うれしかった
これまで結婚や葬儀など人生の節目で大いに助けてくれた存在が同窓生だった。
たまたま同じ歳に生まれて同じ学校で学んだというだけで「ドゥシ」という特別な仲間として受け入れてくれる。
少し前には同窓の遠足にも参加させてもらった。
そうしたイベントの計画や手配を文句も言わずに引き受けてくれる同窓生がいる。
同窓生自身やその身内に不幸があったときに仕事を休んで葬儀のサポートをする同窓生がいる。
それに引き換え何も協力できていないと感じている自分は彼らの頑張りに頭が上がらない。
だから同窓生や同窓会に何か発言することなど憚られ、同窓のグループLINEにも声をだすことはほとんどなかった。
ある日、数年前に同窓会のTシャツをつくる話が持ち上がったときに書き留めていたデザインのアイデアメモが見つかった。
そのとき当初同窓会のTシャツのつもりでいたが、そうではなく、あくまでも買う買わないは個人の判断でと釘を刺されてなんとなく尻すぼみになってそのままにしていたものだった。
あと少しで還暦を迎える身となった今改めてそのアイデアを形にしてみようと思い、干支をモチーフにして子年をアピールするイラストを描いた。
”同窓会のTシャツ”という意識はまったくなく、同窓生の中でもし気に入ってくれる人がいたら安くで提供しようという気持ちだった。
芸術的な分野でのスキルが高く良き理解者だと(僕が勝手に)思っている同窓生にアドバイスをもらおうと思ってそのTシャツを見てもらった。
すると、すぐさまそれを同窓のLINEに掲載して賛同者を募ってくれた。
その時点では思いがけない展開にとまどいながらも嬉しかった。
しばらくして、同窓の女子から早生まれの丑年もイラストに加えてほしいというリクエストがあり、LINEにあげてくれた同窓は僕の負担を気遣って無理しなくていいと言ってくれたが、僕自身は逆にデザインに真剣に反応してくれた人がいることがうれしかった。
まず丑年をメインにしたデザインを作った。
でも、「一緒がいい」というリクエストがあり、メインとサブに分けた3つのデザインを作った。
それをくだんの同窓にLINEにアップしてもらい一区切りついた。
しかし、同窓生として一緒になっている者がまちまちのデザインのTシャツを着ることへの違和感がその後ずっとあって、仕事で名瀬に向かう車の中で突然あるイメージが閃いて、車を停めて同窓LINEにTシャツのデザインをやり直す旨を発信した。
橋渡しになってくれている同窓にはその後で電話を入れて勝手な行動をわびた。二転三転する事態を誰かに伝えさせるのは申し訳ないので自分が当事者になろうと思ってしたことだった。
その2日後に子と丑が一緒になったデザインを発表した。
なんとかなった。寝不足で頑張った甲斐があったと自分の中では満足していた。
思いも伝えたくてデザインについての説明もつけた。
しばらくして肯定的なメッセージがいくつかLINEに並んだ。うれしかったが積極的な返信はためらわれた。
賛同してくれる人ばかりではないはずだ。それはどんなケースでも必ずある。
そういう人にとってLINEでこのやりとりが続くのは不愉快かもしれない・・・
だからそこでは反応しなかったけど、うれしかったありがとう。
だけど、そのあとTシャツの申し込みはほとんどなかった。
たまたま町で会った同窓から声をかけられたり、前から申し込んでくれた同窓の分だけだった。
実は最近良かれと思ってしたことが何の反応も得られずにもしかして迷惑だったのでは?と後悔したことがあった
母の出身集落の豊年祭が100回目になるのを知って記念のつもりでビデオに撮った。
それを編集して50枚のDVDに焼いて会長に預けた。
自分では良いことをしたつもりでてっきり喜んでもらえるものと思っていたが・・・
集落の区長からも他の出身者からも何の反応もなかった。
とりわけ感謝の言葉を期待していたわけではなかったが、まったく無反応というのは正直堪えた。
きっと何か余計なことをしたんだ。馬鹿だな俺・・・と後悔した。
だから今度も”やっちまったか⁉︎”と、少し悔やみ始めていた。
ついさっきまで。
今夜ふいに同窓女子からLINEでTシャツの注文がいっぱい入った。
えっ、いいんだ? 賛同してくれたんだ?と思ってすごくうれしかった。
「みんな楽しみにしてるよ、みんな喜んでいる」とまでメッセージを送ってくれた。
スタンプで何気なく返信したけど、本当はすごくうれしかった。
だから、久しぶりにブログに書くことにした。
同窓LINEにくどくど書けないし、会って感謝も言えないので、何かの拍子に見るかもしれないこのブログで伝えておきます。
みんな ありがとう。
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