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2019年3月の31件の記事

2019年3月21日 (木)

ぼーっとしながら、勉強もしながら

聞く本、オーディブルの更新通知があって、ジョン・トッド著/渡部昇一訳の「自分を鍛える!」をダウンロードした。

しばらく聞いていて、どこかで読んだ記憶があると思い、本棚を調べたら文庫本が出てきた。

それで思い出したことがある。

最初にこの本を図書館で借りてきて失くし、購入して弁償したこと。

その後失くした本が出てきてトイレの本棚に置いていたら親戚のオバがひどく気に入って借りていったこと。

本が戻ってこないままそのオバが島を離れたので、新たに文庫本を買ったこと。

そして、今度はオーディブルで。

よっぽど人を惹きつける内容なんだね。

でも、自分の今の受け止め方は少し違っている。

無駄のない時間の管理、優先順位のつけ方、日々の心構え・・・前に読んだ時には、感動し、激しく共感したことが、今は、何だか重くて、ふーっとため息が漏れそう。

今より少しでも向上したい、より良い人生を送りたい、そのためにも勉強が欠かせない、ということについてはその通りだと同感できるが、その中身については、ついていけないと思ってしまう。

本で示されている方法を実践した方が絶対良いに決まっているが、ジョン・トッドが激しく非難する”怠け者”の部分が少なからず自分にあると思うからだ。

時間の使い方、優先順位のつけ方、人との接し方・・・指摘されている有りとあらゆることで、だめだこりゃ的な気分になる。

それでも、それなりに頑張っていればゼロではないはずだから、自分の中の怠け心を揺すり起こしながら、とりあえず努力することはやめないでおこうと思う。

外の景色をぼーっと眺めている時間を勿体無いと感じてしまうと生きるのが辛くなりそう。

ぼちぼち頑張って、ときどきぼーっとして、また頑張って、行こう。

道の景色に足を止めながら、立派な人たちの言葉を杖にしながら・・・

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笠利の原ハブ屋のすぐ脇に設置された見晴らし台からの眺め。

腰掛けるところもあるのでぼーっと過ごすのに良いかも。

2019年3月20日 (水)

川の流れのように

”川の流れ”というと滔々と流れる大きな河を連想するかもしれないが、そんな逞しいものではない。

それは大河ドラマの偉人たちの世界。

僕の思う川は、山間の小さなせせらぎのこと。

ことさら力むこともなくさらさらと流れて日々を送り人生を全うしたいと願っている。

”願っている”わけだから、現実はそうではないということ。

おそらく、ほとんどすべての人がそうしたさらさらとは流れない人生を送っているのだと思う。

長い年月を恙なく過ごすというのは至難の業。

すべてが順風満帆なんてあり得ない。

躓き、滞り、やっと流れ出したと思ったらまた・・・みたいな人生なのでは?

もし、詰まってしまって流れに滞りがおこると色々な障害が現れる。

人間の体で言えば、排便が滞ると便秘になって、万病の元となる。

血流が滞ると静脈瘤ができ、最悪心筋梗塞や脳梗塞に繋がっていくかもしれない。

支払いが滞ると催促が来て、やがて借金苦に喘ぐことになるかもしれない。

社会との繋がりが滞ると孤立して、誰の助けも得られずに孤独死してしまうかもしれない。

夫婦間の愛情が滞ると何しろ一つ屋根の下で毎日顔を合わすわけだからこれはもう耐えられないかもしれない。

さらに、車の流れが滞ると渋滞となり、電気の流れが滞ると停電となり、水の流れが滞ると断水となり、食料の流れが滞ると飢饉となり、お金の流れが滞ると不景気となり、・・・こうして、人も社会も流れが滞るとたちまち支障が出て、やがて機能停止状態に陥ってしまう。

うわー、書いてみてあらためて気づいたけど、”流れる”ってすごく大事なことなんだ。

”淀む水は腐る”とも言うから流れが止まったらもう最悪だ。

あらゆる流れが滞ることなくスムーズに動いていてほしいと切に願う。

なにしろ僕らは小さな川だから何かあるとすぐに詰まる。

詰まったら、ツマラナイ。

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古仁屋の川。

子どもの頃は、ここでウナギをつかまえたりして遊んだんだけどね。

今の子どもたちは、町の中に遊べる場所がないのでツマラナイかも。

2019年3月19日 (火)

日課、なんとか続けられている。

今年元旦から毎日欠かさず続けているブログがあやうく昨日で途切れるところだった。

またもや締め切りに間に合わなくて最後の最後でジタバタしていて、他の一切のことができなかったのだ。

さっき最後のイラストをメールで送ったので、ブログも今日中に書いて、英文も書いて、それから・・・とにかく自分に課した日課を守れそうだ。

仕事が遅れがちなのにどうしてそこまでして”日課”にこだわるのか?

それは、ひとえに少しでも成長したいと思うからだ。

時間のかかる日課をやめた方がその分仕事に集中できると思うが、それではこの先の楽しみがない。

一年経ってなにがしかの成長を実感できれば、有森裕子さんのように「自分で自分を褒めてあげたい」気持ちになるかもしれない。

ジタバタしながらでも毎日続けてさえいれば、湯川秀樹さんの言葉のように「一日生きることは、一歩進むことでありたい」みたいなことをわずかでも実践できる・・・かもしれない。

レベルはぜんぜん違うけど。

いつの間にか人生も終盤だし、何度もやり直す時間はないだろうから、とにかく前に進んでいかなくっちゃ。

ところで、CGソフトの使い方がほぼ素人なので、4月からは、そうしたものの勉強も始めようかな?

ぜんぜん使いこなせていないので、仕事が遅い原因にもなっている。

本来はそっちが先だよね。

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ガイドブックだけ揃えているし・・・多いなこういうパターン。

持っているだけでなんとなく勉強した気になるんだよね。

今度こそは⁉️

2019年3月18日 (月)

ミュージカルを満喫

昨日奄美パークで劇団四季の公演があり、妻とふたりで行ってきた。

ミュージカルの舞台を見るのは、ずいぶん前にふるさとキャラバンが古仁屋小学校で公演したとき以来だ。

(その団体はもう解散したらしい)

会場内の駐車場が利用できるよう早めに出かけたのだが、タッチの差で臨時駐車場へ誘導された。

開場の時間になるまで車の中で待機していたが、その間にガラガラだった駐車場がみるみる埋まっていった。

指定席でなければ早々に行って並ばないといけなかったはず。

古仁屋で入手したチケットは、2階席でそこが舞台からどれだけ離れているのかを実感することになった。

これまで2階席だと思っていた場所は中央通路を挟んだ1階席であり、2階席はさらに階段をどんどん上がっていく場所にあった。

そこから舞台を見下ろすと文化センターのホールの広さを実感できた。

こんなホールが瀬戸内町にも欲しかった。

いつまでも平床にパイプ椅子を並べるイベントでは寂しすぎる。

同じ”町”の龍郷町にもりゅうゆう館という施設がある。

瀬戸内町にはない。

映画の上映は窓に暗幕をかけてパイプ椅子に座って観た。

南こうせつのライブでさえも体育館のパイプ椅子に座って聴いた。

(確か、床に体育座りというイベントもあったはず・・・)

昭和〜平成〜・・・、ずっとパイプ椅子。

色々事情があるとは思うが、町民の素朴な願いとして、一般的なフツーの”文化ホール”が欲しい。

瀬戸内町の図書館は誇れるけどね。

それはさておき、ライオンキングのロングラン公演で有名な「劇団四季」のミュージカル公演だけあって、客席は見た限りほぼ満席であった。

親子づれが多かったが、おしゃれして出かけてきた感じの年配者のグループもちらほら見かけた。

島で本格的な舞台を観ることができるのだからさぞかし楽しみにしていたに違いない。

S席3000円、A席2000円という、通常では考えられないチケットの安さも嬉しい限り。

子どもたちを意識して、楽しく分かりやすい語りと歌で物語が展開していったが、大人も十分楽しめる内容だった。

「王様の耳はロバの耳〜」と歌うシーンでは、観客も手拍子しながら一緒に歌っていた。

横にいる妻も目をきらきら輝かせて歌っていた。

子どもが小さい頃にこんな舞台を見せたかったとのこと。

さらに、俳優たちのキレッキレッのダンスを見て、歳をとったらあんなダンス出来なくなるよね、そうしたらどうするんだろうと、俳優たちの老後まで心配していた(?)

人生は終盤もそれなり長いからね。

上演中の写真撮影はNGだったので残念ながら写せなかった。

役者が勢揃いしているシーンではここだけでも撮りたいと思ったが、子どもの目があるところでルールを破るのは気が引ける。

子どもが並んでいる横断歩道では、きちんきちんと信号を守る状況と似ているかも。

途中15分の休憩を挟んで、17時から19時までの2時間、本格的な歌と芝居をたっぷり楽しませてもらった。

幕が下りて会場から吐き出さられる人の多さに驚いて思わず写真を撮った。

こんな幸せそうな人の賑わいは見ているだけで嬉しくなる。

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結局、今回撮れた写真は、始まる前の緞帳の下りた舞台と終わって会場を後にする人の群、だけ。

2019年3月17日 (日)

世界自然遺産登録の行方は?

内外にそれなりの機運の高まりがあり、おそらく成るであろうと思われていたユネスコの世界自然遺産登録が、去年まさかの頓挫で波紋をよんだ。

登録を見込んで(?)就航したバニラエアとスカイマークも今後どうなるか分からない。

バニラはピーチに吸収されたので、今後の運行はさらに不透明になった。

これまで一人勝ちだった日本航空の運賃がガクンと下がったのはバニラのおかげだと言ってもいいだろう。

これらが撤退すれば奄美大島を往来する人たちは再び馬鹿高い航空運賃を払わされるハメになるかもしれない。

そうなれば空の便を利用する観光客は激減するだろう。

かと言ってキャパを著しく超えたクルーズ船の誘致は問題があり過ぎる。

世界自然遺産登録は、自然の保護ばかりでなく、島民の生活にも大きな影響を及ぼすのだ。

先ごろ自衛隊員が大勢奄美入りした。

奄美大島にミサイル基地が配備されたことによるものだ。

これで瀬戸内町が真っ先に攻撃される標的のひとつになったわけだが、いずれにしてもいざ事が起こればどこも無事であるはずがない。

地球上15000発以上の核弾頭があるというのだから、少しでも使用されれば、日本全土、世界全土の規模で破滅してしまう。

だから、どこも使えない、使うはずがないという抑制的な危うい均衡でバランスをとっている。

ミサイル基地も果てしのないチキンレースのアイテムの一つに過ぎないのかもしれない。

一方で、大勢の人が移住したことにより、島にいくらか活気が生まれたことも事実。

人口減や、ネット販売との競合による購買客の減少で悩まされていた商店街にとっては、自衛隊員の移住は、恵みの雨とも言えるだろう。

報道によると、今後は、射撃場なども整備されていくようだ。

沖縄の米軍基地のようになし崩し的に拡大していかないだろうかと心配になる。

これまでの政府の対応を見ていて容易に想像がつくが、自然を切り崩して開発を進めるにあたっては、”何の問題もなし”という調査結果が示されるだろう。

山が切り開かれ、川の流れが変わり、地形や海が変化していくかもしれない。

動植物の死滅については、おそらく因果関係が明確でないということで棚上げにされるのだろう。

そこをユネスコはどう判断するかは分からないが…

これから先どういう風に折り合いをつけていくのか、人間たちの責任で考え続けなければいけない。

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世界自然遺産登録って”良いとこどり”だけではないはず。

2019年3月16日 (土)

本日も欠航なり

昨日港近くのスーパーで買い物をしていて店員と客との面白いやりとりを聞いた。

客「今日(キュー)や、ケッコーマルな出(イ)じぃてゅんな?」

店員「放送がないから出ているはずよ」

それで分かった、ケッコーマルは、欠航丸、フェリーかけろまのことだ。

少しでも天気が悪いと「本日、フェリーかけろまは海上悪天候のため、第・・便は欠航いたします」と放送が流れ、町民は「またか」と思うのだ。

午前の全便、午後の全便、あるいは丸一日欠航ということもある。

以前そのスーパーで加計呂麻島の知人と会ったとき、「帰りが心配だから今のうちに戻らんば」というような会話をしたことがある。

いつ欠航になるか分からないという不安を抱えながら古仁屋へ渡ってきたようだ。

新造船になってから、どうしてこんなに頻繁に欠航するようになったのだろうか?

誰かから聞いた話では、船の着岸や離岸のときに使う横のスクリューがないので操船が難しいとのことだったが、本当のところどうなのか分からない。

もし、そうだとしたら、そこを省いて節約したつもりが実際の運行で大損していることになる。

観光客なども帰れるか不安で車で乗り入れることができないし、通勤や買い物で古仁屋と加計呂麻島を行き来する人にとっては影響大だ。

「欠航丸」が悪天候で無理して「決行丸」になると、それはそれでまた衝突事故が起こるのではと不安になる。

「加計呂麻」ならぬ、便が欠ける「欠け路ま」、帰りが不安だが一か八か乗ってみる「賭けろま」か?

昔は良かったという言い方はよくないと思うのだが、旧船はデッキから大島海峡を眺めることができて、移動中もそれなりに楽しかった。

新造船はそれができないが、しかし、車の乗り入れはバック入れがなくなって楽になった。

ただ、相次ぐ欠航でそれが十分に活かせない。

旧船は、滅多なことでは欠航しなかったような気がするのだが…

その分小型の定期船や貸切船で補っているのかもしれないが、レンタカーで訪れる観光客は、できれば「フェリーかけろま」で快適な旅を楽しみたいと思うのではないだろうか?

来てみて欠航では可哀想だ。

だからと言って危険を課してまで運行してほしいわけではない。もちろん。

しかし、このままの状況でいいとも思えない。

度々予定が狂って落胆する利用者はもちろん、気の引けるアナウンスの荷を負わされている役場職員も気の毒だ。

なんとかならないのだろうか?

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以前写した、停泊中のフェリーかけろま(手前は水中観光船)

このときも確か欠航だったはず。

2019年3月15日 (金)

カクテイシンコク

昨日ようやく確定申告を済ませてきた。

手帳には早めの対応を予定しているが、結局いつもギリギリになる。

なにしろ1年に1度しか見ない書類なので、前にどうやっていたのか記憶を掘り起こすところから始めないといけない。

国税庁のホームページで入力するだけで必要な書類ができるのだが、作業を終えるのがいつも深夜におよび、もうしばらくは見たくないという気分になる。

見ないようにするから手順の記憶が消えて、次の年に長らく画面を見るハメになる。

まず決算書を作成し、そのデータを引き継いで確定申告書を作成するという一連の作業が、パソコンでできるようになっているのだが、ところどころでつまづいてしまう。

複式簿記で仕訳とかしているわけでもなく、現金出納中心のシンプルな申告書なのに何故か時間がかかってしまう。

今回は少し賢く、(来年の今頃の自分に向けて)控えの書類に赤ペンで要点をメモ書きした。

憂鬱なカクテイシンコクを乗り切れ、来年のオレ。

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2019年3月14日 (木)

運転の見張り役

車が歩道に乗り上げて複数の人が犠牲になったというニュースが流れた。

誰もまさか車がセンターラインを超えて向かってくるとは想定していない。

だが、運転しているときたまに「もし、あの対向車がこっちに向かってきたら避けようがないよな」と思う時がある。

わずか1〜2メートルほどの間隔で、お互いにけっこうなスピードですれ違っているわけだから、少しハンドル操作を誤るだけでも大惨事になってしまう。

信号も赤になるとすべての車が止まって、青になったところの車だけが動き出すのでぶつからないで済む。

共通認識として交通ルールってすごいなと思う。

でも、ある意味「安全」はドライバーの認識と、それを皆が守るはずという前提で成り立っているともいえる。

自分が安全運転をしていても、他の誰かが”前提”を逸脱すれば、事故にまきこまれる可能性はいつもあるのだ。

Tシャツなどの納品のためたびたび瀬戸内〜名瀬〜笠利を移動している分、そうした危険性があるというわけだ。

娘から、事故が発生した場合の証拠になるからドライブレコーダー(DR)をつけた方がいいとアドバイスされて去年車に取り付けた。

それまでは、DRは高価なものだというイメージがあってためらっていたが、種類も価格帯も豊富にあって、僕が購入したものは前後のカメラがついて6000円ほどだった。

安かったけど、それなりにちゃんと動いてくれている。

これで、もし、何らかの事故が発生した場合は、後からの検証が可能になったわけだ。

今年1月、名瀬の街を走っていたときに前の車の前に猫が飛び出してきた。

あっと息をのんだ瞬間、その猫はジャンプして車のフェンダーを蹴って後方に着地するやいなやささっと道を渡りきった。

数日して、あの瞬間の映像がDRに記録されているのではと思い出してパソコンで再生してみたが、そのシーンに該当する分は上書きされて消えていた。(ちょっと残念)

まあ、あくまでもいざという時のアイテムだから。

あと、実際に取り付けてから気づいたことは、映すのは対向車ばかりでなく、自分の運転も記録されているということ。

信号、一時停止、速度制限、etc…僕がどんな運転をしているのか一部始終を記録して見張っているわけだ。

独りのつもりで歌った歌も恥ずかしいことに全部記録されている。

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おかげで、さらに(と言っておこう)、品行方正なドライバーになれそうだな。

2019年3月13日 (水)

ヘタ絵の魅力?

稚拙な絵が「ヘタウマ」だとして評価されたりする。

技術的なことよりも感性を優先した新しい基準なのかもしれない。

もう新しくもないか。

大人が子どもの描いた絵を模倣するのが難しいように、わざとヘタウマを意識して描くのは、変な話だが、それなりの”技術”がいるような気がする。

つまり、自然発生的に素直に描かれたものなのかなと。

モヤっとしていてよく分からないが、あくまでも感受性での評価になるから明確な線引きは無理なのかも。

だいぶ前の話だけど

何かを説明するために走り書きした絵を息子がとても気に入って「これ良い!」「これのTシャツが欲しい!」とねだられ、狐につままれたような気分で1枚だけTシャツを作ったことがある。

紙に落書きしたそれを再現しようとすると不思議と最初の雰囲気が崩れてしまう。

まったく上手く描こうと思っていない自由な線だからこその魅力があるのだろう。

結局スキャナーで読み込んでプリントした。

息子には、「こんな感じの絵がいいのに」と続編を期待されたが、無理だ。

ゆるゆるの絵って意識すると描けないものだ。

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(おしくらまんじゅうしている感じのトリを描いた)

言われてみれば、ちょっとかわいいなと思うけど。

2019年3月12日 (火)

防災グッズあったはず

8年前の3月11日に東日本大震災が発生したとき、子どもたちは関東圏に居て地震に遭遇している。

震災直後は、携帯電話がまったく繋がらず随分気をもんだ。

テレビでは、津波により甚大な被害を受けた東北地方の惨状や福島原発の原子炉建屋が損壊して放射能が広がりつつある緊迫した状況が連日報じられていた。

それ以前から首都圏直下型地震が発生する確率はかなり高いと警鐘が鳴らされていたので、実際に発生した大震災の脅威を目の当たりして人々の「防災」への意識は一気に高まった。

被災した際の非常食やサバイバルグッズなどを詰め込んだ防災バッグが続々と販売された。

親のいくらかの気休めとして、子どもたちにもそうしたものを送っておいた。

わりに呑気な我が家でも、リュックに懐中電灯や救急箱や缶詰などを入れて、いざという時に備えるそれなりの態勢をそとった。

それから8年…

賞味期限の切れた非常食は食べ尽くして補充しておらず、ビニール袋なども使ってしまったので、今はリュックに何が残っているのかさえ把握していない。

そのうちにチェックしようと思いながら日々やり過ごしている。

大きな地震が今日にも発生するかもしれないのに、正常性バイアスがかかって油断しきっている。

都合の悪い情報には向き合おうとしない人間の性…かの一休禅師はそれをよく知っていて、口癖のように戒めていた。

「御用心、御用心」と。

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娘が高校生のときに作ったこの不思議な塑像の中に防災グッズが入っている。

家が崩壊したとき最も立ち入り易い場所だと聞いてこれを玄関に置いている。

住人はもうすっかり慣れているが、初めて訪れる人はこの奇妙な四つ足に驚くかもしれない。

でっぷりと太っていて逃げ足も遅そうだが、いざというとき大丈夫か?