2019年2月23日 (土)

Tシャツの売り場が変わった

ビッグツーに置いているTシャツの販売形態が変わった。

週明けに担当者から、売り場が移動したので見本をいくつか置いてほしいと電話があったので、昨日行って確認してきた。

これまで袋に入れて平積みだったTシャツが、すべて吊るしになっていた。

おろらく、お客さんがサイズ合わせのために袋を開けるので、その後片付けに手間がかかるための措置ではないかと思われる。

なるべくそうならないためにサイズ見本を吊るし、袋にはデザインのカードを差し込んでいたのだが・・・すべての業者のTシャツを一律に吊るしに変更したようだ。

平積みと違って数が置けないことと、ハンガーが自由に移動するので、在庫の確認がとても難しくなったと感じた。

また、梱包されていないので、お土産品としての使われ方も減りそうな気がする。

今後は、デザインの種類と数量を減らして対応しなければならないようだ。

この機会に自分の仕事のあり方を見直そうかとも考えている。

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変化は次のステップへのチャンス・・・になればいいな。

2019年2月22日 (金)

サワーポメロの湯

阿久根からサワーポメロが届いた。

箱には文旦と書かれているので、ボンタン飴のボンタンと同じものだろう。

以前何という名前のミカンか尋ねたら「サワーポメロ」と教えてもらったので、うちではそう呼んでいる。

普通のミカンなら自分で剥いて食べるのだが、このミカンは大きくて皮が厚く、実も切り込みを入れてひっくり返さないと取り出せないので、面倒臭くて自分から手を出そうという気にならない。

剥くのはもっぱら妻の役目だ。

「わたし剥く人、ぼく食べる人」という図は男女平等に反するが、サワーポメロに関してはずっとそうなっている。

実を取り出して皿に盛る端から僕がパクパク食べるので、妻も剥きながら食べながらという作戦に出ている。

カニを食べるほど無口にはならないが、自然と口数が少なくなり二人で夢中で食べている。

甘過ぎず、酸っぱ過ぎず、いつまでも食べ続けられる優しい味だ。

たくさん剥くのでたくさん皮が出る。

とても良い香りを発するのでこれを風呂に入れたらどうかと思い試してみた。

ゆず湯ならぬ、サワーポメロ湯だ。

柑橘系の香りが漂ってリラックスできる。

効用については今度調べておこう。

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2019年2月21日 (木)

小湊集落が一望に

12日のしーまの同行取材で厳島神社を訪れたあと展望台へ上った。

境内の「金子山(かねしやま)青少年の森案内図」の案内板の脇の小道から傾斜のきつい階段を上っていくと見晴らしの良い高台に出る。

(案内版によると階段以外にもう少しゆるやかな遊歩道もあるようだ)

木製の展望台からは、太平洋に浮かぶ喜界島が見え、足元には小湊集落が見渡せる。

山すそに畑が広がっており、1枚の写真では収められない広さだ。

青い屋根の専門学校の奥の方に先ほどたどり着けなかった蘇鉄畑が見える。

あの辺り一帯がフワガネク遺跡の「埋蔵文化財包蔵地」にあたるわけだ。

それをイラストでどう描こうかと思案中。

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2019年2月20日 (水)

本を聴く

本を耳で聴く「audible」というシステムがある。

電子書籍のkindleに続き、朗読を聴くというamazon新しいアプローチだ。

30日の無料お試しというものを何気なく試してみて、聴くだけでも本の内容が理解できるんだと分かった。

欠点をあげるとすれば、本のようにさっと読み返すことができない点だろうか。

家事など単純作業のときにイヤホンで本を’読める’のは、時間を有意義に使えている感じがしてその点でも満足できる。

入会すると毎月1コインが付与されてaudibleのラインナップから1冊購入できる。

コインは実際に1500円を課金されるのだが、それより価格の高い本でも’1コイン=1冊の本’の原則で入手(ダウンロード)できる。

無料お試し期間中にカズオ・イシグロの「日の名残り」を聴き、いったんコインを返却してタイプの違う本が4冊セットになった「Welcom Pack」を聞いた。

スマホのながら読書(聴書)で4冊すべて聞いた。

つまり日常には、それだけの’耳の空き時間’があったというわけだ。

家事をしているとき、庭の草抜きなどの作業をしているとき、耳で聴く読書は効果を発揮する。

目が悪くなって本を読む速度が明らかに落ちてきているので、’新しい読書のカタチ’はそれを補ってくれるのではと期待している。

しかし、毎月1500円の出費はちょっとなぁ…と迷っていたら、昨日Audibleから「新しいコインが使用可能になりました」というメールが届いた。

つまり…お試し期間が過ぎて自動入会となったわけだ。

ならば、積極的に…

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基本的に音楽データと一緒なので、持ち運びが楽だし冊数が増えてもかさ張らない。

ただし、紙の本のように貸し借りができないのがちょっと残念。

2019年2月19日 (火)

あはがらしゃん夜

暗めの電灯でひっそりと生活しているわが家に昨夜は珍しく煌々と明かりが灯った。

一人暮らしをしている叔母の誕生日を祝うために親戚が集ったのだ。

(本当は前日が誕生日だったけど)

娘もケーキをかかえて名瀬から応援にかけつけてくれた。

魚が大好きな叔母のために赤ウルメの唐揚げと手巻き寿司を用意し、煮物、吸い物、サラダと小さなテーブルに載せきれないほどの料理を並べて夜遅くまで賑やかに過ごした。

特に60〜80代のガールズトークは大盛り上がりだった。

話題は昭和の思い出話とか(笑)

もうすぐ赤ちゃんが生まれる妊婦さんもいて、人生の先輩たちから励ましやら脅かしやら色々とアドバイスを受けていた。

僕も自分の子どもが誕生したときのことや子育てに奮闘したことを色々と思い出した。

力の及ばないところは、周囲の助けも借りながらなんとか乗り越えてきた。

反省するべき点はたくさんあるが、結果として、なんとか元気で自立さえしてくれれば親の願いはほぼ満たされる。

こんな集まりに三味の音があれば、島唄の好きな叔母はもっと喜んでくれただろうが、周りでそうしたテディ(技能)を持つ人はもういなくなってしまった。

せめてBGMに島唄か新民謡のCDをかければよかったと後で思った。

叔母はあと10年は頑張るつもりと言っていたけれど、とっても元気なのでまだまだ長生きできるはず。

誕生会にナーツケティ(かこつけて)ヤーバ(家を)アハガラシィタボレ(明るくさせてください)

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ところで、ペットのフクロモモンガにとっては、この夜の明かりと賑やかさはとっても迷惑だったかも。

ただでさえ爪が布に引っかかって外れず、ちょっとナーバスになっていたところなのに…ごめんね。

2019年2月18日 (月)

ギャラリー

13日に奄美パークに行って、「ゆらん郷」にTシャツを納品した。

冬場なのであまり売れていないことは承知していたが、笠利の川上集落まで行く機会があったので、ついでに寄って新しいデザインのものを少し足しておくことにした。

田中一村記念美術館で新しい企画展が始まっていたのでそれも見てきた。

無料で鑑賞できるという気安さもあって企画展は何度も見させてもらっている。

受付嬢の素敵な笑顔に迎えられ、たまには有料の田中一村も見ないと悪いかなと思いつつも…

2015年にこの企画展示室で「島ちゅ6人展・はじめの一歩」という展示会に参加した。

そのとき初めて本格的なギャラリーに作品を飾るという経験をさせてもらった。

大きさの違う作品はそれぞれの中心を横一直線に並べると統一感が出る、と学芸員が教えてくれた。

そんな風に整然と設えられたギャラリーの緊張感が心地よい。

僕が島にUターンした頃、父は額縁店を営んでいた。

店の半分をギャラリーと称して、当時高校の美術教師だったYさんの絵などを飾っていた。

せいぜい6畳ほどの狭い空間ではあったが、父には何か満たされるものがあったのだろう。

こんな立派なギャラリーに連れてくることが出来ていたら…と思う。

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2019年2月17日 (日)

清掃日

今日は、2月の第3日曜日、集落の清掃日だ。

楽しみにしていることは、’待ちに待った’という感じだが、

毎月の清掃日のめぐりは’もう来たか’と感じる(笑)

今回は護岸の清掃といいうことで、浜辺へ降りる階段周辺をきれいにした。

清掃は、冬場は午前8時から9時まで、夏場は午前7時から8時までの1時間行う。

犬がいた頃は毎朝浜辺を散歩していたが、今は清掃日だけだったという月も珍しくない。

何かしら外からの働きがないと人はなかなか動かないものらしい。

僕に限って言えば、の話だけど。

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2019年2月16日 (土)

チキンラーメン!

朝ドラ「まんぷく」の即席ラーメンがついに完成した。

ドラマの中で美味しそうに食べているシーンが何度出てくるので、見ているうちに無性に食べたくなった。

我慢できずにスーパーに行って買ってきた。

昔よく食べてたなぁ…

小学生の時分、給食がない土曜日に配給されていたような気がするが、記憶違いかもしれない。

お腹がすいて、歩きながらボリボリ食べてた覚えがあるのだが?

さっそく買ってきたラーメンを丼に入れてお湯を注いだ。

定番の卵は入れない。

敢えてドラマと同じように麺だけにして、シンプルな「まんぷくラーメン」が食べたいのだ。

お湯をそそいで3分間、蓋を外すとあの独特の香りが鼻孔を刺激する。

ああ、チキンラーメンだ!

完成した即席ラーメンを夫婦が交互に食べていたドラマのように、初めて食べるかのようなテンションで妻と一緒にに食べた。

ズズズッとすするチキンラーメンの味と香りが、忘れかけていたいろんな記憶を引っ張ってくる。

僕は四畳半のアパートでもこれを食べていた。

質素な食事と不規則な生活の中で夢ばかり見ていた…

ありがとうね。

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久しぶりのチキンラーメン、妻と奪い合うようにして瞬く間に平らげた。

まんぷくにならなかったけど、それくらいがちょうど良いのかもしれない。

ごちそうさま。

2019年2月15日 (金)

子宝の神様?

小湊集落の厳島神社を案内してもらった。

フワガネク遺跡とは反対側に位置する金子山に社が置かれている。

案内役のTさんに続き、集落を通り抜けて山すその道に入り、そのまま参道の坂道を駆け上がった。

境内はコンクリート敷きで、社殿の対面に東屋も設けられており、こじんまりとして感じが良い。

全体に古びたところがなく、建立されて間もないことが伺える。

奉献の碑によると昭和55年に建て替えられたようである。

社殿には、木彫りの16体の童子に囲まれた弁財天坐像が祀られている。

御神体が収められていた逗子に寛政三年(1791年)再興と記されていたということなので、今から200年以上も前のものである。

なんと、その坐像を奉納した「大島古見方筆子 恒雲」は、Tさんのご先祖様にあたるらしい。

御神体が女神と童子という組み合わせからだろうか、子宝の神様として信仰されているようである。

実際に子どもを授かった女性がお礼のために再び訪れたという話も伺った。

弁財天は、芸術神、財宝神という性格もあるようなので、16童子のごとく増やせるものなら、僕もいろいろお願いしたいことが…

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2019年2月14日 (木)

ソテツ畑の「記憶」

一昨日、しーまの取材に同行するため小湊まで出かけた。

朝戸のいつもは通過してしまう三叉路を右に折れて小湊集落へ向かう。

山間ではあるが、平地が十分にあるのであまり窮屈な感じがしない。

懐も深く海沿いの集落にたどり着くまでには意外なほど時間がかかる。

集落を案内してくれたのは、定年後に故郷へ戻ってこられたTさん。

取材慣れしているしーまのライターFさんと案内役のTさんの会話に聞き耳を立てるといった感じで情報を収集した。

初めは…

そのうち自分の好奇心を抑えきれなくなり、積極的に質問をし、意見もした。

色々と新しい知識を得られることに少し興奮していたかもしれない。

小湊と言えば、なんといっても「フワガネク遺跡」が有名だが、それが発見されるキッカケとなった奄美看護福祉専門学校の敷地に隣接する蘇鉄畑の痕跡を最初に案内してもらった。

元々は学校の敷地を含めて此処いら一帯が蘇鉄畑であったようだ。

その蘇鉄が群生するはるか昔、6〜7世紀頃にここに大規模な貝製品の製造施設があったと推定されている。

それら地下に眠る遺跡の上に約1000年の重なりを経て蘇鉄畑が広がった…というわけだ。

蘇鉄は集落の人々に多大な恩恵を与えてくれた。

蘇鉄の実や幹は島民の大切な食料や調味料となり、蘇鉄の葉は畑の作物を守る覆いであり、田んぼの堆肥であり、乾燥させて火起こしの燃料にもなった。

これだけの規模の群生があれば集落民の生活は十分賄えたのだろうと思ったが、Tさんの記憶によると他所の地域から舟で蘇鉄の葉など持ち込んでいたということなので、蘇鉄の需要は今想像するよりもずっと高かったのだろう。

蘇鉄が植えられたのは、薩摩の統治時代に畑の境界の目印として使われたのが始まりらしい。

専門学校が建って切り取られた蘇鉄畑の切片が境界を示すフェンスのように奥まで続いている。

無理に頼んで狭い蘇鉄道を中ほどまで進んだが、そこから先はなにやら人様の畑を横切らないと渡れないらしく、途中で引き返した。

”ソテツは恩人”という本を前に読んだことがある。

そのタイトルの元になった瀬戸内町のSさんは、今年1月に亡くなった。

蘇鉄はもう、その過去について語らず、やがて奄美の山々に埋もれていくのかもしれない。

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(この先に今も蘇鉄畑が残っている…らしい)