通過ポイントになっている。普段はきれいな浜辺だが、最近の大雨で川から大量の木くずやゴミが浜に打ち上げられて無残な状態になっていた。

それで大会前日の今日、午後から集落民による浜辺の清掃が行われた。せっかくきれいな景観を楽しみに参加している選手たちをがっかりさせるわけにはいかない。せめて海からの眺めはきれいに整えておかないと・・・。

しかし、天気がイマイチぱっとしない。灰色の雲が空を覆ってまだ夕方6時頃だというのにうす暗い。一雨降りそうで降らない・・・今日はずっとこんな感じ。

明日はちょうどいい天気になればいいな。カンカン照りじゃなく雨じゃなく、少し曇っているけど明るいみたいな・・・。

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(清掃の途中で海を写した。向うに見えるのは加計呂麻島、手前の赤いのが通過ブイ)

2010年7月 1日 (木)

母がたずねて3000m

吉田拓郎のCDをボリュームを少し大きくして流しながら女房が掃除をしていたら、なんだか外で人の声がしたような・・・音を絞って耳を澄ますと、「ごめんください」と再び女性の助けを求めるようなか細い声。

びっくりして玄関を開けると母がベンチの上でぐったりと座っていた。

聞けば3㎞以上の道のりを歩いてきたらしい。炎天下のしかも山道もあって、70過ぎの病気がちな母にとっては大変な距離だったに違いない。

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一昨年に父が亡くなってからは独りで暮らしている。車で行けばすぐの距離なので毎日のように様子を見に行っているが、母が僕の家を訪ねてくることは滅多にない。タクシーに乗ったりとかできない人なのだ。

理由を聞くとガスコンロが急に使えなくなったとのことだった。困った母は僕に助けを求めるために歩いてきたのだった。実はガスコンロではなく、火の始末を心配した弟がIHヒーターに替えてあるのだが、母は”ガスコンロ”が電気で動いていることをよく忘れるのだ。

母を家に残してとりあえず実家に様子を見にいくと、台所周辺のブレーカーが落ちただけだった。運の悪いことに電話の電源もそこにあったので連絡ができなかったのだ。今後のために延長コードで電話の電源は隣室からとることにした。

「直ったのならもう帰る」という母を押しとどめてテレビを見せたりおしゃべりをして時間をかせぎ、その間に女房が手早く夕食を準備してその日は文字通り夕方の食事を一緒に食べた。

父がいなくなってから母の時間は止まったままだ。ふたりが過ごしたあの家を離れようとしない。昔から片付けが下手な母は几帳面な父を失い、紙屑や服が散乱した部屋で、しかし、仏壇に手を合わせながら落ち着いて暮している。

家まで送ったときにクーラーも効かなくなったというので、確かめてみるとリモコンのスイッチが暖房に入っていた。 そんなに時間がないのかもしれないなぁ・・・早く僕がちゃんとしないと。