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2010年8月の2件の記事

2010年8月31日 (火)

年金をもらいすぎる人、もらえない人

所在不明の超高齢者が全国的に問題となっている。僕の住む奄美でも各市町村で一斉に調査を行ったと新聞で報道された。今朝の新聞の1面トップで「120歳以上所在不明者1362人」「喜界町では168歳も」と掲載されていた。

さすがは長寿日本一の島だ。

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今回の一連の騒ぎで知ったことは、誰かが届け出をしない限り戸籍は更新されないという事実。そうか、そういうことになるのか・・・。と、電子化が進む市役所のシステムの中でアナログ的に人間がかかわらなければならないアキレス腱のようなものを見た思いがした。

中には家族が本人の死亡を何十年も隠し続けて年金を受給していたという事件もあった。所在不明者には当然支給されないだろうから、168歳のご老人が109年間の長きにわたり年金を受給することはなかっただろうが、もしかしたら既に本人がいないのに登録された住所を基準に無駄に支給されているケースがあるかも知れない。

死んでも年金を受給できる人と何年も年金を納めたのに1円ももらえない人。

前回のブログで義弟が亡くなったと書いたが、義弟は後者の方。ねんきん特別便で200万円を超える納付が確認できたが、社会保険事務所で確認したところ、支給の要件を満たしていないということで遺族年金も一時金もなかった。

ちなみに女房の家族は父、母、妹、弟とみな60歳に満たない年齢で亡くなったので誰も年金も受けていない。いわゆる”掛け損”だ。

不幸にして病気や事故で早死にした場合はみな自己責任なのだろうか?

年金を受給せぬうちに死亡した場合は、せめて、それまでに納めた年金の3分の1か半分を遺族に返してくれるような制度でもないと安心して年金を納めれらないと思うがどうだろうか?

「年金は賭けるつもりで掛けている」 いつか見たサラリーマン川柳だ。もう今は笑えない。

2010年8月22日 (日)

新盆の夜に思う

先月末に義弟が亡くなった。

弟といっても歳は僕と同じ。姉さん女房をもらったのでそういう関係だった。

お酒を飲み過ぎて肝臓を痛めては何度も入退院を繰り返していたが、今回ついに回復せぬままに死んでしまった。

7月15日に緊急入院で病院に運ばれてから亡くなるまであっという間だった。「うそだろ」みたいな信じられない出来事だった。人ってこんなにあっけなく死んでしまうんだと。

葬儀をしていても本人がどっかで生きているような不思議な感覚がしていた。「やっほ」と片手をあげて笑いながらそれでいて少し遠慮がちな感じでいつものように現れそうな気がしていた。

通夜の夜、僕と女房と子供たちだけになったとき少しむすっとした遺影を眺めながら”おじちゃん”(こどもたちはそう呼んでいた)の酔っぱらったときの武勇伝や偏屈だったことや、融通が利かない生真面目だったりしたことを語り合って大いに笑った。次から次へと思い出が尽きなかった。本当に不器用で生きるのがヘタなおじちゃんだった。でも、僕の子供たちをとても愛してくれた。いつもなけなしのお金をはたいて高価なプレゼントを買ったり、子供と一緒になって真剣に遊んでくれた。

女房は若いころに両親を亡くし、6年前に妹を亡くし、そして今回たった一人の肉親であった弟にも先立たれてしまった。もう誰もいない、一人ぼっちになってしまった。子供たちが家に居てくれた数日間ななんとか気丈に過ごしていたが、その後しばらくは家から一歩も出ずにしくしくと泣き暮していた。なぐさめる言葉がなかった。

時間はありがたいもので、今はもうだいぶ元気になっている。外に買い物に行ったり、友達に会いにいったりと普通に過ごしていることが多くなった。

今日はお盆の入り。厳密には49日を過ぎていないが、それなりの期間があったので引き寄せて新盆として義弟の魂を迎えた。気取ったポーズの若い頃の写真と笑って焼酎を飲んでいる写真を飾って、大好きだった焼酎を添えて。もう誰も「飲むな」とか「しっかりしろよ」とか言わない。好きなだけ飲んでへべれけになって・・・。でも、そんなことを考えると少し辛くなる。飲んじゃいけないと思いつつ飲んでしまい自己嫌悪に陥っていただろうと想像すると、飲酒を咎めたことが悔やまれる。こんな風に死んでしまうんなら最後まで気持ち良く飲ませてあげたかったとも思う。

しかし・・・実はまだ実感がない。葬式を済ませ、住まいの後片付けをして、お盆もして、もうこの世に存在しないことをはっきり理解しているはずなのに、ふと忘れてしまうことがある。まだどっか近くに存在しているような気分が続いている。

いずれにしても生活にまた落ち着きが戻ってきつつある。約1カ月も中断していたブログも再開することができた。今度のことで、同窓生のありがたさや人の温かさあるいはその逆のことなど色々なことを感じた。いずれまた書こうと思う。