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年明けの1月2日に古仁屋港に豪華客船ふじ丸が入港する。
それに合わせた海の駅館内での出店に僕も申し込んでいる。
今回はTシャツは作ってないので、小物ばかりの販売になる。
メインはポストカードかな? 先日の「奄美の妖怪ー」で展示したイラストをカードに仕上げた。
他には「KENMUN」のアイロンプリントや真珠貝のキーホルダーも販売する。
今年デビューした「あま美デザイン工房&あいきじゅん」を皆に知ってもらうことが一番の目的なので、とりあえず興味を持ってもらえそうなグッズを並べるつもりだ。
内地にある奄美のお店を紹介した冊子も無料配布する。冊子の中には、あいさつを兼ねて来年の干支に関係する「ハブ」のイラストカードを挟んだ。
みんなにいっぱい福が来ますよーに!
さっき突然サイレンが鳴った。
すわっ、火事か!と一瞬緊張して耳を済ませたが、サイレンはすぐに止んだ。
今日が昭和33年に起こった大火の日であることに気づいた。
僕が生まれる約2年前の出来事だ。
母はまだ父と結婚しておらず、その日古仁屋に新築したばかりの父の家を訪ねて来た。
当時父は母親と二人で住んでいて、その母親が今日はここに泊まっていきなさいと勧めるのを断って請阿室に戻ったそうだ。
その夜大火がおこった。
火元は父の家の近く(確か川沿いの市場通り辺り)だったとか。そのとき父は呼ばれて外出していたので急いで家に戻って母親を連れて逃げるのが精いっぱいだったという。
母と結婚して一緒に暮すはずだった新居は一夜にして灰になった。
それからの詳しいことは聞いていないが、その後父は借金を返すために出稼ぎに行っていたようだ。
小さい頃の僕は父を知らず母の実家で暮らしていた。
池地の浜ではしけの舟から降りた大人を指して「お父さんよ」と言われて戸惑ったことをなんとなく覚えている。
そのとき貰ったおもちゃの赤いピアノも記憶している。
そういえば、大火のことやその後のことを直接父に聞いたことはなかった。
もう亡くなってしまったので知る術はないが、借金して建てたばかりの家を大火で失ったのだからきっと苦労したのだろう。
それにしても、あれだけの災害で死者が出なかったのは奇跡的である。
いつかそんな話もマンガや絵本で描いてみたいと思う。
12月8日から始まった「奄美の妖怪たち 二人展」も今日で最終日となった。
『エフエムせとうち』が毎日ラジオで展示会の案内をしてくれたおかげで、たくさんの地元の人に見てもらうことができた。
「今まで図書館に来たことがない人たちがやって来た」と図書館のスタッフが教えてくれた。
中には絵だけ見て帰る人もいたとか。
新聞やブログでも紹介してもらい、色んな人たちから「見たよ」と声をかけてもらった。
ありがとうございます。
最終日の今日は、女房の友人たちが二人展を見るためにわざわざ名瀬からやって来た。
南海日日新聞に風刺マンガを描いている「あいきじゅん」が、どんなイラストを描くのか見てみたかったとか。
マンガをいつも楽しみにしていますと言ってくれた。
30分ほど絵を見た後、ジョイフルでお茶を飲んで、彼女らはそのまま名瀬に戻った。
本当にイラスト展を見るためだけに来てくれたのだ。
遠いところありがとうございます。
来年2月の名瀬の『サンドイッチカフェ』での展示も見に行くとのこと。
同じ作品ばかりではつまらないので、今度は趣向を変えてもっと楽しんでもらえるようにしよう。
なんか良い意味で欲が出てきた。
夫と子供ふたりのために手編みのセーターやショールをプレゼントしたいと何十年ぶりに編物を再開した女房だが、技術的なことを色々忘れていて失敗を繰り返している。
名瀬で編物教室を開いている先生に指導を受けながら、勘を取り戻そうと一生懸命だ。
毎日のようにストーブの前に座って(極度の寒がりなのだ)、せっせと編物をしているかと思えば、「間違えた~」とうめきながら毛糸をほどいている。
うまくいっているときには、「ほら、こんなに出来た!」と子供のようにはしゃいでいるが、しばらくすると、ほどいた糸の横で机に突っ伏して死んでいたりする(笑)
何度も何度も挫折しながら、プレゼントして喜ばせたい一心で挑戦し続けている。
今回はプードル・・・何とか・・・という特殊な糸を使って編んだものが、本に書いてあるサイズにならないので、毛糸のメーカーに問い合わせたようだ。
すると、編み棒のサイズが10ミリを10号と間違えたようで、メーカーの人から「よくそれで編めましたね」と半ば呆れられたらしい。
ほとんど完成したものをまた解くはめになった。
しかし、今度の糸はくるくると巻いた特殊な毛糸なので、ほどくのが難しく風合いも損なわれてしまうようだ。
「ばか、ばか、ばか!」と自分を責めつつ、泣きながら糸をほどいていた。
2時間ほどかかってほどき終えると疲れきった様子でそのまま寝室に入った。
「もう嫌!」 「もうやめる!」とか言っていたが、見ると、ほどいた毛糸を丁寧に紙袋に収めてあった。
なんだろ、この一途さ。
ちょっとジンときた。
今日はクリスマスイブだ。
ということとは全然関係なく、今年最後の風刺マンガが新聞に掲載された。
最後はどんな絵にしようか迷ったが、やはりひとつの政権が終わり来年は新しい政府による政治が始まるという締めくくりを考えた。
3年前に民主党が政権を担ったときは、二大政党の幕開けみたいな勢いがあったが、いざ政治を動かしてみると自民党が築いてきた根の深さに太刀打ちできず、公約もほとんど果たせないまま舞台から降りることになった。
約半世紀にわたって政権を担ってきた自民党とわずか3年の民主党では、蓄積されるノウハウや他機関への影響力に大きな差があるのは仕方がない。
選挙の結果としては自民党の圧勝だが、マスコミや評論家たちは「最後の選択肢として自民党が残っただけ」とやや冷ややかな見解がほとんどだ。
テレビ討論で番組の最後に民主党の安住幹事長代行が「自民党の残した負の遺産が想像以上に大きかった」と悔しさをにじませていた。
安倍総裁には、くれぐれも(過去の自民党にあったような)「国民の信任を得た」とか、「みそぎを済ませた」とかの乱暴な論理で暴走することなく、国民の利益になるようよく考えて政治を行ってほしい。
かって「自民党をぶっこわす!」といって派手なパフォーマンスをする総理が登場したが、壊されたのは国民の生活。日本人特有の微妙なバランスに成り立っていた社会の秩序が崩れて著しい格差社会が生まれた。
地味で良いから、社会や経済が良い方向に向かっていると実感できる政治であってほしい。
いろんな思いを抱きながらコツコツ描いた。
<時間切れ>
正月の新聞は特別版なので、次に南海日日新聞にマンガが載るのは来年1月7日になる。
さあ年賀状をつくらねば! と思っていたが、
二人展の蘇祢(そね)さんから栞が全部なくなったとの電話が入った。
展示会はあと3日ある。(24日は図書館が休館なので)
40~50枚くらい追加しておこうと思って早速プリントすることにした。
ところが、ここでいつもの悪いクセが出た。
「どうせやるんだったら、同じものはつまらないな・・・」と、デザインを修正したのだ。
サイズをスリムにして、さらにラミネート加工も。
ラミネートフィルムと位置を合わせるために試行錯誤・・・。
気がつくともうすぐ12時。
「年賀状ぜんぜんやってないい!」
また優先順位がおかしいし。(>_<)
でも、新しい栞ができた。明日の朝持っていこうっと。
一昨日、昨日と人から頼まれた年賀状をプリントした。
両面だったりするのでけっこう時間がかかった。
ところで、自分の分をつくってない。(;一_一)
年賀状に使う予定のイラストは早い段階で描きあがっていたのでちょっと油断してしまった。
今日は来年使う予定の絵とか描いていたし・・・優先順位間違えとる。
段取りが悪いから睡眠不足が続くなぁ・・・。
(夏休みの宿題を最後の3日くらいで必死にやるタイプ)
以前のブログでも書いたが、奄美市で開催される「奄美観光桜マラソン」のイメージキャラクターの募集があり、僕も何点か応募した。
「そういえばあれどうなったんだっけ?」とときどき結果が気になっていた。
今日新聞紙上で発表があった。
受賞者は、鹿児島市のグラフィックデザイナーだった。
そのキャラクターは、桜をイメージしたかわいいキャラで、「ああなるほど」とたちまち納得。
これならロゴマークにも使えるし、さすがだなぁ。
僕が考えたキャラは、着ぐるみにしたらどうだろう?的な、奄美の鳥や動物をデザインしただけ。
頭固いね~。
今回の応募は645点もあったとか。
落っこちたキャラのみなさんおつかれさまでした。
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