カテゴリ「日記」の記事 Feed

2010年9月13日 (月)

新しいケータイ(形態)に

携帯電話が出始めてからすぐに使いだしたので今ではキャリアは相当なもの。

だけど電話とメールとカメラ以外は使ったことがないので色々な機能がついていてもまったく意味がない。

最近は会社を離れたせいもあって電話ですらたまにしか掛ってこなくなった。でも、これって一度持ち出すともう手放せないんだよね。

だいぶ前に買ったケータイだが、デザインが気に入っているのでずっと使い続けてきた。電池の寿命が短くなってきた以外は特に問題はないので、まだまだ使えそうなのだが、今回思い切って買い替えた。

以前からひそかに憧れていたスマートフォンが5000円まで値下げされていたので、つい衝動変えしてしまったのだ。

(僕が物を買うときの一番の基準になるのだが)まず、デザインが良い。(i phoneに似ている?) そしてタッチパネルというこれまでのインターフェースとはまったく違う形態が何かしらわくわくさせる。

ポケットの中のそれの感触を何度も確かめながら電話がかかってくるのを待っていたが、ぜんぜん掛ってこないので、女房に頼んですぐそばから電話をかけてもらった。「会話できた!」。なんだか初めて携帯電話を買ったときのような新鮮な気分でうれしい。

これまでのメールアドレスが使えなくなったので、皆に(まあ数人に)通知しなければならないのだが、これがヒジョーに難しかった。

タッチパネル方式で文字を入力していくのだが、指が太いので画面の文字が正確に選べないのだ。「違う、それじゃない」と少しいらいらしながら何度もやり直しながら2~3行の文章を10分くらいかけて打った。

おまけに文字が小さい。前の機種のようにすべての文字を単純に拡大表示できないのだ。(いちいちルーペのアイコンを押さなければならない)

デザインも機能もスマートなのに、使うたびに老眼鏡をかけて両手を使って小指で入力してたらちっとも・・・。

2010年9月 6日 (月)

母のテレビ

ひとり暮らししている母のところにあるテレビの映りがおかしくなっていた。いくら調整しても画面が緑っぽくなっているし、スイッチを入れて画面が出るまでに1分近くかかった。

約8年前のブラウン管テレビだった。もったいないからこのままでもいいと言っていた母もさすがにテレビを買い替える気になっていた。

特に趣味を持たない母の楽しみといえばテレビくらいになっているので、置き場所のサイズ内(幅55㎝)できるだけ映像のきれいなものを基準に探した。ちょうど決算セールをやっていて22インチのテレビを安く買えた。

さっそく古いテレビを取り外して真新しい液晶テレビをセットし、地デジのきれいな画面を母に見せた。「すごいねぇ、こんなにも違うんだねぇ。時代よねぇ!」としきりに感心する母。「こんなに薄いのにちゃんと映るのね」って・・・そこ!?

テレビを横から眺めて感動している母にチャンネルを渡して必要な操作だけを簡単に説明した後、重いブラウン管テレビを抱えて家に戻った。いずれ地デジ対応のテレビと交換しなければならなかったのでほっとした。母も喜んでくれた。

晩ご飯を食べているときに母から電話がかかってきた。何か言いにくそうにしながら、「せっかく買ってもらったテレビだけど・・・ちょっとおかしいみたい。壊れてはいないと思うけど・・・」と予想外の話。症状を聞くと、いくらボタンを押してもNHKが映らないとのことだった。アナログのときの番号「6」を押しているらしいので、「3」に番号が変わっていることを説明するが、「なんで変えたの?」と言われてしまった。

電話口で「いいから3を押してみて、3を。数字が並んでいるところの3!」とやや必死になって説明するが、壊れたと思いこんでいるせいか「映らない。だめみたい」との返事を繰り返す。デジタルの番号は1,2,3,4,5,8で、ちょうど6のチャンネルは何も映らないようになっているのだ。長い習慣から、NHKは6チャンネルという観念から抜け出せないようだ。

母も疲れたのか「もういいから、明日来て(テレビの様子を)見てね」と電話を切られてしまった。「えー、そんなん? 何で分からないの?」と少しショックを受けながら晩ご飯を食べているとまた電話が。

「いろいろ触っていたらNHKが出た。3番を押したら出るみたい。良かったー、もう心配しなくていいからね」と。

心配だよ。

Epson185

2010年7月26日 (月)

水がきた!

以前の女房は水をほとんど飲まなかった。市販のミネラルウォーターさえ変な味がすると言ってお茶ばかり飲んでいた。

それがある日飲めるようになったのである。テレビでCMが流れたこともあるZ温泉水の電話勧誘に「まあ千円くらいなら・・・」とあまり期待せずに購入して飲んでみたところ、「あ、美味しい」と自分でもまさかみたいな感じでするっと飲めたのである。

すぐに月一回の購入では足らなくなり、たびたびスーパーで買足すようになった。それならいっそのこと定期購入の回数を増やそうと10日に1箱のペースで配達してもらうことにした。僕もZ温泉水を飲みだしてからは他の水が飲めなくなり、知らず知らずに二人とも”依存症”になっていた。

10日も経つ頃になると箱の中身が少なくなり、箱を傾けて絞り出すようにして水を飲みながらもうそろそろ着くはずだと文字通り渇望していたのである。それなのに、支払いをめぐってちょっとした手違いがあり水が届かなかったのだ。

支払いは毎回箱に同封される郵便振替用紙で入金するのだが、大概は後からついでのときに(覚えていたら)みたいな感じで呑気に入金をしていた。月に3回にしてからはさすがに面倒なので口座振替の手続きをした。それまで振込用紙が届いた分はちゃんと入金をしていた・・・はずだった。

ところが、今月の14日に5月の分が未入金ですと電話で告げられ、それなら紛失したかもしれないのでお手数かけますが振込用紙を送ってくださいと頼んだら、では入金の確認がされるまで水は送りませんと厳しい宣告をされた。

その前にも女房が電話で未入金があると指摘されたらしいのだが、よく分からなかったらしい。昨日振り込んだものがまだ入金処理されていないのかとか、今手元にある振込用紙がそれなのかと呑気な対応でいた。5月だったとは・・・。

しかもちょうど水が切れたその日、宅配便が届くはずの前日に非情な宣告を受けてうろたえた。「水がこない、どうしよう!」そういう事態になるとは思わなかったので、冷蔵庫にはそれに代わるお茶もなく、まさかビールを飲むわけにもいくまい、スーパーに買いに行こうということで、とりあえずペットボトルの水を数本買って帰った。(Z温泉水は車で1時間ほど走った大手スーパーには置いてあるのだが・・・)

女房はまた水が飲めなくなった。僕もさすがにペットボトルの水が美味くないと感じていた。それでもお茶を買ったり、水を買ったりしながらこの10日間をなんとか乗り切った。仕打ちが何だかくやしいから、もし同じように美味しい水に出会ったらZ温泉水はキャンセルしようとかとも思って色々な水を試したが、あらためて比類ない美味しさを再認識することになった。

そして待望の水が今日届いた。こんなに待っていたとは想像もしないだろう宅配業者が「印鑑ください」と差し出す伝票に印を押しながら笑顔がこぼれそうになるのが少しくやしい。

そしてやっぱり美味しいのだ。くやしいけど。

2010年7月17日 (土)

ハブが出た!

夜の帰り道でハブに遭遇した。

ついさっきのことだ。僕の住む集落の入り口の三叉路を右に折れてすぐヘッドライトの中ににびよーんと伸びたハブが映った。びっくりしてブレーキを踏み、一瞬躊躇した後すぐにそれを轢いた。一度轢いたくらいではハブは死なない。そのままバックしてライトの先を見ると、いない・・・。えーっ、いない!確かに轢いた感触があったのに・・・。

いったん車を走らせて少し広くなった処でUターンして探してみたが見つからない。再びUターンして元の方向に戻して目を凝らしてみると・・・今度は居た。道路端の側溝の脇でとぐろを巻いてじっと動かない。

うーんどうしようかな・・・この状態で轢こうとすればタイヤが側溝に落ちる可能性があるし、かといってそのまま去ってしまうわけにもいかない。この道はみんなが利用しているし、徒歩で通る人もいるのだ。

突然横に乗っていた女房が「あ、そうだY元兄ならきっと大丈夫だ」と言って携帯電話で助けを求めた。Y元兄は同じ集落に住んでいて割と何でもやるたくましい人だ。

約5分後に軽トラックでやってくると落ち着いた様子でハブ捕りセット(ハブを捕獲する棒と保管する木箱)を取り出して、おっかなびっくりで見つめている夫婦の前であっけなく捕獲して木箱に納めた。

ハブは役場に持っていくと一匹4000円のお金になるのだ。撲滅するための助成や血清をとるためのお金らしい。以前は5000円もらえたのだが、需要と供給の関係だろうか、4500円に下がり、やがて4000円になった。

だからハブ捕りの道具を持って普段から車に積み込んでいるような人にとっては、猛毒のハブを駆除したというよりも道に落ちていた千円札を拾いあげたといった感覚なのだろう。「一回轢いてるからや、月曜日まで生きているかい?」とハブの命を心配していた。死んでしまえばお金にならないからだ。

「ついでにもう少し回ってくる」と言ってその場を立ち去った。どうやらハブ捕り魂に火がついたようだ。

僕らは家に帰りついてから駐車場から玄関までのやや薄暗い中を目を凝らして歩いた。くねくねと動く生ハブを見たばかりなのでなんとなく足元が頼りなくて落ち着かない。本格的な夏に向かうこの時期に彼らの活性が高まるので遭遇する機会が増えるのだ。 台風来るし、ハブ出るし・・・。奄美の夏はそこが悩ましい。

Epson163

2010年7月12日 (月)

梅雨が明ければもう真夏か・・・

梅雨がまだ明けない。遅い梅雨明けの記録を更新しそうだとか。

それでも、今朝いつものように海岸を散歩していたら海が空が「夏」だった。忘れていた真夏のじりじりした日差しを思いだした。

P1000005

ここ数日ホームページをつくるために睡眠不足だ。それで頭がぼんやりしていたせいか知らないけど、今日面白い聞き違いをした。

集落のマイク放送で区長が「集落のみなさん、県職員住宅、ユーミーマンションのみなさん」と呼びかけてから伝達事項を伝えていた。ふーん、マンションとかいちいち言うんだ・・・みたいに聞いていたら、最後に「マンションお売り払いの上・・・」って区長が言った。

えっ?と思って、二度目の放送(いつも続けて二度言う)に耳を澄ませたら、「万障お繰り合わせの上」だった。

売れるものなら僕も売ってお金つくりたい。(笑)

やっぱり少し疲れているみたい。

2010年7月 1日 (木)

母がたずねて3000m

吉田拓郎のCDをボリュームを少し大きくして流しながら女房が掃除をしていたら、なんだか外で人の声がしたような・・・音を絞って耳を澄ますと、「ごめんください」と再び女性の助けを求めるようなか細い声。

びっくりして玄関を開けると母がベンチの上でぐったりと座っていた。

聞けば3㎞以上の道のりを歩いてきたらしい。炎天下のしかも山道もあって、70過ぎの病気がちな母にとっては大変な距離だったに違いない。

3000

一昨年に父が亡くなってからは独りで暮らしている。車で行けばすぐの距離なので毎日のように様子を見に行っているが、母が僕の家を訪ねてくることは滅多にない。タクシーに乗ったりとかできない人なのだ。

理由を聞くとガスコンロが急に使えなくなったとのことだった。困った母は僕に助けを求めるために歩いてきたのだった。実はガスコンロではなく、火の始末を心配した弟がIHヒーターに替えてあるのだが、母は”ガスコンロ”が電気で動いていることをよく忘れるのだ。

母を家に残してとりあえず実家に様子を見にいくと、台所周辺のブレーカーが落ちただけだった。運の悪いことに電話の電源もそこにあったので連絡ができなかったのだ。今後のために延長コードで電話の電源は隣室からとることにした。

「直ったのならもう帰る」という母を押しとどめてテレビを見せたりおしゃべりをして時間をかせぎ、その間に女房が手早く夕食を準備してその日は文字通り夕方の食事を一緒に食べた。

父がいなくなってから母の時間は止まったままだ。ふたりが過ごしたあの家を離れようとしない。昔から片付けが下手な母は几帳面な父を失い、紙屑や服が散乱した部屋で、しかし、仏壇に手を合わせながら落ち着いて暮している。

家まで送ったときにクーラーも効かなくなったというので、確かめてみるとリモコンのスイッチが暖房に入っていた。 そんなに時間がないのかもしれないなぁ・・・早く僕がちゃんとしないと。

2010年6月24日 (木)

海辺の散歩

犬の散歩は近所の海辺を歩く。

浜の端から端まで行って戻ってきたらちょうど30分ほど。歩きながら漫画のこととか考えている。

今は大雨のせいで海が濁ったり、砂浜にゴミが散乱しているけど、普段はとてもきれいな海だ。

たまに大きな魚がばしゃっと跳ねることがある。珍しい透明のナマコも見つけた。

P1000001

犬(ピース、♀)のお気に入りは川から海へ流れる小さなせせらぎに身を浸すこと。

P1000023

向こうには加計呂麻島がくっきりと見える。海と空を眺めながら深呼吸すると素直に「よし、がんばろう」という気持ちになる。

ピースの散歩は僕のための日課。

2010年6月12日 (土)

女房のアッシーくん

以前は僕と女房と1台ずつ車を持っていたが、色々あって女房の車を廃車した。

僕の家は町から少し離れた集落の中にあるので、買い物でも何でも出かけるときは車を利用している。

女房に車を使わせるとなかなか帰ってこないので自然と僕がアッシーくんをするようになった。

昨日は奄美市の名瀬で催された結婚式に女房が出席するために、とりあえず先にバスで送りだして、夕方6時になってから(迎えるために)家を出た。

家から名瀬まで片道約1時間。ディスカウントショップで買い物をして、後はTSUTAYAでひたすら時間を過ごした。

結婚式は6時半に始まって9時半頃には終わる予定なので、10時くらいには女房を拾って帰れるつもりでいた。

しかし、なかなか電話がかかってこない。結局女房と会えたのは11時半頃だった。二次会まで参加して、後はいつものように喫茶店で”締め”をして終わったようだ。

今日の結婚式は女房が看護福祉専門学校の講師をしていた頃の教え子だ。よほど嬉しかったのだろう。かって手を焼いた(?)学生たちが大人になり次々と結婚して子供が出来て・・・。「教師をして良かったなあ」と女房がしみじみ言う。

女房は学生たちが本当に好きで、当時よく一緒に食事をしたり、家に呼んでバーベキューをしたりしていた。学生からもらう色紙にはよく「お母さんへ」って書かれていたが、そんな存在でもあったのだろう。

でも、学校をやめる1年くらい前から、同僚の先生に教師と学生のけじめをつけてくれとか家に学生を呼ぶとは何事ですかとか色々非難されて、それが教頭先生の指示でもあったので、事実上学生との個人的な交流を禁じられてしまったのだ。

だから最後は学校だけの関係になり、少しさびしい気持ちで退職したのだが、それでも卒業した学生たちから今でも連絡があったり、結婚式の招待状が届いたりと交流が続いている。それは女房にとってかけがえのない財産のひとつだ。

だから僕は待たされても仕方ないと思っている。女房は嬉しいのだ。まるで自分の子どもが一人前に成長した姿を見たかのように、車の中で色々と話をしてくれた。「私って幸せだなぁ。ありがとうね」としみじみ感謝されると、アッシーくん冥利に尽きる・・・とは言いすぎか。