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2016年1月の8件の記事

2016年1月24日 (日)

余分な荷物はおろしていこう

健康診断を受けた。

たぷっとした腹囲を測ったら95㎝もあった。

ズボンが合わなくなったのはもちろん、最近は足の爪を切るのも苦しくなってきた。

85㎝を超えたときマックスだと思っていたが、”のびしろ”は想像以上だった。

先日玄関で靴を履こうとしてしゃがんだらズボンのお尻が破れてしまった。

子どもの頃はズボンがすり切れるほど乱暴に遊んでいたからたまに破れることもあったが、大人になってからは初めてかもしれない。

ずいぶん久しぶりの感触だった。

それも分厚いジーンズが・・・ずいぶん無理をさせていたのだろう。

しかし、まだ自分の”のびしろ”がどこまでなのか見えていない。

メタボもだが、最近は僕自身の”のびしろ”も相当気になっている。

誰でも若いころは、自分の中に可能性がたくさんあるように感じるものだが、歳とともにそれが過大評価、あるいは単なる勘違いだったことに気づく(あるいは思い知らされる)。

そこそこできるようになることはまだあるのかもしれないが、半端なことをいくつもかき集めるよりも十分にできそうなことに集中したほうが、満足いく人生になりそうな気がしている。

といっても、せいぜいあと20~30年あるかないかくらいだけど。

ここにきて残り少ない時間の使い道が気になっているわけだ。

だから余分なものは処分していこうと思う。

いつか奄美の歴史や風俗を漫画にするときに参考になるかもしれないと思って取っておいた大量の新聞記事のスクラップをすべて捨てた。

この先どうやっても専門家並みの知識を身につけていけるとは思えないし、本当に必要になったときは知識を借りれば済むことだからだ。

観光関連の仕事をしていたときの書類も処分した。

観光ガイドやかけはし的な仕事はできないし、もう中途半端なことはしないでおこう。

机まわりがずいぶんすっきりした。

いろいろな”未練”はつきまとうと思うが、いらないものはもういらない。

身の丈に合った荷物にしてできるだけ高いところを目指したい。

などと、「断捨離」に焦がれるこの頃。

お腹まわりの余分なものもすっきり落としたい。

2016年1月15日 (金)

まだしばらくはWindowsで

ずっと昔Macを使っていたが、職場ではWindowだったので、いつの間にか家でもWindowsにシフトしていった。

最後に買ったMacは、僕としては最悪デザインだと思っているLCシリーズだった。

去年、またMacに戻ろうと思ってMac miniを買ったが、なかなか移行できずにそのままになっていた。

今年に入ってついに意を決して強制的にMacに切り替えるようにしてみたが、Windows時代が長かったので操作で戸惑うことばかり。

当然ながらOSが違うのでいつものソフトが使えない。

それでも必死に食らいついていくつもりだったが・・・HPが更新できないこと、EXCELの関数が機能しない(Mac版のOFFICEを持っていないので・・・)でついに根を上げてしまった。

またパソコンを入れ替えてWindowsに戻った。

Macでホームページを作り直すこと、必要なソフトをそろえること、データをすべて外付けHDに移しておくことをクリアできたら今度こそMacに変えようと思っている。

それまでMacは食台でテレビときどきパソコン状態。

環境を変えるのは億劫だ。

不便でもそのまま我慢して使い続けたほうが楽だと感じるのは怠けグセか歳のせいか?

Mac

2016年1月14日 (木)

奄美の作家3人展

10日(日)に奄美パーク・田中一村記念美術館で開催されている企画展を観てきた。

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画家の掘 晃(ほり ひかる)さんがフロアー内の喫茶室にいたので少しだけ会話した。

掘さんは嘉徳小学校跡地にアトリエを設けて、約10年間山口県と瀬戸内町を行き来しながら活動していたが、昨年秋に嘉徳の住居を引払っていた。

2013年夏に「カトク芸術豊年祭」に参加させてもらったことがある。

掘さんとしては、地元の「芸術家」を加えたかったようだが、あいにくそうではない僕が参加することになったのだった。ごめんなさい。

廊下に貼られた僕のラクガキと工作はたぶんもう取り外されているのだろう。

この日は作家のフロアートークがセッティングされていたので来島したとのこと。

大けがをしてリハビリ中とのことで杖をついてはいたが、自分の足でしっかりと歩いていた。

展示室内に用意された椅子はすべて埋まり、立ち見も並んだ。新聞によると80人ほどの観客がいたようだ。

最初に奄美パーク館長の宮崎 緑さんの挨拶があった。

着物姿もすてきだ。

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続いて掘さんのトーク

交通事故に遭った自虐ネタをユーモラスに語った。

他には、「僕の嫌いな流木が・・・」で始まった流木作品など趣味的な創作一般を「芸術」と称することへの不快感を露わにしていた。

「流木アートとか言わずに楽しい趣味の工作をしましたと素直に言えばいいんだ」と。

3月にこの会場で催した「はじめの一歩・島っちゅ6人それぞれの奄美アート展」を思い起してなんだか居心地が悪い。

自分をアーティストだと思ったことは一度もないが、”アート”って表現は便利だもんね。

なんとなくそんな感じのものの総称として伝わりやすいのでついつい使ってしまう。

他のメンバーにしてもそんな芸術家然とした態度はとっていないし、どちらかというと職人的なな気持ちが強いと思う。

でも、たぶんまた使うな・・・今度は”あーと”とでもしておこうかな。

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「はじめの一歩」のメンバーでもう一度やりたいなぁ。

「2歩、さんぽ あーと展」とか。

2016年1月 9日 (土)

年賀状ありがとう

年賀状の意義とか問われたりするようだけど

いただくとやはり単純にうれしい。

その反面、印刷だけの儀礼的な年賀状が後から返ってくると

出さない方が良かったのかな?迷惑だったかな?と気になる。

来年は出さずにおこうかとそのときは思うのだが、その時期になって見返してみると

先に届いたものか後からのものなのか分からないので結局また出してしまう。

どうしているか気になっていた友人から今年久しぶりに年賀状が届いた。

一言添えられた自筆の文字を見てほっとした。

年賀状の中には宛先のみならず通信面まですべて自筆で書かれたものもある。

このことのために割いてくれた時間を思って感激する。

僕は今のところ宛名も通信面も印刷して一言添える程度で済ませているが、次回は筆ペンなど使って汗をかいてみようかな。

「昨年は大変お世話りなり・・・・本年も・・・」の紋切り型ではなく、近況や心境などを自身の言葉で印刷しているものもあり、これもまた良いなあと感心した。

前に専門学校の教師をしていた女房には、毎年たくさんの元生徒たちから年賀状が届く。

女房は元生徒たちのことを”子どもたち”と呼んでいる。

最初の教え子の卒業から14年~7年が経っているので、それぞれ転職や結婚や出産など色々あって、それらの報告が添えられている。

半分母親の気持ちで嬉しそうに読んでいて、いつも羨ましい関係だなと思って見ている。

アナログな関係ってなかなか良いものだ。

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2016年1月 7日 (木)

あ、ダメかな・・・と

夕方買物をすませて帰ってきたら急に気分が悪くなってふらついた。

それまで普通にしていて突然のことだった。

「あれ? 足がふわふわして頼りない・・・気分が悪い・・・」

たまらずカーペットの上にそのまま横になると、女房はびっくりして救急車を呼ぼうとしていた。

でも、これは初めてじゃなかった。

まだ会社勤めをしているときに朝起きたらものすごい眩暈に襲われて首も動かせないときがあった。

病院で詳しく検査してもらったが原因が特定できずに「たぶん過労でしょう?」ということで決着した。

そのときにストレートネックであることを発見した。

眩暈はその後にももう1回あった。

その後数年して他の病院でMRI検査をしたときに、医師から「脳に小さな出血の跡が2か所ほど見られる」と告げられ驚いた。

高血圧の家系であり、祖父は脳梗塞で倒れているから僕もそうなる可能性は高い。

降圧剤を服用してはいるが・・・。

で、今回の突然のふらつきである。

そのとき何を思ったかというと、脳梗塞を発症したときの特徴と言われる、左右の手が水平に挙げられないとか、呂律が回らないとか、笑顔がつくれないとか・・・そんなことだった。

それで両手両足がちゃんと動くかどうか言葉がしゃべれるかどうか試し続けていた。

最悪動かなくなるとしたらペンを持つ右手は勘弁と馬鹿な心配もした。

おかしい兆候が見られたらすぐに病院に行こうと思って様子を見ていたが・・・

どうやら大丈夫だった。

翌日には車を運転して名瀬にも行ってきた。

「健康が一番」ってよく聞くフレーズだけど、危うくなって改めて肝に銘じる。

食事、睡眠、運動、当たり前のことを当たり前に実行し、なるべく健康でいよう。

それにしても、平均寿命まで無事でいるというのは簡単じゃないんだな。

そこそこに生きぬいてイラストとかマンガとか描き散らして死にたいと思っているのに。

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2016年1月 4日 (月)

町立図書館の駐車場のはずれにぽつんぽつんと置かれたポストと石碑(のようなもの、墓石?)

違和感があるようで、何だか馴染んでいるようでもあり、なんとも不思議な光景。

腑に落ちるところまで見ていようと思っていたけれど

「あ こんなことしている場合じゃないや」と、理性みたいなものがすぐにピッピーって笛を吹いてじっと佇んでいるような”時間の無駄”を許さない。

効率的な時間の使い方なんてちっとも出来ないくせに

ぼうっとしていることはいけないことだと思い込んでいる。

子どもの頃はじっと凝視したりぼうっと空想したりして止まっている時間がたびたびあったのに

五十路に踏みこんでからだんだん残り時間を気にするようになったか?

じっと佇んでいてはいけないと焦りのようなものがこみ上げてくるのに

どうしたらいいのか分からない。

僕とあのポストは一緒なんだ。

ああそういうことか。

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2016年1月 2日 (土)

手に負えないことをやる!?

NHKで漫画家の井上雄彦さんのことを紹介する番組で

「バガボンド」を描いている途中で起こった心境の変化について語る場面があった

手に負えないことをやる」と心に決め、思うようにならない筆で描く事を始めたと

もうだいぶ前の放送だったけどその言葉がずっと心に引っ掛かっていた

僕はそんなストイックな生き方はしてこなかった

手に負えそうなことを選択し、居心地の良さそうな場所に身を置いた

きっと無意識にそうしていた

そうすると、まあ大体こんな感じかなと終着点らしきものが見えてくる

思ってもみなかった所へ辿り着く可能性はほとんどない

去年いつ頃からか井上さんのあの言葉が何度も頭に浮かんで

心おだやかでいられなくなった

体力や気力が徐々に衰えていく歳になってきたけど

ちょっと抗ってみよう

自分には出来そうにない、居心地の悪いところに行ってみよう

希望もある

もがきながらよじ登れば

凡人には凡人なりの成長があるのではないかと期待をしている

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今年もうスタートしているので、とりあえず

筆で描く (CGも筆タッチで・・・)

毎日休まずマンガを描く (ブログ「あげ漫でぃ!」で始めた)

を実行してみる

これから少しずつ”面倒くさいこと”、”手に負えないこと”を増やしていこうと思っている

2016年1月 1日 (金)

初日の出

7時ちょうどに家を出て伊須回りで阿木名へ車を走らせ

初日の出を拝んできた。

今年が最良の年でありますように!

どーか どーか

2016