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2010年9月の4件の記事

2010年9月23日 (木)

集落の豊年祭

9月18日に集落の豊年祭・敬老会が開催された。

毎年開かれる集落にとって最大のイベント。相撲があり、踊りや唄があり、余興があり・・・酒を飲む。これが各集落ごとに行われるのだからそのパワーというかエネルギーに感心する。

もっとも最近はどこも高齢化と過疎化が進んで、集落によってはただ人が集まって酒を酌み交わすだけというところもあるようだ。

今年僕はビデオ撮影を任された。自分のビデオカメラもあるが、区長の持つDVDに直接書き込む式のカメラが珍しくてそれを使うことにした。

バッテリーはフル充電してあり2時間以上使えそうだったので何とかなるかと思っていたのだが、実際に撮影を始めると経過時間以上に電池が消耗していった。

電池の残量を気にしながら、なんとかして最後までもたせなくてはとスイッチをこまめに切って冷や汗をかきながらビデオを撮った。エンプティの車で走っているような心境だった。

途中の相撲をすっぽり落としてなんとか撮り終えた。最後の万歳三唱のシーンはいったん電池切れになったものをふたたび起こして(カメラの)死力を振り絞って撮った。

これまでこんなに必死にビデオを撮ったことはなかった。ただ、ずっと電池の残量ばかり気にしていたので、どんな映像を撮ったかあまり記憶にないのだ。

2010年9月13日 (月)

新しいケータイ(形態)に

携帯電話が出始めてからすぐに使いだしたので今ではキャリアは相当なもの。

だけど電話とメールとカメラ以外は使ったことがないので色々な機能がついていてもまったく意味がない。

最近は会社を離れたせいもあって電話ですらたまにしか掛ってこなくなった。でも、これって一度持ち出すともう手放せないんだよね。

だいぶ前に買ったケータイだが、デザインが気に入っているのでずっと使い続けてきた。電池の寿命が短くなってきた以外は特に問題はないので、まだまだ使えそうなのだが、今回思い切って買い替えた。

以前からひそかに憧れていたスマートフォンが5000円まで値下げされていたので、つい衝動変えしてしまったのだ。

(僕が物を買うときの一番の基準になるのだが)まず、デザインが良い。(i phoneに似ている?) そしてタッチパネルというこれまでのインターフェースとはまったく違う形態が何かしらわくわくさせる。

ポケットの中のそれの感触を何度も確かめながら電話がかかってくるのを待っていたが、ぜんぜん掛ってこないので、女房に頼んですぐそばから電話をかけてもらった。「会話できた!」。なんだか初めて携帯電話を買ったときのような新鮮な気分でうれしい。

これまでのメールアドレスが使えなくなったので、皆に(まあ数人に)通知しなければならないのだが、これがヒジョーに難しかった。

タッチパネル方式で文字を入力していくのだが、指が太いので画面の文字が正確に選べないのだ。「違う、それじゃない」と少しいらいらしながら何度もやり直しながら2~3行の文章を10分くらいかけて打った。

おまけに文字が小さい。前の機種のようにすべての文字を単純に拡大表示できないのだ。(いちいちルーペのアイコンを押さなければならない)

デザインも機能もスマートなのに、使うたびに老眼鏡をかけて両手を使って小指で入力してたらちっとも・・・。

2010年9月 6日 (月)

母のテレビ

ひとり暮らししている母のところにあるテレビの映りがおかしくなっていた。いくら調整しても画面が緑っぽくなっているし、スイッチを入れて画面が出るまでに1分近くかかった。

約8年前のブラウン管テレビだった。もったいないからこのままでもいいと言っていた母もさすがにテレビを買い替える気になっていた。

特に趣味を持たない母の楽しみといえばテレビくらいになっているので、置き場所のサイズ内(幅55㎝)できるだけ映像のきれいなものを基準に探した。ちょうど決算セールをやっていて22インチのテレビを安く買えた。

さっそく古いテレビを取り外して真新しい液晶テレビをセットし、地デジのきれいな画面を母に見せた。「すごいねぇ、こんなにも違うんだねぇ。時代よねぇ!」としきりに感心する母。「こんなに薄いのにちゃんと映るのね」って・・・そこ!?

テレビを横から眺めて感動している母にチャンネルを渡して必要な操作だけを簡単に説明した後、重いブラウン管テレビを抱えて家に戻った。いずれ地デジ対応のテレビと交換しなければならなかったのでほっとした。母も喜んでくれた。

晩ご飯を食べているときに母から電話がかかってきた。何か言いにくそうにしながら、「せっかく買ってもらったテレビだけど・・・ちょっとおかしいみたい。壊れてはいないと思うけど・・・」と予想外の話。症状を聞くと、いくらボタンを押してもNHKが映らないとのことだった。アナログのときの番号「6」を押しているらしいので、「3」に番号が変わっていることを説明するが、「なんで変えたの?」と言われてしまった。

電話口で「いいから3を押してみて、3を。数字が並んでいるところの3!」とやや必死になって説明するが、壊れたと思いこんでいるせいか「映らない。だめみたい」との返事を繰り返す。デジタルの番号は1,2,3,4,5,8で、ちょうど6のチャンネルは何も映らないようになっているのだ。長い習慣から、NHKは6チャンネルという観念から抜け出せないようだ。

母も疲れたのか「もういいから、明日来て(テレビの様子を)見てね」と電話を切られてしまった。「えー、そんなん? 何で分からないの?」と少しショックを受けながら晩ご飯を食べているとまた電話が。

「いろいろ触っていたらNHKが出た。3番を押したら出るみたい。良かったー、もう心配しなくていいからね」と。

心配だよ。

Epson185

2010年9月 2日 (木)

献血したかったのに

献血するために会場になっている町役場へ行った。

先ずは督促がきていた固定資産税を納めて気分をすっきりさせてから、受付で申し込みの記帳をした。氏名、住所、勤務先・・・ここは「自営業」として飛び越える。

次のテーブルで新しい献血カードを発行してもらった。これまでの紙の記録が全部1枚の磁気カードにまとめられた。

そしていよいよ最終チェック。過去に2度ここまでたどり着いて血圧測定で下が100を超えていたため断られた経緯がある。でも、今は血圧の薬を飲んでいるので比較的安定しているはず。「今度は大丈夫だ」そう思いながら測定前の問診に答えていた。

「手術をされたことがありますか?」「あります。胆嚢を摘出しました」「そのとき輸血とかされました?」「さあ・・・麻酔で眠っていたので分かりません」「分からない!?・・・輸血をしたかどうか分からないんですか?」

えーっ何でそこにこだわるの? 手術中は眠ってるというか気を失っているような状態なんだから輸血したのか血を抜かれたのか普通分かんないでしょ・・・。と思って面くらっていたら、「せっかく来ていただいて、申し訳ありませんが・・・」とまたもや献血を断られてしまった。

気の毒そうに差し出されたジュースを断ってトホホの気分で帰途についた。「もう献血なんて行かない。縁がないんだきっと」と愚痴りながら、3度断られたのだから本当にもう献血はやめようと思った。

晩ご飯のときにふとそのことを思い出して看護師の女房に経緯を話した。輸血そすると感染のリスクがあるらしい。断られたのは大事をとってのことなのだ。「ところで、胆嚢摘出の手術をしたときに輸血をしたの?」「していないよ」「ほんとに」「うん、輸血したらちゃんと説明があるから」

そうか、それなら次から輸血OKじゃん・・・ってオレやっぱり輸血したがってるし。