2019年1月 4日 (金)

しばらくゴミと暮らす

12月27日の朝にゴミ出しをして次にゴミ出しできるのは明けての1月7日だ。

年末の掃除にからむ一番ゴミが出る時期をはさんで11日分のゴミを家にとどめておかねばならない。

現段階で大きなゴミ袋が3つ溜まっている。

地区ごとに収集の曜日が定められていて、タイミングが良いところは今朝回収されたはずである。

僕の住む地区は土日を挟んで月曜日にやっと順番が巡ってくる。

おせちなどほとんど食べ尽くしたのであまり生ゴミの匂いがしないのがせめてもの救いだ。

ともかくしばらくは黄色いゴミ袋たちと一緒に過ごさなければならない。

こんな状況が町中にあるのだろうから年始の収集はさぞかし大変なことだろう。

ゴミの収集も水や電気と同じくストップするとその有り難さに気づく。

缶コーヒーのCMで「世の中は誰かの仕事でできている」というのを聞いた時に言い得て妙!と膝を打ったが、これもまたそうである。

買ったものはいずれ必ずゴミになる。

環境問題などがいろいろ言われ出してからほとんどの人は消費に多少のためらいが生じているのではないだろうか。

”一生ものの良いものを買って大事に使う”のが賢明な方法なのだろうが、良いものは総じて高い。

僕らボンビー庶民はとりあえず安いものに手を出してゴミを出し続けている。

なんとか暮らしを改善してそのジレンマを捨てたい。

Dsc_0002

(昨年12月最終処分場へゴミ捨てに行ったときのもの)

2019年1月 3日 (木)

あんこ愛

たまたま大型スーパーで見つけた「あんトースト」にハマって、名瀬に行くたびに買い求めていた。

わざわざ用事リストにメモするほど忘れてはならない大事な買い物だった。

しかし、元々の入荷数が少ないのか度々売り切れていた。

初めてお客さまのご意見板に「あんトーストをもっとたくさん入れてほしい」とリクエストした。

しばらく買えずにあんトーストロスが続いていたある日、ふと、食パンにあんこを塗れば同じではないか?と思いついた。

トーストした厚めの食パンにくだんのパンと同じように切り込みをいれて粒あんをたっぷりと塗り込め、バターを塗りたくる。

見るからにカロリー高めの自家製あんトーストの出来上がりだ。

苦めのコーヒーと甘いあんトーストの相性が抜群。

もう2年ほど毎日朝食代わりに食べている。

たまに3時のおやつにもなる便利なやつだ。

おかげであんこが入っていないスカスカの商品に当たってがっかりすることもなくなった。

パックや袋に詰められた砂糖たっぷりのあんこが数週間で空になるのは、ちょっと考えると恐ろしいことだが、市販されているスイーツだって大体そんなものだろう。

何よりも朝起きた時にあんトーストとコーヒーを思い浮かべるだけで地味にテンションが上がるのだ。

Dsc_0172

最初の頃は、食パンを冷凍保存するときにパン同士がくっつかないようにいちいち個包装していたが、買ったまま袋ごと立てて冷凍すればくっつかないことも分かった。

知恵もついた。

2019年1月 2日 (水)

火の用心

たとえばお湯を沸かそうと火をつけたらコンロのそばに立ち続けてお湯がたぎるのを待っていたりは、しない。

たいがいその場を離れて何かほかのことをする。

近くにいるのなら大丈夫だろうが、火の気配を感じられないところまで離れてしまうと問題だ。

何かに気を取られて火をつけていることを忘れてしまう恐れがある。

若い頃は滅多になかったことだが、だんだん歳をとってくると脳のどこかが弱ってくるのだろう、そのことをすっかり忘れていたということが増えてくる。

平成28年の12月に新潟県糸魚川で起きた大火災も火をかけたままその場を離れてしまったことから起きた事故だった。

テレビ中継で火災の様子を見ながらとても人ごととは思えない恐怖を感じた。

そのときから火をつけていることを忘れないようにする道具を使っている。

道具というと何やらスマートな感じもするが、ただの手書きのカードだ。

火をつけたら台所の壁にかかっているそのカードを首からさげる。それだけ。

Dsc_0166

はっきり言ってこれを下げている姿は格好悪い。

そこがミソだ。

邪魔にならぬよう小さくしてオシャレに手首につける、とかではダメなのだ。

首からこの札をぶら下げている違和感バリバリの状態だから意識できる。

仮にその状態で外へ出て誰かに会えばきっとその人が指摘してくれる。

格好悪いが効果は抜群である。

あれから一度も鍋を焦がしたりはしていないのだから。

2019年1月 1日 (火)

新しい一年が始まりました

12月のカレンダーの日付に印を入れて残り何日と確認しながら今年こそはきちんと締めくくろうと思っていたのだが

いつの間にか日付の消去も追いつかぬほどバタバタと時が過ぎてしまっていた。

おまけに急な仕事がいくつか舞い込んで予定していた自分の身の回りのことはあまりできなかった。

年内に整理しようと思っていた資料の山、衣類の山、処分できなかったガラクタの山・・・に囲まれながらついにテレビの除夜の鐘を聞き2018年を終えた。

それはともかく、年が明けたのだから気持ちを新たに初日の出を見に出かけた。

しかし、空は厚い雲に覆われていて太陽は顔を見せなかった。

でも、今年はきっと良い年になるはず。

そう決めた。

手を合わせて祈ることはしなかったが、いくつもの誓いを胸におとしながら東の空を見ていた。

色々と出来そうな気がしていた昔と違って、そんなにたくさんのことは出来ないんだねと見切った最近の自分。

少しずつ余分な荷物をおろしていこうと考えている。

どんな仕事も拒まずにがむしゃらに頑張っていれば自ずと道が拓けていくように感じていたりもしたが、自分の仕事は量産が出来ないのだから薄利多売はありえないという当たり前のことに最近ようやく気がついた。

短い納期で安くたくさんの仕事をこなすことは無理なのだと。

できる限り、じっくり取り組んで自分がちゃんと納得できる仕事をしたい。

それが出来そうにない仕事は引き受けるべきではないのかもしれない。

身の回りのものも減らしていきたい。

終活にはまだ早すぎるが、いつの間にか溢れてしまったモノたちを整理して身の丈に合わせた落ち着いた環境に身を置きたい。

流されないようにしたい。

初日の出は見られなかったけど、雲の切れ間からいくつもの天使のはしごが伸びていた。

今日の相田みつをさんの日めくりの言葉は「いまから ここから」

Dsc_0159

元日の僕はなんか殊勝。

2018年11月27日 (火)

久しぶりに転倒

そろそろしないとやばいよなあと思いつつ1年以上先延ばしにしていた壁のペンキ塗りにやっと手をつけた。

強い日差しと風雨にさらされて特に台風時に海岸の砂が飛来する南側の壁はすっかり色落ちしていた。

高いところは脚立に登って作業をするが、最初のうちは体がまだ慣れない感覚があって用心しながら慎重に登り降りしていた。

だんだん体が馴染んでくると少し早く動けるようになった。

少しずつ脚立の位置をずらしてペンキの容器と刷毛を片手に持ってほいほいと脚立を登っていたら・・・

ぐらりと突然脚立が傾いてあっという間にひっくり返ってしまった。

ペンキを地面にぶちまけたがせめて頭にかぶらなかったのが幸いだった。

脚立の下敷きになりながらしばらく固まってどこか痛いところはないかすばやく探ってみたが、特に負傷したところはなさそうだった。

大相撲の千秋楽、優勝決定戦に進めるかどうかの大事な一番で高安が御嶽海を攻め立てながら土俵際でひっくり返されたときそのままの格好で身じろぎもせずに空を見つめていたあの姿。

一瞬何がおこったのか頭が体にゆっくり追いついてくる感覚。

少年の頃に何度か経験した変に懐かしい感覚だった。

ただし年を経た今は筋肉の痛みはすぐにはこない。

一日経って今痛い。

2018年11月26日 (月)

南島雑話の展示会

11月10日久しぶりに奄美博物館へ行ってきた。

駐車場に車を停めてまず驚いたのが文化センターの敷地にあった高倉が全部なくなっていたこと。

台風24号で壊滅的な被害を受けたらしい。

文化センターを訪れた目的は「南島雑話」展を見るため。

貴重な写本なども展示されていたが展示物の撮影は禁止だったので写せなかった。

なので看板だけ。

Dsc_1405

絵の中には北斎漫画を手本にしたようなものもあり、薩摩の武士がどうやってそれを入手したのかちょっと興味をそそられた。

名越左源太は単なる遠島だったのか?

島のあらゆる面を詳細に記録したのはもしかしたら何らかの目的があったのでは?

同じようにして近世の奄美の様子を描いて比較できたら面白いものができるかもしれない。

2018年11月22日 (木)

瞑想の時間⁉️

LEDのランタンをamazonで購入した。

防水タイプだったので玄関口にでも置こうかと思っていたが、控えめなのかナルシストなのかは分からないが自身を照らすだけの光量しかなかったので照明としての使い方は諦めた。

でも、アンティークなデザインと炎がゆらめくような光り方が気に入っているのでがっかりはしていない。

ただでさえ暗めの我が家の照明をさらに落としてランタンに灯を灯し、しばし暗隅に身を沈めて過ごしている。

なんだか力が抜けて呼吸がとても穏やかになる。

瞑想の心持ちってこんか感じなのだろうか?

Dsc_1414

だけど、ホラー映画を見たあとはやらない。

2018年11月21日 (水)

「奄美を描く美術展」見てきた。

そのうち行こう行こうと思っているうちにとうとう展示最終日となった11月18日(日)にもう後がないとようやく出かけて行った。

「最近はわざわざ見に行くほどの作品が少なくなった」というような意見も周囲から聞こえていたが、実際に見てみて僕の中では十分見応えのある展示会だった。

自分の技量を棚に上げて言わせてもらうなら確かに珠玉混合といった感がなくもないが、特定の画家の作品を鑑賞するのと違い様々なアーティストの様々な表現方法に触れることができて大いに刺激を受けた。

展示最終日の午後ほかに訪れる人はほとんどなく、しばし創作のエネルギーに包まれる幸せな時間を過ごすことができた。

Dsc_1438

2018年7月15日 (日)

脱水はこわい

数日前に熱中症(と思われる状態)で倒れた。

外で作業をして汗をかき、そのあと工房でヒートプレス機を使って汗をかき、

タオルで汗をぬぐいながらこまめに水を飲んでいたのだが・・・

作業中に何度かふわりと目眩がおこり、ヤバそうだなと感じてエアコンの効いた和室に逃げ込んだ。

目を閉じていても波が打ち寄せるようにぶわんと強い目眩を感じ気分が悪くなっていった。

たまらず這うようにしてトイレへ行き吐きまくった。

そのあとしばらくは玄関でうつぶせになったまま動けず。

ほおに伝わる床の冷たさが気持ちよかった。

長い時間をかけて和室へ戻り横になっていたが、なかなか気分が回復しない。

足が引きつり、ストローで水を飲もうとしても気分が悪くなって飲み込めない。

たまたまその日に帰省した娘には衝撃的な出来事だったろう。

病院へ行こうと促されたが、もう1ミリも動く気にならない。

いよいよとなったら救急車を呼ぶか・・・着替えておけばよかったなと思いつつ

うんうん唸りながら時間が経つうちに少しずつ体が楽になっていった。

その日はそのまま和室で眠った。

娘がずっとそばで様子を見ていてくれたようだ。

そして薬局でOS-1やポカリをたくさん買ってきてくれた。

これまで、いざとなれば何とかして自力で病院へ・・・と思っていたが、

とんでもない、無理だ、とわかった。

動けなくなる。

あのとき、一人暮らしの老人はこうやって静かに死んでいくんだなと感じた。

今、あつものに懲りてなます・・・ではないが、少し動いて汗がにじんだら水分をとるようにしている。

脱水あなどるなかれ。

Dsc_0778

2018年7月 1日 (日)

うれしかった

これまで結婚や葬儀など人生の節目で大いに助けてくれた存在が同窓生だった。

たまたま同じ歳に生まれて同じ学校で学んだというだけで「ドゥシ」という特別な仲間として受け入れてくれる。

少し前には同窓の遠足にも参加させてもらった。

そうしたイベントの計画や手配を文句も言わずに引き受けてくれる同窓生がいる。

同窓生自身やその身内に不幸があったときに仕事を休んで葬儀のサポートをする同窓生がいる。

それに引き換え何も協力できていないと感じている自分は彼らの頑張りに頭が上がらない。

だから同窓生や同窓会に何か発言することなど憚られ、同窓のグループLINEにも声をだすことはほとんどなかった。

ある日、数年前に同窓会のTシャツをつくる話が持ち上がったときに書き留めていたデザインのアイデアメモが見つかった。

そのとき当初同窓会のTシャツのつもりでいたが、そうではなく、あくまでも買う買わないは個人の判断でと釘を刺されてなんとなく尻すぼみになってそのままにしていたものだった。

あと少しで還暦を迎える身となった今改めてそのアイデアを形にしてみようと思い、干支をモチーフにして子年をアピールするイラストを描いた。

”同窓会のTシャツ”という意識はまったくなく、同窓生の中でもし気に入ってくれる人がいたら安くで提供しようという気持ちだった。

芸術的な分野でのスキルが高く良き理解者だと(僕が勝手に)思っている同窓生にアドバイスをもらおうと思ってそのTシャツを見てもらった。

すると、すぐさまそれを同窓のLINEに掲載して賛同者を募ってくれた。

その時点では思いがけない展開にとまどいながらも嬉しかった。

しばらくして、同窓の女子から早生まれの丑年もイラストに加えてほしいというリクエストがあり、LINEにあげてくれた同窓は僕の負担を気遣って無理しなくていいと言ってくれたが、僕自身は逆にデザインに真剣に反応してくれた人がいることがうれしかった。

まず丑年をメインにしたデザインを作った。

でも、「一緒がいい」というリクエストがあり、メインとサブに分けた3つのデザインを作った。

それをくだんの同窓にLINEにアップしてもらい一区切りついた。

しかし、同窓生として一緒になっている者がまちまちのデザインのTシャツを着ることへの違和感がその後ずっとあって、仕事で名瀬に向かう車の中で突然あるイメージが閃いて、車を停めて同窓LINEにTシャツのデザインをやり直す旨を発信した。

橋渡しになってくれている同窓にはその後で電話を入れて勝手な行動をわびた。二転三転する事態を誰かに伝えさせるのは申し訳ないので自分が当事者になろうと思ってしたことだった。

その2日後に子と丑が一緒になったデザインを発表した。

なんとかなった。寝不足で頑張った甲斐があったと自分の中では満足していた。

思いも伝えたくてデザインについての説明もつけた。

しばらくして肯定的なメッセージがいくつかLINEに並んだ。うれしかったが積極的な返信はためらわれた。

賛同してくれる人ばかりではないはずだ。それはどんなケースでも必ずある。

そういう人にとってLINEでこのやりとりが続くのは不愉快かもしれない・・・

だからそこでは反応しなかったけど、うれしかったありがとう。

だけど、そのあとTシャツの申し込みはほとんどなかった。

たまたま町で会った同窓から声をかけられたり、前から申し込んでくれた同窓の分だけだった。

実は最近良かれと思ってしたことが何の反応も得られずにもしかして迷惑だったのでは?と後悔したことがあった

母の出身集落の豊年祭が100回目になるのを知って記念のつもりでビデオに撮った。

それを編集して50枚のDVDに焼いて会長に預けた。

自分では良いことをしたつもりでてっきり喜んでもらえるものと思っていたが・・・

集落の区長からも他の出身者からも何の反応もなかった。

とりわけ感謝の言葉を期待していたわけではなかったが、まったく無反応というのは正直堪えた。

きっと何か余計なことをしたんだ。馬鹿だな俺・・・と後悔した。

だから今度も”やっちまったか⁉︎”と、少し悔やみ始めていた。

ついさっきまで。

今夜ふいに同窓女子からLINEでTシャツの注文がいっぱい入った。

えっ、いいんだ? 賛同してくれたんだ?と思ってすごくうれしかった。

「みんな楽しみにしてるよ、みんな喜んでいる」とまでメッセージを送ってくれた。

スタンプで何気なく返信したけど、本当はすごくうれしかった。

だから、久しぶりにブログに書くことにした。

同窓LINEにくどくど書けないし、会って感謝も言えないので、何かの拍子に見るかもしれないこのブログで伝えておきます。

みんな ありがとう。