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2019年2月の28件の記事

2019年2月 8日 (金)

すでに葉桜

長雲峠の桜を見に行った。

峠の入り口、集落の桜にはちらほらと緑が混ざり始めている。

たしか桜は麓から山頂へ開花するはず、峠の桜はちょうど満開くらいだろう。

そう思っていた。

しかし、頂上へ近づくにつれて薄桃の花びらが消えてどんどん寂しくなっていく。

今年は暖冬なので桜の開花がいつもより早いとは感じていたが・・・

山の上は特に寒暖の差が大きいので、もう春が来たと慌てふためいたに違いない。

日当たりの良さそうな場所は、もうほとんど葉桜になっていた。

せっかく峠まで来たのだからと、いくらか花びらが残っている場所に立って、少し前は満開であったろう桜並木の余韻を求めた。

年が明けてまだ2月になったばかりであるが、”来年こそ”は!・・・と

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もし、桜マラソンが開催されていたら、「葉桜マラソン」になるところだった⁉️

2019年2月 7日 (木)

さらば相棒

仕事でとても重宝していた軽貨物車(アトレー)を廃車した。

厳密に言うとまだ廃車はされていないと思うが、とりあえず昨日引き取ってもらった。

軽でありながらとにかく室内が広くて使い勝手が良い。

商品のTシャツを入れたボックスを3つ積んでもまだ余裕で他の荷物を積むことができた。

後部シートを倒せばコンパネや自転車といった大きな荷物も積むことができた。

仕事の相棒として毎日のように出かけていた。

馬力がないので名瀬や笠利などの遠出の運転は疲れたが、それを補って余りある実用性があった。

できればずっと付き合っていたかったが、オイルが漏れ、水が漏れ・・・と老朽化が進んで、遠出への不安が募り、最近はバッテリー切れも頻繁になってついに乗ることを諦めた。

アトレーの最後の仕事は、年末に網野子峠を越えて最終処分場まで不燃ゴミを運搬したこと。

運転中エンジンが無理していることを感じていたので、頑張れ頑張れと祈るようにして走った。

まさか、次は自分自身が廃棄されるとは思わなかっただろう。

バイバイ、ありがとうね。

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次に乗り換えた車はマーチ。

もちろん中古車。

全体に丸みを帯びたデザインで、およそ荷物を積む構造になっていない。

でも、よく走ってくれるし、機能も充実している。

後部座席も荷物で塞いで二人乗りだと割り切って使っている。

車検の鉄工所がよくしてくれるので、いずれにせよ不満はない。

お金がたまったら新車を買うねという空手形を買ってくれている。

2019年2月 6日 (水)

そうだったのか!復帰運動

2013年に東京奄美会の依頼で「東京における日本復帰運動」という冊子の表紙と挿絵を描いた。

そのときは復帰運動についての知識はほとんどなく、資料をつまみ食いしながら何とか必要なイラストを描き上げた。

概要は理解できたが、奄美と内地で行われた復帰運動の詳細については虫食い状態だった。

インプット即アウトプット、つまり、それらについての知識は付け焼き刃だった。

それでも、「イラストが入って分かりやすい冊子ができた」と多くの関係者に喜んでもらえた。

冊子の著者である右田昭進さんからも電話がかかってきて、「あなたは良い仕事をしてくれた。本当にありがとう」と直接お礼の言葉をいただいた。

冊子を奄美市に寄贈する際には東京奄美会の代表と同行する名誉にもあずかった。

おそらく、東京奄美会の方々は、あいきじゅんは奄美在住のイラストレーターでもあるし、復帰運動についてそれなりに知識をもって描いたと思ってくれたのだろう。

恥ずかしい。

今回また別の団体からの依頼で復帰運動についての挿絵を描くことになり、今度は中身についてしっかり勉強しようと思い、若者たちの無血革命という視点で書かれた「奄美の奇跡」を読んだ。

本では泉芳朗や昇曙夢といった一般に知られた人物だけでなく、実に様々な立場の人たちが登場する。

日本と切り離されて内地への渡航は許されず、言論の自由を奪われ、物資や食料が不足して困窮を極めた奄美の人々の苦しみ。

生き抜くために闇物資を求めて、あるいは向学心を満たすための命がけの密航。

日本への帰属を求めて声を上げる青年たちが米兵に逮捕されるなどの妨害を受けながら、次第に祖国復帰が群島民すべての願いとして広がっていく様子。

これまで事象で捉えていた運動が、渦中で必死にもがいている人間の視点で見られるようになった。

もっと色々知りたいと思い他の書籍も購入した。

あのとき描いたイラストの中身について今頃理解できた。

ほんとに、勉強不足、バカだ。

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(日本復帰60周年記念 東京における日本復帰運動)

2019年2月 5日 (火)

段ボールのラジオ

記憶力が弱くなってきたという事情もあるが、買い物はメモを見ながらする習慣がついている。

リストアップされた品物が揃ったら買い物は終了となりレジへ向かう。

商品を探す過程でたまたま目についた例えばセール中の商品などを買うことはあるが、ほぼ目的をもって店を訪れそれを満たせば終了となる。

この、およそ”遊び”のない買い物スタイルは家族には不評だ。

女性には、ぶらぶらと”ショッピングを楽しむ”という習性があるようだ。

なので、一緒に買い物をするとき僕は”待つ”という忍耐を強いられることになる。

先日もそんな感じで時間を持て余していて、店内をぐるぐる回ってみた。

そして見つけたのだ。

ニンテンドーラボ・・・のようなダンボールのラジオを。

値段はなんと500円程度。

1ミリの迷いもなく買い物カゴへ収めた。

ぶらぶらショッピングもたまには良いものだ。

ただ、オモチャのような段ボール製なので、実際にラジオとして使えるかどうか不安はあった。

かわいいデザインなので、置き物でもいいかと思いながら試してみた。

ラジオはあらかじめ組み立てられていて背面に単三電池を3本入れるだけで可動する。

30センチほど伸びる直立アンテナと、前面に周波数と音量を調整するつまみがあり、側面にFM、AMの切り替えスイッチがあるだけのシンプルな作りだ。

家の中のどこが電波の状態が良いか色々探る必要があったが、いったんキャッチしてからは雑音もなく良好な状態で聞くことができている。

おかげで久しぶりにラジオを聞いて過ごしている。

段ボールから声が聞こえ音楽が流れてくるのが楽しくて笑えてしまう。

そういえば、愛着のあるグッズは、偶然出会って一目惚れしたものが多いように思う。

メモを片手の買い物ばかりでなく、ぶらぶら店内を彷徨って素敵な出会いにも期待しようかな。

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2019年2月 4日 (月)

夜更けにトイレを拝借

夜遅く名瀬から古仁屋に向けて車を走らせている途中で妻がトイレに行きたいと言い出した。

和瀬トンネルを抜けて城集落にさしかかるところ。

名瀬にいるうちならコンビニもあったのに・・・と愚痴っても仕方がない。

住用のサン奄美のそばに公衆トイレがあったときは、そこを気軽に利用できていたのだが、周辺の整備工事が進む中でいつの間にか撤去されてしまった。

三太郎トンネルを抜けてしばらくいったところにある道の駅が唯一のチャンスだ。

「もう少しだ、頑張れ」と妊婦を励ますようにして車を走らせた。

昼間と違って夜の道の駅には車が一台もなくひっそりとして寂しい。

周囲を木々で覆われた気配の中に建物の明りだけがうっすら灯っている。

怖いから一緒に来てと言う妻に従って車を降りた。

トイレは外側からも入れそうだったが、正面玄関が普通に開くのでそちらから中に入った。

旅行客だけでなく島民にとっても、トイレが利用できる施設は大変貴重でありがたい。

休憩場所としても利用できる。

仮に自分がよその土地にいて、何かの事情で宿が取れなかったりしたときは、こうした施設があれば大いに助けになるだろう。

しかし、管理する側にとっては、不特定多数の人が利用する施設を維持していくのは色々苦労があるに違いない。

善意で運営されていた施設が一部の不心得者のために開放されなくなったという例もある。

お互いがお互いのために気づかいながらできるだけ長く維持されていくことを願う。

そこが島暮らしの良いところだと思うから。

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助かりました、ありがっさまりょうた。

2019年2月 3日 (日)

新庁舎の見学

奄美市名瀬の新庁舎がついに完成した。

2月1日の南海日日新聞で、紬の柄をイメージしたデザインや近代的な設備を整えた館内の様子を紹介した特集号が組まれていて興味をそそられた。

業務が開始されるのは2月12日(一部は2月18日)からということだが、昨日(2月2日)市民向けの一般見学会が催されたので、早速出かけてきた。

新庁舎は現庁舎と背中合わせのように隣接して建設されている。

半世紀を経て老朽化した庁舎と、誕生したばかりの真新しい庁舎が並んでいるのを見ると、新しい時代へと引き継がれていく象徴的な姿に映る。

「昭和」から「平成」、そしてまもなく新しい元号が始まろうとしている・・・

見学会は10時から15時までの5時間で、その間に市民は自由に立ち入ることができた。

見学が許可されたのは、2階、4階、7階の3フロア。

1階は、公用車の駐車スペースになっている。

2階は、住民票や税金といった各種手続きのための窓口がすべて集約されている。

4階までの吹き抜けの下に椅子が並び、低いカウンターで仕切られただけの広々とした空間は、まるで空港ロビーのような印象を受けた。

各課がぐるりと見渡せるオープンな環境は、市民にとっては利便性を向上させるだろうが、業務を行う職員は一定の緊張を強いられるかもしれない。

見苦しい格好や緩めの仕事ぶりを市民の前に晒すわけにはいかない。

公僕として一層の覚悟を感じる、とても透明性の高いデザインだと感じた。

見学に訪れたおばちゃん達が、職員に「がんばってね」と声をかけていたが、そう励ましたくなるような、全体に市民へのサービス向上を目指している姿勢が感じられる空間になっていた。

4階は、市長や副市長といった要職の執務室と会議室などのフロアだ。

今日ばかりは各部屋の出入りを自由に許され、市長の椅子に座っての記念撮影も行われていた。

滅多にない、というか、ほぼ絶対にないことなので、それぞれ”一瞬の市長就任”を楽しんでいた。

7階は、議場と議員の控え室のフロアになっている。

ここでもにわか議員たちが好き好きに座って記念撮影を楽しんでいた。

傍聴席は8階からしか出入りできないようで、今回立ち入ることはできなかった。

以上で見学終了。

ところで、トイレをまだ見ていないと気づいて確認したら、3階だけ使用できるとのこと。

特に尿意を催してはいなかったが、絞り出すようにして小便をした。

新庁舎が気にいったので、いわばマーキング(笑)

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でも、そもそも市民じゃないんだよね。残念。

そして、お邪魔さまでした。

2019年2月 2日 (土)

HPが更新できない問題

いつだったか定かではないがホームページのようなものをこさえた。

HTMLの知識がなくても簡単に作れるということで「ホームページV3」というソフトを使った。

しばらくはそれを使っていた。

一昨年、OSが古くなってサポートされなくなったのを機にパソコンをウィンドウズからマックに変えた。

過去にMacを使っていた時期もあったのですぐに慣れると思っていたが、Windowsに浸かっていた時間が長すぎたのか、Macの操作になかなか馴染めなかった。

一番困ったのはこれまで使っていたすべてのソフトが使えなくなったこと。

パソコンを動かすOSが違うのだから当然なのだが、あらためてマック用のソフトを揃えるのはけっこう痛かった。

マックでも「ホームページV3」を使用するつもりでいたが、このソフトのマック版はないことがわかった。

そもそも、この会社の製品はほぼすべてがウィンドウズ仕様だった・・・。

慌ててマックで使えるソフトを探したが、数がそんなに多くない上に高い!

困ったときのamazon頼みで「LIVE」なる中古ソフトをまあまあいい値段で購入したのだが、ソフト自体が古すぎたのかまともに動かなかった。

同じマックのソフトでもOSのバージョンが違うと動作しなくなる。

今度はアップルストアから「Sandvox」を購入した。

現在使われているソフトだから大丈夫なはずだったが・・・

今度は使い方が分からない問題に直面。

操作パネルは日本語で表記されているが、使い方を示したビデオはすべて英語だし、ネットで調べても日本語で書かれたマニュアル本は見当たらなかった。

試行錯誤しながら勘で動かしていくか、と覚悟して、とりあえず作り始めたが、以前のソフトで出来ていたことがまったく再現できずにフラストレーションが募って挫折した。

悩んだ末に、とりあえず最新のOSが搭載されたWindowsパソコンをできるだけ安くで購入して、しばらくはそれでホームページの更新をすることにした。

必要最低限の条件を満たした最新で最低価格のパソコンを探しに探して、DELLのノートパソコンをクーポン使用で3万円弱(消費税・送料込み)で購入できた。

さあこれでいつでもホームページの更新ができるぞと安堵したのだが、このノートのスペックがショボくてとにかく反応が鈍い、動作が遅すぎる。

必要最低限でいいと思っていたが、さすがに最低限すぎたか⁉️

最近は触ることも少なくなり、ほぼHPを更新できていない状態が続いている。

H(ほったらかし)P(ページ)に成り下がってしまった。

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違う話だけど、英語が分かるとけっこう便利なことが増えると思う。

いろいろ妥協しないためにも勉強してみようかな・・・

2019年2月 1日 (金)

カトクの浜が変だ

嘉徳小学校跡地の美術館を出て浜へ行ってみた。

バスの停留スペースを抜けて浜辺へ近づくと眼前に海が・・・あれ?

以前はアダンのトンネルをくぐって浜へ出たはずだったが?

アダンの茂みが消えていた。

わずかに残ったアダンの脇を抜けて浜へ踏み出すと砂浜がいきなりドンと落ち窪んでいた。

まるで線を引くように、段差にずらりと土嚢が並べられている。

下から眺めると何かまずいことが起こりつつあるような不穏な光景に映る。

散乱している漂流ゴミの多さもそう感じさせた要因かもしれない。

浜辺を歩きながら集落と浜との境界に植わっているアダンの防風林を見ていった。

新聞でアダンの根を支えていた砂が消えたと報道されていたからだ。

どこがそうかと思っていたら、すべてそうだった。

おそらく、あの土嚢が積まれた段差の分だけ丸ごと砂が消えてしまったのだ。

”砂”という言い方は生易しいかもしれない、印象としては、浜そのものが欠けてしまっていた。

新聞には台風のせいと書かれていたように思うが、台風なら遥か昔から何度となく上陸したはず。

短期間でこれだけの変化が起こったのには、他に何か理由があるのではないだろうか?

いずれにしても、記憶にある広い広いカトクの浜はもう戻ってこないのかもしれない。

今度こそと世界自然遺産登録に向けて機運が高まる一方で、肝心の自然が縮んでいってはいないだろうか?

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