2019年3月 5日 (火)

またまた企画展を観てきた。

先週、笠利のまえだ屋へTシャツを届けた帰り道に奄美パークへ寄った。

ゆらん郷で在庫を確認した後、いつものように美術館へ。

企画展で「奄美横浜交流展 遊展」という展示が催されていた。

最初入ったときは誰もいないと思っていたが、仕切りの向こうで盛んにカメラのシャッターを切る音がする。

どうやら作品すべてを写真に収めている様子だ。

シャッターとシャッターの間にちょっとずつ間があるので、1点ずつ丁寧に撮り込んでいるのだろう。

きっと関係者だなと思った。

作品は一人1点ずつ出品されていて、洋画、日本画、モダンアートと様々な表現で楽しませてくれた。

仕切りの向こう側には奄美の作品が飾られており、名前やタッチに見覚えのある方たちなどもたくさん出品していた。

島にはたくさんのアーティストがいるんだなぁと改めて思う。

恵まれた自然と独特の文化の中に身を置いていると、筆を取らずにはいられない、あるいは、カメラを向けずにはいられない何らかの衝動がおこるのではないか?

日本画家の田中一村を奄美に留めたものは、そういったエネルギーだったかもしれない。

展示場を出る際に椅子に腰掛けていた男性を見て、やはり関係者だったんだと思いながら声をかけた。

もしかして横浜から来られたのかと思ってそう尋ねたら地元の者だという。

しばらく話しているうちに何となく「久保井さんではないですか?」と聞くと、そうですとの返事。

「フナンギョの滝」を描いた人だという気がしたのだ。

どうしてそう感じたのか分からないが、様々な展示場で名前だけ知っていた久保井さんに初めて会えた。

次の来場者が入ったので、その場はお礼だけ言って会場を後にした。

マンガとかも興味をもってくれるだろうか?

いつかどこかでそういう話しをする機会があればと思う。

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2019年3月 4日 (月)

水の集落?

しーまの取材で笠利の川上集落の高倉を見学した続き。

高倉の少し奥に水が湧き出る場所があり、かつてはこの家の飲料水として使われていたようだ。

今はその場所一帯が竹やぶで覆われているが、今でも水は少しずつ流れていて足元の地面がずっと湿った状態になっていた。

薄暗くて湿っているとハブが心配だが、家主はこともなげに「ああ、出るよ」と。

水の湧き出すところは他にもあるようで、昔はそこから田んぼに水を引いていたらしい。

水が豊富なので稲作が盛ん、稲作が盛んなので高倉が活躍した、という図か。

川の上流にはダムが建設されていて、周辺地区の飲料水として使われているようだ。

ついでにダムのある場所まで案内してもらった。

少し山奥のそれほど標高のない場所に大きなダムがそびえ立っていた。

「川上」という集落名は、昔からここが上流の水源地として認識されていたからではなかろうか?

人が住みつくためには何よりも先ず飲み水が必要だ。

最初にここに定住した人たちは、水の恵みにさぞかし喜んだことだろう。

って、調べたわけではないので、ぜんぶ想像だけど (*´ω`*)

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2019年3月 3日 (日)

静かな高倉

しーまの取材で先月笠利の川上集落へ行き、現存する高倉を見学させてもらった。

屋根は台風で飛ばされたあと、茅葺からトタンに変わっていたが、柱が太くて堂々とした高倉だった。

この高倉以外でも、経験者の高齢化もあり、茅葺きができる人がいなくなったためにだんだんトタンに変わっていく事情があるようだ。

茅葺きにはそれなりの人手がいるが、トタン葺きなら大工さんだけでできる。

茅葺きの家を保存するためにカヤにファイバーをかけたという例もある。

高倉が現役の頃はこの蔵に脱穀した米などを保管していたとのこと。

滑車を引いてはしごを滑らせるようにして重い米袋を上げたという。

以前は農村生活を支える大事な役目を負っていた高倉だが、農業人口の減少や交通の発達で食料の入手が容易になったため、次第に使われることがなくなった。

面倒なカヤの葺き替えが必要だったり、台風による破損などがきっかけでだんだん撤去されていき、今や観光用として設置されているのがほとんどではなかろうか?

(ああ、でも、奄美文化センターの高倉は去年の台風で無残な姿になってしまったが…)

ところで、この家で見た高倉は、大和村の群倉(ボレグラ)や公共施設で見るような、奄美で一般にイメージするタイプではなく、倉の部分が立ち上がっているので庫内は広い。

誰にも邪魔されない趣味の空間として、男が憧れる”隠れ家”的な使い途があるかもしれない…と想像をめぐらせる。

ログハウスの代わりに奄美発の高倉キットとかあれば楽しいかも。

柱はそんなに高くなくてもいいかな、酔って落ちると大変だから(笑)

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惠義盛さんのスケッチ画には、身近な風景として高倉とその周りで働く人々が描かれている。

ここの周りに人が集まり、ソテツの実を割ったり、ソテツ葉をくくったり、米を脱穀したり、あるいは、足元の日陰で休んだり、子ども達の遊び場になったり…と様々なシーンで人々の生活に寄り添ってきたのだろう。

昔の島の暮らしを静かに語ってくれる大切な存在だ。

2019年3月 2日 (土)

スタンプ細胞停止中

「スタンプ細胞」というのは、小保方さんのスタップ細胞が話題になった頃につけた僕のLINEスタンプのネーミング。

増殖してくれればとの期待をこめてつけたが、スタップ細胞はその後存在を否定され消えてしまい、スタンプ細胞も現在活動停止中だ。

2016年までに7個のLINEスタンプを作って、2017年はゼロ、去年2018年は続けざまに4個のスタンプを作った。

この勢いでいけばいくつ作れるだろうかと思っていたが、パタリと止んでその後半年以上何もできていない。

順調に作っていた頃に、弟夫婦に犬のスタンプを作ると約束したがいまだに果たせていない。

まあ年内には作れるだろうとボチボチやっていたが、中断したままになっている。

手元のノートには、他にスタンプのアイデアがたくさん書かれているが、どれだけカタチにできるだろうか?

今のところ一度登録されたスタンプは無期限で販売されているが、ものすごい勢いで増え続けている状況を考えると、いずれどこかで線引きされるような気もする。

すでに何十万個というスタンプが出回っている中で、日々新たに似たようなスタンプが追加され続けている。

人気のスタンプは売れているが、中には販売実績が限りなくゼロに近いものもあるようだ。

なにしろ販売されている数が半端ないし、無料スタンプもたくさん出ている。

広大な裾野に埋もれて喘いでいるスタンプの方が圧倒的に多いのだと思う。

幸い僕のスタンプは何とかそこそこ売れている。

少なくともゼロではない(笑)

一番人気があるのは「島のばあちゃん」で、今のところ全体の売り上げの7〜8割くらいは占めているのでは?

いずれにしても、LINEスタンプは制作の労力を考えると金銭的にはほとんどペイしない。

それでも作りたいと思うのは、ひとえに ”使ってくれる人がいるから” だ。

自分が作ったスタンプが実際にどこかで使われているという喜びは、お金には置き換えられない類のものだ。

ちょっと表現しにくいけど、ユニークなカタチで誰かの役に立っている感とでも言うのだろうか?

今は停止中だが、そろそろ冬眠から醒めてスタンプ細胞の活動が活発になればと、自分の頑張りに期待している。

先ずは約束した犬のスタンプを作らないと…

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半分は奄美の方言スタンプ。

いずれは動くスタンプも作ってみたい。

2019年3月 1日 (金)

やっとTシャツ納品

ビッグツーでTシャツの販売形態が、袋入れの平積みから、袋から出して吊るすように変わってから初めてTシャツを納品してきた。

これまで袋に貼り付けたシールや同梱していたカードで伝えていた商品の情報をどうやって伝えていくかが課題だったが、とりあえず、Tシャツ群を仕分けするカードをこさえてそこにある程度の情報を盛り込むことにした。

Tシャツのタグに取り付けるカードなど、まだ工夫しなければならないところがあるが、昨日Tシャツを何点か納品できたことで一先ず新しい形態での滑り出しができた。

どうなるか分からないけど、とりあえず。

周囲の状況や条件が変化したときに、あまり力まずに自分にできることをやって、あとは流れに任せる。

大きなことは出来ないだろうが、流れに逆らって動けないということもない。

たかが、Tシャツのことで大仰な言い草だけど(笑)

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これまで作成したTシャツのデザインが80点ほどになったが、そのほとんどがお店に並ぶことなく、お蔵入りの状態だ。

それらをイラスト展というカタチで一堂に展示することを思いついた。

「イラスT」というネーミングでTシャツをキャンバスに見立てて展示したら面白いかなと。

実現できたらいいな。

2019年2月28日 (木)

月にひとつの日課

年が明けたときに、今年は何か毎日続けるものをしようと心に誓った。

「日課」を課そうと思ったのだ。

それで始めたのが、”ブログ「あま美の小さな日常」を毎日更新する”ということだった。

日々の記録や雑感などをとにかく毎日描き続けてみようと試みた。

去年はブログをほとんど更新していなかったので、慣れない筋肉を無理やり動かすみたいなキツさがあったが、次第に(内容はともかくとして)なんとか継続できそうだと思えてきた。

すると、少し欲が出て、さらに何か別の日課を始めてみようという気になった。

いい意味で「隴を得て蜀を欲す」みたいな。

2月からは、英文の書き取りを始めることにした。

目的は、「英文が読めるようになる」こと。

英語は元々苦手で、英会話のグループ学習とかも参加してみたが、気がつくと日本語の会話がメインみたいな感じで少しも上達した感がなかった。

そもそも、海外への赴任や留学といったような強烈で明確な目的もなく、ただ”英語が話せたらいいなぁ”というモチベーションでは、身に付くはずがない。

なので、”英会話が出来なくても構わない、本が読めればいい”と開き直って学習を始めることにした。

購入したものの日本語ガイドがなくて手付かずになっているパソコンソフトもある。

日本で起こっていることが世界の目からはどう見えているかといった情報も分からない。

聞けなくてもいいから、話せなくてもいいから、とにかく読めるようになりたい!という動機だ。

ただし、形に残らない日課はうやむやになって続かない恐れがあるので、1日ノート1ページ分書き取るということにした。

2月に始めて、これもなんとか続けることができた。

どれほどの効果が得られるのか未知数だが、少なくとも、これらの”日課”で日々をピン留めしているので、以前より一日が長くなっている。

明日から3月になるので、何かまた新しい日課を始めようと考えている。

一年のどのあたりで挫折するかなぁとか思いながら。

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2019年2月27日 (水)

もうすぐ完成

奄美群島の日本復帰65周年を記念して制作される冊子のイラストがようやく終わりそうだ。

中身を理解するために復帰関連本を読んだり、昭和っぽい絵柄にするために試行錯誤したり、と時間をかけて遠回りした感があるが、なんとか形になりつつある。

絵柄に関しては、滝田ゆうさんを真似て描いていたものを結局描き直していつものタッチに戻して描いた。

描いているうち次第にこれは違うなという思いが強くなったからだ。

滝田ゆうさんの絵は、滝田ゆうさんだから素晴らしいのであって、雰囲気だけ猿真似しても何だか気持ち悪い絵になるし、そういうことは長くは続かないと思ったのだ。

おかげで時間ばかりくってしまったが、もがくのはステップアップする過程だと思いたい。

先週22日に依頼者のH氏に会って挿絵等の最終確認をした上で、納期を今月末と定めた。

そのときは、月末まではまだあるような気がしていたが、気がつけばもう明日に迫っていた。

2月は28日までしかないのだ。

今回もやっぱりギリギリだったか…

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2019年2月26日 (火)

加減の微妙

親戚からトマトをたくさんもらった。

スーパーでは高くて買うのをためらほど貴重な野菜だが、逆にたくさんあるとどうやって食べたらいいかと悩んでしまう。

できれば新鮮なうちに食べきってしまいたい。

大玉なので、サラダで食べても使うのはせいぜい1個。

トマト鍋なら一度にたくさん食べられるのでは?と試してみた。

市販のスープを購入して材料を確認したところ、使用するトマトは1個だけだった。

だけど、無理やりトマトを3個投入。

ウィンナーがなかったけど、まあいいか的な。

結果は…味に締まりがなくて、う〜ん…微妙

過ぎたるは何とかか…

今手がけているイラストがそんな感じに陥っている。

滝田ゆうさんの絵に触発されて、やたらと網線を入れて描いてみた。

なんとか昭和っぽい雰囲気を出そうと思ったが、何だかあざとい感じになってしまった。

自分の絵のまま外連味なく描くのがいいのかな、やっぱり。

全体のバランスが悪いんだよね、きっと…

トマトは1個でいい、イラストはシンプルでいい、ということか?

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翌日チーズとウィンナーを加えたら美味しくなった。

イラストももう一工夫してみようかな。

あんまり迷っている時間はないけど。

2019年2月25日 (月)

すごい小湊!フワガネク遺跡

2月12日しーまに同行して小湊集落を取材した後、フワガネク遺跡について更に詳しい話を聞くためにライターFさんが奄美博物館にアポを取っていた。

こんな機会はなかなか得られない、もちろん喜んで付いて行った。

博物館の館長Tさんは、当初からフワガネク遺跡の発掘に深く関わっていて、国指定重要文化財登録への働きかけをした人物だった。

つまり、この遺跡群について一番詳しいということだ。

予備知識がないので何を質問していいのかさえ分からなかったが、館長が話上手な人で特に問いかけることもなく素人にも分かるように丁寧に教えてくれた。

話を聞きながら、ときに素朴な疑問に答えてもらいながら、フワガネク遺跡についてのイメージが少しずつはっきりしてきた。

そこは、夜光貝をメインにした貝殻細工の生産工房のようなものであったらしい。

制作過程と思われる同じ形の貝殻がいくつも出土したことから、おそらく大勢の人たちが流れ作業のように働いていたのであろうと。

貝殻の他に鉄器や猪、魚の骨なども見つかっている。

魚は、小湊と和瀬だけに生息が確認されている鯛の固有種で、ホシレンコの名が付けられた。

小湊の高台から見えた喜界島から距離が近く、同じように夜光貝の細工が出土しているので、おそらく繋がりがあったであろうという。

フワガネク遺跡で見つかった夜光貝の匙と同じものが朝鮮でたくさん見つかっていて、朝鮮に夜光貝は生息していないということ。

つまり、一般的には狩猟採集に留まるとされていた6〜7世紀にすでに鉄器の道具を使い、交易も行われていたということになる。

小湊すげぇ。

喜界島の遺跡とか徳之島の焼き窯跡とか奄美群島で色々と発見されているけど、実は奄美の文化はかなり進んでいたんじゃないだろうか?

夢のある楽しい話をたくさん聞くことができた。

イラストの資料にと、「ふるふる奄美」という奄美市の遺産を紹介した冊子も頂いた。

パラパラとめくって見るだけでも、奄美大島にはまだまだ知らないことがたくさんあることが分かってときめいた。

描きたいねぇ、チカラがあれば…

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博物館に置かれていた夜光貝の貝殻。

匙などの貝細工品は、館内リニューアルのために仕舞われていた。

2019年2月24日 (日)

ボヘミアン・ラプソディ

奄美唯一の映画館シネマパニックで久しぶりに映画を観た。

1階の書店で500円以上の本を購入すると、そのレシートで二人まで割引きしてもらえる。

妻と二人で通常なら3600円のところが2800円で済むわけだ。

さらに、支払いをしている最中に妻が’シルバー割引き 1000円’の表示を見つけて、「わたしシルバーです!」と勝ち誇ったように宣言した。

そうすると、映画代だけなら二人で2400円で済む。

還暦を過ぎて良いこともあるようだ。

割引き分はポップコーンとコカコーラで少しお返しした。

映画館が別の場所にあったときは、毎日のように上映していたし、年会費を払って会員になれば1回1000円で観られるので、しょっちゅう観に行っていた。

今は、土日だけの上映になっていて、会員制度もないようだ。

座席が50席ほどの小さな劇場だが、これまで自分が見た限りでは空席が目立つことが多くて、奄美群島唯一の映画の火がいつか消えてしまうのではないかと心配だった。

今日に限って言えば、ざっと見て40席以上は埋まっていた。

さんざん割引きしてもらっておいて言うのも何だが、どーかどーか、島の映画館が繁盛しますように…

映画は、ロックバンドQUEENのボーカル、故フレディ・マーキュリーの半生を描いたもの。

演奏シーンが何度もあり、中学、高校の頃に聴いていた懐かしい曲が、まるでコンサートのように劇場を満たす。

思わず足でリズムをとってしまう。

ラストの、「ボヘミアン・ラプソディ」から始まるメドレー曲に包まれると自然と涙がこぼれた。

理由が分からない、何故か泣けてきた。

映画が終わって、泣き顔を見られないようにそそくさと外へ出た。

駐車場でパンフレットを手にして次の上映に向かう家族づれとすれ違った。

(いい映画でしたよ)

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(頑張って新しい映画を上映してくれている奄美唯一の映画館シネマ・パニック)