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2010年6月の9件の記事

2010年6月27日 (日)

ギタリスト・アントワンのコンサートに行った

ユーチューブで一番見られているギタリストと言われるカナダ出身のアントワン・デュフォールのコンサートが奄美大島・名瀬であった。

初来日して全国8か所でコンサートを行い奄美が最後の会場になった。一緒に演奏している深佐太郎さんのお母さんとうちの女房が友達付き合いをさせてもらっている関係で見る(聴く)機会を得た。

最初に演奏した深佐さんとアントワンさんの風貌が良く似ていたので、登場したときに会場から笑い声が聞こえた。「着替えた?」みたいな感じ。

フィンガーテクニックを駆使して一本のギターで様々な音を作り出す。ソロで演奏しているのだが、目を閉じて聴くとあたかも複数の演奏者がいるような錯覚を起こす。

出口付近でCDを売っていたがお金がないのであきらめた。いつか買うかも。

帰りの車の中で「あれだけすごい演奏ができるのに深佐はアマチュアで前澤はセミプロ(?)で、アントワンだって売れっ子というわけではなさそうだし・・・」 独立して腕一本で食べていくというのは本当に大変なことなんだなぁとため息が出た。

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2010年6月24日 (木)

海辺の散歩

犬の散歩は近所の海辺を歩く。

浜の端から端まで行って戻ってきたらちょうど30分ほど。歩きながら漫画のこととか考えている。

今は大雨のせいで海が濁ったり、砂浜にゴミが散乱しているけど、普段はとてもきれいな海だ。

たまに大きな魚がばしゃっと跳ねることがある。珍しい透明のナマコも見つけた。

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犬(ピース、♀)のお気に入りは川から海へ流れる小さなせせらぎに身を浸すこと。

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向こうには加計呂麻島がくっきりと見える。海と空を眺めながら深呼吸すると素直に「よし、がんばろう」という気持ちになる。

ピースの散歩は僕のための日課。

2010年6月16日 (水)

庶民の味方・良心の食堂「なにわ」

大雨が降る午後2時過ぎ、町に出て遅い昼食をとった。

川沿いにある大衆食堂「なにわ」。ウナギが専門なのだが、頼む客はあまりいない。美味くないからではない。他のメニューがあまりにもリーズナブルなのでついそちらを注文してしまうのだ。

毎日のようにここで食べている常連客も多い。美味しくて、量が多くて、しかも安い。ちゃんぽんラーメン450円、焼き飯400円、焼きそば350円。ずーっとこの値段で提供している。

お店のおばちゃんに「こんな値段で赤字にならない?」って聞いたら、「キャベツとか野菜が高いときは赤字になるかも」って。「(自分の土地でやっているので)家賃がいらないからその分安くできるし、毎日食べにくる客がいるから、(値段を)あげられない」とも。

偉いなあ。お店の内装とか昔のまんまで余分なところにお金かけないで、その分料理は妥協のない味と量。物価が高い離島でこんな風に商売を続けること自体が一種の社会貢献じゃないかとさえ思えてくる。

僕もできれば(利益優先ではなく)お客さんに喜んでもらって、社会にも何らかの奉仕ができるような仕事がしたいな。

今日食べたのは焼き飯と焼きそば。2人食べて750円。

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ごちそうさまでした。

狂犬病予防注を受けた。

今日は午後1時半から狂犬病予防注射があった。

うちの犬はビビり屋なので注射にチョー警戒している。担当の人に「首輪をしっかりつかんでいてください」と言われ、首輪を両手でつかんで犬とにらめっこした・・・瞬間「はい終わりました」と早業。

6年前に女房が勤めていた学校に捨てられていたのを拾ってきた。ピース、メス、雑種、中型。なのに、登録はラブラドール・レトリバー、大型になっている。最初の登録のときに仕事で行けなかったので知り合いに頼んだら適当な内容になっていた。

恥ずかしいから、「ほんとは雑種の中型犬です。訂正できますか?」と頼んだら、「ああ、はい大丈夫ですよ。じゃあ色も黒じゃなくて茶色、いや、黒もある・・・どっちでもいいか」と、途端にどっちでもいい安い犬に降格した(笑)

外で飼っているから雨に濡れると臭いし、すぐに地面を掘って潜るし・・・確かにあまり大事にしてるとは言えないけど。

でも大切な家族の一員。

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今日は一日雨の顔。

2010年6月15日 (火)

メールありがとう

先日このブログに対して見ず知らずの方からメールをいただいた。

知らない人とこんな風につながることができるなんて「ブログってすごい!」と感激した。その方のメールはプリントアウトして大事に保存することにした。

そして今日また別のメールが届いた。

その方も風刺漫画を描いており、「一緒に盛り上げていきましょう」と励ましの言葉が添えてあり、うれしかった。

どんなマンガを描いているのだろうか?と導かれるようにその方のホームページを訪ねてみると、内容が深く絵も上手なので、たちまち自分の描いたものが恥ずかしくなってしまった。

(壱花花さんのウェブページ → http://18787.main.jp/ )

僕の場合はニュースの背景や事実関係を深く検証することなく、感じたままに描いているので中には見当違いのものが含まれていると思う。

思うが、しかし、評論家ではないので、「あーそんな感じ。あるかも」みたいな感覚で見てもらえたらいいか・・・と自分で無理やり納得して描き続けることにする。

なにしろ、描いた漫画を見てくれる人がいるのだ。

今まで新聞に月イチで描いている漫画や、読者欄に投稿している漫画について何の感想も聞こえてこないので、正直空しい気持ちがあった。

これからは新聞への投稿はやめてブログに掲載することにしよう。

2010年6月13日 (日)

青虫が蝶になった

親戚家の庭で青虫を見つけたが、気持ち悪いから殺してと言われて可哀そうに思い家に持ち帰って育てていた。

虫かごがないので、小さな段ボール箱に入れて空気穴を開け逃げ出さないようにラップをかけて飼った。青虫はもそもそと動きながらミカンの葉をばりばり食べてとても愛嬌があった。

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なるべくなら今まで育った環境に近い方がいいと思い、水を入れたペットボトルにミカンの木の枝を挿して葉っぱの上に青虫を置いた。かごは100均で買った洗濯物を入れるネットを利用した。

家に連れてきたのが5月23日でそれからしばらくは元気に動いていたが、5月末頃にピタッと動きが止まった。枝を固定するために一緒に入れた割りばしに糸で体を固定して後ろに倒すようにして徐々に干乾びて(?)いった。

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蛹からいつ孵化するのか分からないので毎日そこを通るたびに覗き込んでいたが、ついに昨日の朝(いつの間にか)黒いアゲハチョウが生まれていた。

そっと窓を開けて飛び立つ瞬間を見ようと傍らに張り付いてその時を待った。蝶はときどき羽をゆっくりと動かすもののなかなか外に飛び出そうとしない。

本を読みながら3時間くらい様子を見ていたが、さすがに飽きてきて庭で犬と遊んでいた。ふと何か動くような気配がして(どうして分かったのか自分でも不思議なのだが)、蝶の様子を見にいくと羽をはばたかせるように動かしている。

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いよいよだと思って女房を呼びカメラを構えた途端に、ふわっと窓の外に飛んでいった。庭をぬけてお隣へ移動していく姿を目で追いながらちょっと感動した。

また飼いたいと思ったが女房にはもうやめてねと言われてしまった。そばを通るときに青虫を脅かさないようにそうっと歩くのが面倒だったみたい。残念。

2010年6月12日 (土)

女房のアッシーくん

以前は僕と女房と1台ずつ車を持っていたが、色々あって女房の車を廃車した。

僕の家は町から少し離れた集落の中にあるので、買い物でも何でも出かけるときは車を利用している。

女房に車を使わせるとなかなか帰ってこないので自然と僕がアッシーくんをするようになった。

昨日は奄美市の名瀬で催された結婚式に女房が出席するために、とりあえず先にバスで送りだして、夕方6時になってから(迎えるために)家を出た。

家から名瀬まで片道約1時間。ディスカウントショップで買い物をして、後はTSUTAYAでひたすら時間を過ごした。

結婚式は6時半に始まって9時半頃には終わる予定なので、10時くらいには女房を拾って帰れるつもりでいた。

しかし、なかなか電話がかかってこない。結局女房と会えたのは11時半頃だった。二次会まで参加して、後はいつものように喫茶店で”締め”をして終わったようだ。

今日の結婚式は女房が看護福祉専門学校の講師をしていた頃の教え子だ。よほど嬉しかったのだろう。かって手を焼いた(?)学生たちが大人になり次々と結婚して子供が出来て・・・。「教師をして良かったなあ」と女房がしみじみ言う。

女房は学生たちが本当に好きで、当時よく一緒に食事をしたり、家に呼んでバーベキューをしたりしていた。学生からもらう色紙にはよく「お母さんへ」って書かれていたが、そんな存在でもあったのだろう。

でも、学校をやめる1年くらい前から、同僚の先生に教師と学生のけじめをつけてくれとか家に学生を呼ぶとは何事ですかとか色々非難されて、それが教頭先生の指示でもあったので、事実上学生との個人的な交流を禁じられてしまったのだ。

だから最後は学校だけの関係になり、少しさびしい気持ちで退職したのだが、それでも卒業した学生たちから今でも連絡があったり、結婚式の招待状が届いたりと交流が続いている。それは女房にとってかけがえのない財産のひとつだ。

だから僕は待たされても仕方ないと思っている。女房は嬉しいのだ。まるで自分の子どもが一人前に成長した姿を見たかのように、車の中で色々と話をしてくれた。「私って幸せだなぁ。ありがとうね」としみじみ感謝されると、アッシーくん冥利に尽きる・・・とは言いすぎか。

2010年6月11日 (金)

印鑑が届いてブログのタイトルを変えた

奄美の歴史や自然や風俗をマンガにできたら素敵だなと思って、その思いつきだけの勢いで色々やるつもりだったけど、まだまだ力不足だし、自費出版するお金もない・・・って言うか、生計を維持することさえ危うくなってきている。

いずれそういった漫画の出版を夢見ながら、先ずは地に足をつけて地道にコツコツやっていくことから始めよう。

先日そのヒントをもらった。90歳を過ぎてなお元気に畑仕事をしているおばあちゃんの似顔絵を描いてあげたらものすごく喜んでくれて、家に来る人来る人に絵を見せていると聞いたとき、「あ、人に喜んでもらえる仕事が身近にあった!」と気づいた。

そこから始めよう。そうして少しずつ漫画も描いていこうと思った。

名刺を作って、印鑑も注文した。

今日その印鑑が届いたので、さっそく真っ白な紙に印鑑をついてみた。「あま美漫画工房之印」の刻印を見ながら、なんとか自分にもできるかもしれないという可能性を感じて嬉しかった。

それと同時に「奄美なマンガ」と大きく広げた風呂敷が面映ゆく感じた。だから小さなハンカチにすりかえることにした。「あま美の小さな日常」・・・本当はそんな気分だから。

2010年6月 7日 (月)

時事ネタ風刺漫画を描き始めました

普天間基地の移設問題で奄美の徳之島に訓練機能を移す旨の報道がされ始めてから最近とくに政治が身近になった。

奄美に軍事基地など設置してほしくないのだが、そもそも戦後65年を経た今も米軍基地の規模を変えずに日本のどっかに置かなければならないものだろうか?

献金問題と普天間問題ですったもんだの挙句鳩山総理が辞任したのを契機に新聞でよく見る時事マンガを描いてみようと思った。

どこかに発表する当てがあるわけではないので、とりあえず地元の新聞の読者投稿欄にメールで送ることにした。

3日から始めて昨日までに4本送った。いつまで続けられるかな?

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