2019年2月 3日 (日)

新庁舎の見学

奄美市名瀬の新庁舎がついに完成した。

2月1日の南海日日新聞で、紬の柄をイメージしたデザインや近代的な設備を整えた館内の様子を紹介した特集号が組まれていて興味をそそられた。

業務が開始されるのは2月12日(一部は2月18日)からということだが、昨日(2月2日)市民向けの一般見学会が催されたので、早速出かけてきた。

新庁舎は現庁舎と背中合わせのように隣接して建設されている。

半世紀を経て老朽化した庁舎と、誕生したばかりの真新しい庁舎が並んでいるのを見ると、新しい時代へと引き継がれていく象徴的な姿に映る。

「昭和」から「平成」、そしてまもなく新しい元号が始まろうとしている・・・

見学会は10時から15時までの5時間で、その間に市民は自由に立ち入ることができた。

見学が許可されたのは、2階、4階、7階の3フロア。

1階は、公用車の駐車スペースになっている。

2階は、住民票や税金といった各種手続きのための窓口がすべて集約されている。

4階までの吹き抜けの下に椅子が並び、低いカウンターで仕切られただけの広々とした空間は、まるで空港ロビーのような印象を受けた。

各課がぐるりと見渡せるオープンな環境は、市民にとっては利便性を向上させるだろうが、業務を行う職員は一定の緊張を強いられるかもしれない。

見苦しい格好や緩めの仕事ぶりを市民の前に晒すわけにはいかない。

公僕として一層の覚悟を感じる、とても透明性の高いデザインだと感じた。

見学に訪れたおばちゃん達が、職員に「がんばってね」と声をかけていたが、そう励ましたくなるような、全体に市民へのサービス向上を目指している姿勢が感じられる空間になっていた。

4階は、市長や副市長といった要職の執務室と会議室などのフロアだ。

今日ばかりは各部屋の出入りを自由に許され、市長の椅子に座っての記念撮影も行われていた。

滅多にない、というか、ほぼ絶対にないことなので、それぞれ”一瞬の市長就任”を楽しんでいた。

7階は、議場と議員の控え室のフロアになっている。

ここでもにわか議員たちが好き好きに座って記念撮影を楽しんでいた。

傍聴席は8階からしか出入りできないようで、今回立ち入ることはできなかった。

以上で見学終了。

ところで、トイレをまだ見ていないと気づいて確認したら、3階だけ使用できるとのこと。

特に尿意を催してはいなかったが、絞り出すようにして小便をした。

新庁舎が気にいったので、いわばマーキング(笑)

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でも、そもそも市民じゃないんだよね。残念。

そして、お邪魔さまでした。

2019年2月 2日 (土)

HPが更新できない問題

いつだったか定かではないがホームページのようなものをこさえた。

HTMLの知識がなくても簡単に作れるということで「ホームページV3」というソフトを使った。

しばらくはそれを使っていた。

一昨年、OSが古くなってサポートされなくなったのを機にパソコンをウィンドウズからマックに変えた。

過去にMacを使っていた時期もあったのですぐに慣れると思っていたが、Windowsに浸かっていた時間が長すぎたのか、Macの操作になかなか馴染めなかった。

一番困ったのはこれまで使っていたすべてのソフトが使えなくなったこと。

パソコンを動かすOSが違うのだから当然なのだが、あらためてマック用のソフトを揃えるのはけっこう痛かった。

マックでも「ホームページV3」を使用するつもりでいたが、このソフトのマック版はないことがわかった。

そもそも、この会社の製品はほぼすべてがウィンドウズ仕様だった・・・。

慌ててマックで使えるソフトを探したが、数がそんなに多くない上に高い!

困ったときのamazon頼みで「LIVE」なる中古ソフトをまあまあいい値段で購入したのだが、ソフト自体が古すぎたのかまともに動かなかった。

同じマックのソフトでもOSのバージョンが違うと動作しなくなる。

今度はアップルストアから「Sandvox」を購入した。

現在使われているソフトだから大丈夫なはずだったが・・・

今度は使い方が分からない問題に直面。

操作パネルは日本語で表記されているが、使い方を示したビデオはすべて英語だし、ネットで調べても日本語で書かれたマニュアル本は見当たらなかった。

試行錯誤しながら勘で動かしていくか、と覚悟して、とりあえず作り始めたが、以前のソフトで出来ていたことがまったく再現できずにフラストレーションが募って挫折した。

悩んだ末に、とりあえず最新のOSが搭載されたWindowsパソコンをできるだけ安くで購入して、しばらくはそれでホームページの更新をすることにした。

必要最低限の条件を満たした最新で最低価格のパソコンを探しに探して、DELLのノートパソコンをクーポン使用で3万円弱(消費税・送料込み)で購入できた。

さあこれでいつでもホームページの更新ができるぞと安堵したのだが、このノートのスペックがショボくてとにかく反応が鈍い、動作が遅すぎる。

必要最低限でいいと思っていたが、さすがに最低限すぎたか⁉️

最近は触ることも少なくなり、ほぼHPを更新できていない状態が続いている。

H(ほったらかし)P(ページ)に成り下がってしまった。

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違う話だけど、英語が分かるとけっこう便利なことが増えると思う。

いろいろ妥協しないためにも勉強してみようかな・・・

2019年2月 1日 (金)

カトクの浜が変だ

嘉徳小学校跡地の美術館を出て浜へ行ってみた。

バスの停留スペースを抜けて浜辺へ近づくと眼前に海が・・・あれ?

以前はアダンのトンネルをくぐって浜へ出たはずだったが?

アダンの茂みが消えていた。

わずかに残ったアダンの脇を抜けて浜へ踏み出すと砂浜がいきなりドンと落ち窪んでいた。

まるで線を引くように、段差にずらりと土嚢が並べられている。

下から眺めると何かまずいことが起こりつつあるような不穏な光景に映る。

散乱している漂流ゴミの多さもそう感じさせた要因かもしれない。

浜辺を歩きながら集落と浜との境界に植わっているアダンの防風林を見ていった。

新聞でアダンの根を支えていた砂が消えたと報道されていたからだ。

どこがそうかと思っていたら、すべてそうだった。

おそらく、あの土嚢が積まれた段差の分だけ丸ごと砂が消えてしまったのだ。

”砂”という言い方は生易しいかもしれない、印象としては、浜そのものが欠けてしまっていた。

新聞には台風のせいと書かれていたように思うが、台風なら遥か昔から何度となく上陸したはず。

短期間でこれだけの変化が起こったのには、他に何か理由があるのではないだろうか?

いずれにしても、記憶にある広い広いカトクの浜はもう戻ってこないのかもしれない。

今度こそと世界自然遺産登録に向けて機運が高まる一方で、肝心の自然が縮んでいってはいないだろうか?

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2019年1月31日 (木)

辺ぴで静かで小さな美術館

数日前に寒中見舞いという形で画家の堀晃(ほりひかる)さんの訃報を知らせるハガキが届いた。

亡くなられたのは今年の1月1日とのこと。

堀晃さんは山口県出身の画家であるが、新しい創作拠点を求めて奄美大島の瀬戸内町・嘉徳集落へしばらく移住していた。

2005年〜2015年にかけて約10年間、廃校となった小学校をアトリエとして活動されていた。

その間は山口と奄美で半年ずつ過ごされていたよう。

初めて氏の作品に触れたのは2009年12月に田中一村記念美術館で催された個展だった。

その時点では堀さんが身近な瀬戸内町に住まわれていることをまったく知らずにいた。

2013年に子どもマンガ教室を主催している福島さんの紹介で初めて嘉徳のアトリエを訪れて、堀晃さんと奥様にお会いした。

コーヒーをいただきながら、その席で「カトク芸術豊年祭」の企画について聞かされ、地元からも参加して欲しいんだけどねぇ、どう参加しない?と水をむけられた。

あとで冷静になって考えると、”地元のアーティスト”というニュアンスであったはずで、瀬戸内町には油彩や写真などの芸術活動をされている方は何人もいたはずである。

堀さんがどれだけ実績のある著名な画家であるか、また、イベントに参加される他の方々がそれぞれにどれだけ活躍されているか、知っていれば即座に断っていただろう。

そのことを認識している賢明な方々が遠慮して穴が埋まらずにいたところにおっちょこちょいの僕がはまりこんだというのがおそらく真相だろう。

思い返しても恥ずかしい限りだが、アーティストとはほど遠い僕と作品を気持ちよく受け入れてくれた堀さんご夫婦と参加された芸術家たちには感謝している。

訃報に接してからしばらくして、嘉徳の美術館は今どうなっているだろうかと気になった。

それで、久しぶりに行ってみることにした。

旧国道から嘉徳集落に向かう分岐点にはまだ「カトク美術館」の小さな看板が立っていた。

集落に向かう急傾斜の道を下りながら、数カ所に鉄のフェンスが並び工事車が出入りしているのに驚いた。

自衛隊のミサイル基地関連の建設はかなり広範囲で行われているようだ。

堀さんがこの光景を見たらどう思っただろうか?

集落の奥まった場所にある学校跡地は変わらずきれいに手入れされていた。

今は、「辺ぴで静かで小さな美術館」の敷地になっている。

イベントが行われた校庭をしばらく眺めながら色々思い出した。

美術館の中に入るとこじんまりとして静謐な空気が漂っている。

中央に以前はなかった机と椅子が置かれていた。

肉体を離れた魂が自由になるのであれば、今は山口と奄美を易々と往来しているかもしれない。

椅子に腰掛けてタバコをくゆらせているのかも。

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2019年1月30日 (水)

そこはもう瀬戸内町

”越境の長いトンネルを抜けると港町であった”

「雪国」風に言うならこんな感じで奄美市から瀬戸内町へ入っていく。

奄美最長の網野子トンネル(4243m)は、奄美市住用町と瀬戸内町網野子集落を跨って伸びている。

トンネルを出ると山間からぽっと海辺へ出ていくような印象である。

瀬戸内町に住む者にとっては見慣れた光景だが、ここまでたどり着くと、よし帰ってきたと安堵するのではなかろうか。

奄美大島の南側のスカートを広げたような一帯が瀬戸内町。

東端のヤドリ浜から西端の西古見まで正確に何キロか分からないが、リアス式海岸に沿って走る曲がりくねった道は想像以上に距離がある。

道沿いに見える海は大島海峡。

その向こう側に蓋をするように東西に伸びている島が加計呂麻島。

さらにその向こう側には請島、与路島がある。

これらの島々をつなぐフェリーや海上タクシーが住民の往来と生活を支えている。

この海囲いのだだっ広いエリアが瀬戸内町。

奄美大島で1番、県では2番目の長〜いトンネルを抜けて瀬戸内町へ・・・たまにはどうぞ。

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2019年1月29日 (火)

「城大師」とは何者ぞ?

「城大師堂 500m先」

住用町城(ぐすく)の国道脇に立つこの看板がずっと気になっていた。

正体は謎だが、城大師なるものがこの奥で祀られていることは想像がつく。

そのうち確かめてみようと思いながら、なかなか”そのうち”が掴めずにいた。

山に伸びる見通しの悪い道に何となく不安感があったのだ。

昨日の午後そこを通ったとき、ようやく決心して看板の道へハンドルを切った。

狭くガードレールもない道ではあったが、ちゃんと舗装されていて人の気配も感じられた。

途中で道が二又に別れていて、社があるなら山上だろうと左の山側を選択した。

はたしてやがてそこに赤い鳥居が見えた。

鳥居の上には「弘法大師堂」と書かれている。

弘法大師って、あの弘法大師?「弘法にも筆の誤り」のあの・・・?

意外な感じがしたが、脇の看板にちゃんと「弘法大師」との説明書きがされている。

それによると、弘法大師とされる坐像が戦前から伝わっており、それを平成22年に集落で祠に祀ったという次第。

どうして弘法大師の坐像が伝承されてきたのか、その所以は明かにされていなかった。

鳥居をくぐって細い階段を上っていくとさらにまた赤い鳥居が立っていて、そのすぐ先にこじんまりとした赤いトタン張りの祠があった。

祀られている坐像を拝見したかったのだが、扉が閉められていて角材の閂がかかっていた。

扉には2つの覗き窓が設けられているが、劣化なのかいずれも曇っていてはっきりと中を見ることはできない。

閂は簡単に持ち上げられそうであったが、さすがにそこまでする気持ちにはなれなかった。

扉を閉じて祀られているものを興味本位で暴くような真似はしたくない。

なので、「城大師」の坐像がどんなものであるかを知ることはできなかった。

ただ、ずっと気にかかっていた謎をひとつ解けて満足した。

これでわだかまりなく城の道を通過できるはず。

そういえば、「奄美大島の口承説話(田畑千秋著)」にも弘法大師の話がいくつも出てくるが、どうして奄美にそんな話が伝わっているのだろう?

新たな謎だ。

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2019年1月28日 (月)

井戸の底を掻きつつ

溜まっていた新聞記事の切り抜きがようやく終わった。

挿絵の資料として始めた作業だったが、一所懸命になりすぎて少々くたびれてしまった。

記事の切り抜きをしながら具に読んでいたので思ったよりも時間がかかってしまった。

具体的には何もアクションを起こしていないが、なんとなく進展したような気分になっている。

少しは知識が増えたと思うが、日本史の試験の前に分厚い歴史小説を読んだみたいな、努力した割には実際に役立つ感じがしない不安感もありながら。

奄美の歴史や文化について様々に書かれている書籍や新聞のコラムなどを読むにつけ、ああ〜こんな深い知識が自分にもあれば!と、羨ましく感じている。

遅まきながらも、もっとしっかり勉強して必要とする知識を蓄えていかなくてはという焦りが当然あるが、この凡庸な頭をそれなりに満たす頃にはどれだけの時間を要するか想像もできない。

だから知識の自転車操業、インプット即アウトプット。

地下水をなみなみ湛えた井戸なら澄んだ水を易々と汲み上げられるだろうが、底石の見える今にも枯れそうな井戸では砂も混じろうというもの。

書籍やネット等の媒体を通して専門家たちの知識にすがりながら、

少し水を溜めては、確信の持てない不純物を含みながらせっせと汲み上げている有様だ。

「アサジエに つるべ取られて もらい水」

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2019年1月27日 (日)

スロット値引きの誘惑

奄美大島に1箇所だけ(もしかしたら他に知らないだけかもしれないが)、セルフ給油のスタンドがある。

Tシャツの納品などでそこをよく通るのでときどき利用していたが、セルフになってからは給油する機会が断然増えた。

一番の理由はガソリン代が必ず値引きされること。

”必ず”という言い方は、給油後にスロットゲームがあり、1等から5等まで段階的に値引きしてくれるからだ。

最低の5等でもリッター2円の値引きをしてくれる。

給油サービスの人件費を抑えてその分を少し還元しているのだろう。

雇用の観点からするといくらか問題を孕んでいるようにも思うが、ガソリン代を少しでも節約したい利用者からすると”背に腹”ということになる。

加えて、給油後のスロットの出目次第で値引額が決まるというギャンブル性?も利用率を高めている理由だろう。

「いっくよー!」の声とともに回転するスロットを止めるとき、なにか運だめしのような気分になる。

一応ハズレはないので、おみくじで言えば「大吉」〜「末吉」程度の喜怒哀楽の振れ幅になる。

直近のスロットくじは、久々の「大吉」だった。

そうなると気分よく他の買い物で無駄遣いをしてしまうので値引分はたちまち消えるのだが。

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2019年1月26日 (土)

あの名作を100円で!

水曜日は仕事の打ち合わせで、昨日は商品の納品でと、続けて名瀬方面へ出かけた。

龍郷のビッグツーにその都度寄った。

店の出口を通るときに一瞬目に入った映画のパッケージと100円の文字に足が止まり、後ずさりするように戻って確かめた。

出口のすぐ左脇の棚に名作のタイトルがずらりと並んでいる。

しかも、1枚100円!消費税入れても108円!

過去に著作権が切れた名作シリーズが500円で市場に出た時にうれしくて買い漁ったが、それよりもはるかに安い価格で出てきたのだ。

ビデオテープやDVDを1タイトル数千円で買っていた頃と比べたら隔世の感というか・・・いい時代になったなぁ。

さすがにパッケージは紙製の安っぽいものだが中身は同じはず。

とりあえず3枚だけ購入した。

あまりに安いのでちゃんと映るかどうか確かめてから・・・

「シェーン」を観てみた。

画面は見慣れたワイドサイズではなく、昔のテレビ画面のような比率だったが、これは当時の映画の基準がそうだったのだろう。

画質は特に悪くなく十分満足できた。

そして、金曜日に再びビッグツーへ行くと棚にディズニーのアニメ作品が追加されていた。

ディズニー作品は、子どもたちがまだ小さい頃にビデオや絵本をよく買っていた。

懐かしてまた数枚購入した。

資料としてもいろいろ役立つので手軽に揃えられるのは嬉しい。

個人的にはこうした低価格化はとてもありがたいことだが、映画製作〜DVDの販売・レンタル会社等の関係者は大変かな。

そう気にかけつつも、昔の怪獣映画とか時代劇も出してくれないかな・・・と。

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子どものときに初めて観た映画が白黒の時代劇「怪傑黒頭巾」だった。

あれから半世紀以上経った今もう一度観てみたいと思っているのだが・・・

2019年1月25日 (金)

灯はぼんやり灯りゃあいい

我が家は普段とにかく暗い。

住人はともかくとして照明はほぼ電球色で暗めなのだ。

家中のすべての電灯をつけてようやく一般的な家庭の明かりに近づけるかどうか?

夜にお客さんが訪ねてくる以外はそうした明かりをつけることはないので、普段の夜はぼんやりした明かりの中でぼんやりと過ごしている。

そうした生活にもうすっかり慣れているので居心地はとっても良いと感じている。

ある日、仕事机の上にある電灯の傘が割れてガラスの破片が机の上に散乱した。

しばらく裸電球のまま使い続けていたが、眩しく感じたので傘をつけることにし、ネットで調べて自作してみた。

百均で麻紐とゴム風船を買ってきて、膨らませた風船に麻紐をぐるぐる巻きにして木工ボンドで固めて、乾燥後に風船を割った。

とっても簡単な方法で鳥の巣のような照明カバーができた。

これでこっちも柔らかな灯りになった。

煌々とした明かりで家の隅々まで照らされていると全方向に意識が向いてちょっと疲れてしまう。

ぼんやりした明かりならゆったりした気持ちで過ごせる。

舟唄ではないが、その方が家で飲むお酒も旨いような気がする。

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仕事も集中しやすい、ということを付け加えておこう。