もうすぐ2016年
家の中も外も片付かないまま正月を迎える雰囲気じゃないけど
お構いなしに明日になれば新しい年がめぐってくる
今年良いこともたくさんあったけど偶然めぐってきたことばかり
来年は・・・
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家の中も外も片付かないまま正月を迎える雰囲気じゃないけど
お構いなしに明日になれば新しい年がめぐってくる
今年良いこともたくさんあったけど偶然めぐってきたことばかり
来年は・・・
2015年版に続き、2016年のカレンダーのイラストも描いた。
あまみエフエムのカレンダーの話。
しまくとぅばを散りばめて島の生活風景を描いている。
今回のテーマは「島ラジオのある風景」
カレンダーの文字もレトロな感じ。
12月25日の南海日日新聞に紹介記事が載った。
カレンダーは、末広市場ディ放送所、空港、奄美大島のお土産店で扱っているようだ。
定価1500円、島外発送は送料込みで2000円。
サポーター会員は割引価格の1000円で買える。
内地ぬ きょーでぃぬため、くゎんきゃぬため 買うてぃたぼれ。
21日に娘が帰ってきてケーキをつくってくれた
これは本番前の確認作業だったらしい
そして、25日の夜帰ってくるなりまたケーキをつくってくれた
スポンジは21日に冷凍で用意していたとか
中までイチゴがたっぷり入ったぜいたくなケーキだ
すごく美味しかったけど、食べたのは22時過ぎ
確実に太れる・・・
何となく期待してたけど
今夜は何もつくってくれなかった
親戚のお姉さん(55歳のぼくが言うお姉さんである)が、ケータイを変えた。
それまで使っていたガラケーの「らくらくホン」から「らくらくスマホ」になった。
(いつの間にスマホまで・・・ケータイ会社め油断がならないな、きっと女房も欲しがるぞ)
これまでフリップ式のケータイだったので、操作面がむき出しになっているスマホに不安を感じて専用ケースも購入していた。
僕も欲しいと思っていたのだが、サイズがでかいので適当な品がないのだ。
それで仕方なく100円ショップのソフトケースに収納して使っていた。
1年以上ずっと。
女房に「貧乏くさい」と言われて、「貧乏なんだからいいじゃん」と反論していたが、ひょっとして今なら販売されているのでは?と思い、ネットで機種名を入力して検索してみた。
SH-06F、シャープの製品だ。
するとこのケータイは「AQUOS PAD」といい、けっこう良いものであることがわかった。
専用ケースも検索できたので早速購入した。
結果、馬子にも衣装というか、見違えるように格好よくなった。
まるでシステム手帳のように重厚な雰囲気になった。
おかげで電話している様子はもはやトランシーバーで会話しているようだ。
実際に重量も増したので腕が疲れて長話はできそうにない。
・・・が、とにかく格好良い。(と本人は思っている)
以前はジーンズの尻ポケットにかろうじて収まっていたが、”重厚”になってからはもうどこのポケットにも入らない。
いつでもどこでも手荷物になった。
そのうちたぶん落とす。
銀幕の向こうに理想の女性を見た思いがした原節子さん
さようなら
妖怪をおどろおどろしい闇の中から明るい太陽の下に呼び出して身近な存在にしてくれた水木しげるさん
さようなら
よくわかんない人だったけど自分の気持ちにまっすぐ生きた野坂昭如さん
さようなら
そして沖縄の”おばあ”平良とみさん
みなさんおつかれさまでした。
少しずつ確実に昭和が欠けていく気がしてさみしいです。
昭和を懐かしいと思う歳にいつの間にかなっていました。
沖縄に来て3日目の朝、ドアの下に差しこまれた新聞を確認してあれは(記事が載った新聞が配られたことは)やっぱりサプライズではなく単にホテル側のサービスだったのだと理解した。
この2日間食べすぎたせいかお腹が張って朝食をとる気にならない。
昨夜飲み残した缶コーヒーを少しすすってから9時過ぎにチェックアウトした。
モノレールの最寄駅・旭橋を起点にひとつ先の県庁前を目指して歩いた。
そんなに遠くはないはず・・・。
ジュンイチロウから10時頃ホテルを出ようかと誘いがあった。
最後の最後まで団体行動ができずにごめんなさい。
興味の赴くままに歩き回りたいタイプなので、できればもうこのままで・・・。
県庁前の駅に到着。
地図によるとこの近くに沖縄タイムスのオフイスが・・・あった。
想像していたより立派なビルだ。
せっかくの機会なので会いましょうということになって訪ねてきた。
受付に案内されて編集室に向かうと、エレベーターの前で担当者が待っていてくれた。
世間話から始まって沖縄をめぐる歴史や政治の話になり、コラムの話になり、ついつい長居をしてしまった。
途中で「飛行機のお時間は大丈夫ですか?」と問われたときが、席を立つタイミングだったはずなのに、「まだ大丈夫です」と気の利かない返事で居残ってしまった。
次にもし機会があればササッと帰るようにします、ごめんなさい。
県庁前から空港まではモノレールを使った。
運転席のすぐ後ろに陣取って空中を渡っていくような感覚を楽しんだ。
空港に近づくと前方に海が見える。ゆいレール最高!
下車した後は、切符に印字されたバーコードをゲートのリーダーに読み込ませるだけでOKだ。
こういうシステムは初めてで、切符は記念に持ち帰った。
空港で他のメンバーと合流して、東京組に別れを告げて
さあ島に帰ろう!
飛行機は満席だった。
カズマサの孫娘がムガリしたので奥さんと席を代わった。
僕はユカリ、ナツミ、ヤスヨ、リエ、ミツヨにはさまれる格好になった。
十代の僕だったらドキマギしたかもしれない。
リエはCAが差しだす飴をごそっともらった。
いつの間にかみんな逞しくなった(笑)
奄美に着いてから、タカヒト、カズキヨ、ジュンイチロウを乗せて帰途についた。
途中でツネトシ、マサトとも合流して「豚々亭」で昼食をとった。
みんな一緒の黒豚とんかつ。
同じ場所で同じものを食べるというのも良いもんだ。
今度また一緒に旅行などする機会があるだろうか?
とりあえず還暦迎えるまでみんな元気でいようね。
オリオンビールの工場を見学した。
案内されるまでホールでしばらく待機。
材料は何? どんな設備でどんな風に作っているのだろうか?
とか、まじめに考えている人がどれだけいたのか怪しい。
みな工場作りたてのナマを飲みたくてうずうずしていたはず。
輸送中の振動でビールの味は少しずつ落ちると聞いたことがある。
離島の奄美まで来るビールはどれだけ撹拌されていることか・・・。
「早く飲みた~い」という気持ちを大人のたしなみとして表に出さず
神妙な顔をしながら係の人について行った。
日曜日ということもあって工場内の機械は稼働しておらずほぼ説明だけだった。
ちなみに見学中の写真はNG。
最後にやっとテーブルに案内されて、コップで2杯ずつ飲むことができた。
ビールはもちろんつまみのピーナッツもおいしかった。
でも、ちょっとくたびれた?
ビールで一息ついた後、次は「万座毛(まんざもう)」に移動した。
”万人が座するに足る原っぱ(毛)”という意味の場所で、要するにただの広い原っぱ!?
でも、サンゴ礁の断崖は見ごたえがある。
与論の茶花ビーチで見た岩に似ている。
ここは夕陽のスポットらしく、万座毛を目指して車が渋滞していたが、あいにくの雨模様の天気だったのできっと無駄足だったはず。
駐車場付近の出店もほとんど店じまいをしていたし。
ここまでですべての観光が終わり。
ホテルでしばらく休んでから国際通りの「四つ竹」に移動した。
沖縄の伝統芸能を鑑賞しながら食事を楽しむ観光の定番コースらしいが
まわりは外国人ばかりで日本人は僕らだけだったような・・・。
ウヮン骨煮物など奄美とよく似た食事をとりながら舞踊とかエイサーとか見て
途中何人か獅子に喰われてた(笑)
演舞がすべて終わった後で女子は舞台に上がって記念撮影をした。
それでお開き。
店を出たあと、僕は沖縄で販売されているTシャツを見るために国際通りを歩いた。
どこの店も似たようなデザインで、文字だけのものがほとんどだった。
沖縄らしいものは意外と少なかった。
もしかしたら地元で作られたデザインではないかもしれない。
何か参考になればと思っていたが、結局期待したような収穫は得られなかった。
とりあえず僕は僕なりのデザインを続けるしかないか。
試行錯誤しながら・・・。
通りの端あたりにアンガマの巨大な顔があった。
国民文化祭・仮面の世界in奄美に来ていた仮面のひとつだ。
ちょっと覗いてみたいけど、もうお腹がいっぱいだし。
今度また来よう。
そういえば、過去に沖縄来てた時と国際通りの雰囲気が変わっていたように感じたけど・・・。
(あと1回、つづく)
美ら海水族館にやってきた。
「ちゅら」と南部大島の「きゅら」は同じ意味で発音も似ている。
海の向こうには伊江島が見える。
11月15日に瀬戸内町で催された「国民文化祭・仮面の世界」で鬼の面をつけて踊ったペンシマの島だ。
施設の前には水族館の主役であるジンベイザメの像があった。
こうやって仰ぎ見るとまるで空飛ぶ鯨だ。
(南らんぼうの歌にそんなのあったな)
期待に胸を膨らませながらいよいよ水族館の中へ。
バスガイドさんから、館内に魚たちに書かれたカードが10枚ありますよと教えられたので、いい大人の僕も子どもたちに混ざってカードを集めながら歩いた。
頭上の水槽をゆうゆうと泳ぐナポレオンフィッシュとか
じみ~なチンアナゴとか
永遠の眠りについたダイオウ様とか
様々な海の生き物を見て回り、ついに
東洋一の大水槽で泳ぐ大迫力のジンベイザメに遭遇。
3匹がゆったりと水槽を回っていた。
いや~来た甲斐があった。 思わず見とれてしまう。
余韻を引きずって体長30センチほどのかわいいジンベイザメをお持ち帰りした。
ところで、この水族館なかなかユニークな外観をしている。
映画とかに出てきそうな近未来的なデザインだ。
水族館を満喫した後はイルカのショーを・・・と思っていたが、ショーはすでに始まっていて、途中での入場を阻まれた。
ここではオキちゃんがジャンプしているのを遠目に見るだけだった。
ところで、オキちゃんは奄美大島・瀬戸内町の久根津沖で養成、訓練されたあのオキちゃんだった。
中学生の頃、久根津の海で見たあのイルカがまだ元気でいた。
40年もの間沖縄の水族館で華麗なショーを見せ続けていたのだ。
何だかありがとうって言いたい気持ちになる。
バスに戻ろうと歩きだしたところで、また呼出しの電話。
記念撮影をするというので、水族館の出口まであわてて戻った。
(駆けつけついでに並び始めの様子をパチリ)
きっとまた来るね。
(始めたからには奄美に帰るまで・・・つづく)
古宇利島から今帰仁(なきじん)城跡に移動した。
今帰仁城は、北の山北王(さんほくおう)が治めたところだ。
平安時代の終わり頃から鎌倉時代にかけて平氏と源氏が争っていた頃、琉球では北山、中山、南山の3つの王国が覇を競っていた。
城は後の薩摩の侵攻ですべて焼け落ちてしまったらしく、石垣だけがその痕跡をとどめている。
この光景何度かテレビで見たことあると思ったら、世界遺産に登録されている有名な場所だった。
曲線を描く独特の石積み。
城に登る元々の道であった旧道脇の石段を歩いた。
この石段は戦後に造られたものらしい。
傾斜地だったこの道をアメリカ軍のジープがわがもの顔で走りぬけていたが、
その状況を忍びなく思った沖縄の人たちが(ジープが走れないように)石段を設置したとバスガイドさんが教えてくれた。
”割れないように”という意味で、3段、5段、7段の奇数で組み上げられていた。
両脇に寒緋桜が植わっていて1~2月が見ごろらしい。
カズキヨは、いきなりバッテリー切れで写せなくなったデジカメを握りしめ風景は目に焼き付けていた?
高台の大庭に到着。
ここでもガイドさんが色々説明してくれたはずだがよく覚えていない。
台所を象徴する火の神が祀られている祠。
”家事の神様”とか言われて、女子がこぞって手を合わせた。
案外健気だ。
ここが城内の主要な建物があった場所とされるところ。
途中、今帰仁グスクの建設にまつわる記録パネルがあった。
ガイドさんの説明によると、グスクの建設には長い年月がかかり、その間奄美人10万人が労役についたとのこと。
奄美が琉球に支配されていた時代に強制的に連れて来られたようだが、10万人は多すぎないか? 延べ人数?
きっと多くの人が戦に巻き込まれて命を落とし、生き残った者は新しい支配者の元で奴隷になったんだろうな・・・。
二度と奄美の土は踏めなかったはず。
親は?妻子は?・・・なんだか想像してしまう。
一通り見学した後は記念撮影。
沖縄組からサユリもツアーに参加した。
おちゃめなこの2人は?
この後、琉球蝶々園の展望レストランで昼食をとった。
建物が不思議すぎるんだけど、たぶん竜宮城のイメージ?
すぐそばの交番も「沖縄」って感じで面白い。
次はいよいよ一番楽しみにしていた「ちゅら海水族館」だ。
いきなりこれだもん、来て良かった。
朝8時に貸し切りバス(ゆい観光バス)に乗り込んだ。
バスガイドのジュンコさんがとても楽しい人で、長い移動時間だったが全然退屈しなかった。
高速道路を走りながら実はここが米軍基地の中であることを教えてくれた。
観光地としてのオモテの顔と基地の島としてのウラの顔、2つの顔の狭間で揺れ動いている沖縄の現実を話すときだけは少し寂しそうだった。
一番前に座ったコウイチとトシオのタイミングの少しずれた掛け合いが面白くてバスガイドさんを何度も笑わせていた。
バスの中で「迎え酒」だと言って飲み始めていたノリヒサとマサトは、バスが停車する度に缶ビールを買い込んで飲んでいる様子。
結局この日は朝から晩までエンドレスで飲み続け・・・酒に弱い僕からすれば異次元の世界だ。
予定より早く10時前に古宇利(こうり)大橋を渡った。
この先にあるのが古宇利島。
約2キロの橋でつながる離島だ。
島には天から男女の子どもが降りてきて島に住みつき琉球人の始まりとなったという伝説があり、男女が結ばれるという意味で恋人にも人気のスポットのようだ。
ビーチや海がきれいだし島内を散策すれば楽しいかも。
でも、僕らは橋のたもとをうろうろしただけなので、せいぜい売店をのぞく程度の観光しかできなかった。
再び橋を渡って今度は今帰仁城跡へ移動した。
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