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2019年1月の31件の記事

2019年1月11日 (金)

シルバーガン

腹が出て 日々オジサンに 成りにけり

いつの間にやら老化現象というものが進んで

まず字が見えづらくなる。

「字が小さ過ぎて読めなーい!」と叫びたくなる。

”はなせば分かる”時代は終わって

シルバーグラスが手放せないようになった。

いわゆる”老眼”鏡ね。

最初は100均のもので間に合わせていたが、長時間つけていると目が痛くなるので合うものを探し続けていた。

試しに使ってみては、重くて耳が痛い、ずれて鼻眼鏡になる、きつくて痛い、と見え方よりもフィット感に難があってなかなかこれというものが見つからない。

パソコンを使うことが多いのでブルーライトカットのメガネとルーペグラスを重ねて使うということもしてみたが、さすがに不便すぎて一日もたなかった。

そんな風に父がもがいているの見かねた娘がブルーライトカットと老眼鏡が一緒になったメガネをプレゼントしてくれた。

東京に行った際に買い求めてくれたようだ。

良いものだった。

家ではこれを首から下げて片時も離さずに過ごしている。

おかげで不自由することが少なくなったが、いずれ度数が合わなくなってくるのかな・・・

老眼は死なずただ進むのみ、か。

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2019年1月10日 (木)

パクチーぱくぱく

趣味で野菜作りをしている親戚からニンニクの葉とパクチーを大量にもらった。

名前はよく耳にしていたが実際にパクチーを見るのは初めてだった。

独特の強い香りがする。

妻は「あ、この匂いダメかも」と早々にギブアップ。

そういう類はとりあえず揚げれば大丈夫かなと、天ぷらを作ることにした。

人参とビーマンと芋と、他の野菜も加えてがんがん揚げた。

油の混ざった強烈な匂いが家中に漂う中で

ニンニクの茎とパクチーはすべて僕が食べた。

少しムカムカするような満腹感というか飽食感というか・・・

少量なら体に良いものでも大量にとるとおかしな感じになるようだ。

過ぎたるはなお及ばざるが如し。

そういえば、若い頃会社の飲み会で英気を養うはずの”百薬の長”を飲み過ぎて点滴を打つ羽目になったことも。

今度パクチーは「ぱく」くらいにしておこう。

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(パクチーよりもニンニクのせいかも⁉️)

2019年1月 9日 (水)

身も心もリフレッシュ

年末忙しくて床屋に行く時間がとれなかった。

年が明けたらすぐにでもと思っていて昨日ようやく行ってきた。

幼い頃に住んでいた島は床屋などなくて民家の庭で腕に覚えのある人(?)が髪を刈っていた。

どういう椅子だったかは覚えていないがそこにじっと座っているのが辛くてムズムズ動いていた。

すると縁側にお菓子を置いて、最後まで行儀よくしていたらご褒美にあげると言う。

英語が書かれた青い袋のチョコレートのようだった気がする。

馬に人参、その一点を見つめ不動の姿勢に耐えた。

あの頃はじっとしているのが辛く感じた床屋が今はゆったりと身をゆだねられる快適な場所になっている。

20代の頃はたまに美容院で髪をカットしたりパーマをかけたりもしたが、今は断然床屋が良い。

おしゃれで整然としているよりも少々ごちゃごちゃしている方が気楽でいられる。

何も言わずとも”いつものように”という阿吽の呼吸で手際よく髪を切ってくれる。

その間に政治や芸能界などテレビの話題、あるいは、脱水になったとか髪が薄くなったとか身近なことをおしゃべりする。いわゆる”床屋談義”だ。

がっしりとしたバーバー椅子に包まれて髪を切り髭を剃りシャンプーして耳掃除までしてもらいと、すっかり身をゆだねていることの気持ち良さ居心地の良さ。

椅子を倒して顔にカミソリを当てているうちにたいがい眠ってしまう。

緩みっぱなし。

散髪が終わると肩や背中のマッサージまでしてくれる。

長い時間椅子に座って肩が凝ったでしょという気配りなのかな?

髪が整えられて気分転換できて身も心もリラックスできて、2800円なり。

よし、がんばるか!という気分になる。

とってもコスパ良いと思う。

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店内のアイビーがどんどん成長している。

髪もこれくらい元気だといいんだけど・・・

2019年1月 8日 (火)

8年目の浮気

独身の頃はカバン類を持つのが嫌で鍵や免許証などの小物は全部ポケットにねじ込んでいた。

Tシャツのときはタバコは袖にまくしこんで持ち歩いていた。

徹底して手ぶらだった。

それが、結婚して妻から革製のセカンドバッグをプレゼントしてもらってから一変した。

小物が整然と収納できる便利さを知り片時もカバンを手放せない人になってしまった。

その頃から必ず携帯するようになったのが「手帳」だ。

仕事のスケジュールや家族のイベントを把握するための必須アイテムだった。

サラリーマンの間でシステム手帳が流行ったときには本革のルーズリーフを使用した。

石原5年手帳に手を出したときにはパンパンに膨らんだバッグを妻にからかわれた。

その5年手帳は、2007年から2011年まで使うことになっていたが、2009年の途中で書き込みが途切れている。

どういう事情で使うのをやめたのか覚えていないが、もしかしたら肥大化し過ぎた手帳に疲れてきたのかもしれない。

そして、2011年にある手帳に出会った。

奄美群島に関する様々なデータを掲載している「奄美手帳」だ。

ダイアリーページは左に一週間のスケジュール、右にメモのスペースが配されていて僕にとってぴったりの仕様だった。

それからは書店に並ぶ百花繚乱の手帳たちの誘惑に負けずに年内なかなか発行されない奄美手帳を待ち焦がれときには予約を入れてさえ買い求めていた。

それから7年一途に愛していたのに・・・

去年世界自然遺産登録記念と銘打った2018年版の仕様が突如変更されていた。

左にスケジュール右にメモというシンプルで柔軟性のあるスタイルが気に入っていたのに、その年の手帳は一週間が24時間で縦に細かく区切られた仕様に大きく変更されていた。

時間刻み分刻みの忙しい人ならともかく個人営業の僕などはほとんどスカスカになってしまう。

使いづらいなぁと思いつつ1月半ばまで使ってみてついに奄美手帳を諦めることにした。

浮気する。

そうしてネットで探し求めたのが「ほぼ日手帳」だった。

コピーライターの糸井重里さんが発行している巷で人気の手帳だった。

購買者のコメントは賛否両論あったが、左がスケジュール右がメモというシンプルな仕様、後ろに自由に使えるメモ欄、すべてに薄く格子状のマス目が入っている、紙質が特殊で手帳が薄くできている等々、僕にとっては魅力的な内容だった。

値段は少々張ったが迷わず買い求めた。

期待を裏切らない使いごこちで十分に満足できた。

そして今年2冊目を購入。

毎日一緒にいるものが自分と相性の良いものなら毎日ハッピーでいられる。

もちろん妻も、としておく。

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2019年1月 7日 (月)

ダイエットするか

ふだん家の中ではジャージのズボンを履いて過ごしていることが多くなった。

外出するときはほとんどジーパン、伸びてしまったやつとゴム入りのやつだ。

ウエストがどんどん成長している。

今がマックスだとか言って記録を更新しているうちにとうとう手持ちのスラックスが1本も履けなくなってしまった。

アジャスター入りの礼服はそのポテンシャルを最大に引き出してなんとか履けているが、最近少し苦しくなってきた。

先日はそれを着て、かつて勤めていた会社の同僚の父親の葬儀に参列した。

そこで久しぶりに会った人から「だいぶ貫禄が出てきたね」と声をかけられた。

「かんろく?」

つまり体が丸くなった大きくなったという意味か。

やっぱり一目でそういう状態が見えるのだな、そりゃあそうか。

年齢とともに少しずつ変化していく。

心が丸くなっていくのは良いと思うが、体はそれなりをキープしていたいなぁ、できれば。

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最近腰や膝に痛みを感じることが多くなった。

重さに耐えかねて軋んできているのではないか?

心もそうだな。

特に筋力のない人は重くなり過ぎたらいけないな。

いろいろダイエットしなきゃ。

2019年1月 6日 (日)

低コストのシアターで低コストの映画を見る

自分でもいずれ映画をつくりたいというほどの映画好きが知人にいて

彼からさかんに見るよう勧められた映画が「カメラを止めるな!」だった。

本人は3度映画館に足を運んだらしくオリジナルのTシャツも買って着ていた。

そんなに面白いのなら・・・とその気になっていたのだが、上映日時とのタイミングを合わせることができなかった。

それからしばらく経った去年12月のある日、ビデオのレンタルショップでその映画がDVDで貸し出されていることを知り早速借りてきた。

最近は映画をプライムで見ていたのでレンタルするのは久しぶりだった。

どうせならと前にこさえた手作りシアターを起動させて映画館の雰囲気で見ることにした。

ディスカウントショップで買ったロールカーテンをスクリーンにして、通販のバーゲンで買ったこれまで聞いたことのないメーカーのプロジェクターをデッキにつなぎ、かつて使っていたこれだけはまともなSONYのスピーカーに接続した。

床に座椅子を置いて明かりを消せばにわか映画館の完成だ!

僕は階段に腰掛けて家族全員でその映画を見た。

始まってしばらく、ああ、こんな感じの映画か・・・低予算だったらしいからな・・・知っている役者いないし・・・セリフもなんかわざとらしい・・・なんで大ヒットしたんだろう?

・・・的な印象だった。中盤までは。

後半の展開から映画が一気に面白くなる。

なるほどそういことか!やられたぜ、感の小気味良さがある。

お金がかけられないハンデをイマジネーションで見事にカバーしている。

同じ低予算映画で大ヒットした「パラノーマルアクティビティ」よりずっと良い!

見終えた後のすっきり感が違う、コメディタッチにしたのが成功している。

なるほど”面白い”映画だった。

そういえば、映画に引きこまれて見ているうちにちゃんとした設備のホームシアターで見ているように感じていた。

テレビの格付け番組でセレブな有名人たちが一流と三流の見分けがつかぬように脳はすぐ騙される。

足らぬところをイマジネーションで埋めていければ人生は結構豊かになれるのかも。

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2019年1月 5日 (土)

非効率な大事なこと

暮れも押し詰まった12月30日に取引先のお店から電話がかかってきて

内地のお客さんからのリクエストで”愛かなさんのはげーのTシャツ”を2枚送ってほしいとの注文があったと伝えられた。

特に愛加那さんのつもりはなくて単に昔の島むすめをイメージしたイラストだったが、西郷どんの二階堂ふみさんの影響もあったのでそう思われているのだろう。

いずれにせよ双方でデザインの認識が共有できればいいのだ。

相手の方には年明けになると伝えているので届けてもらうのは明けてからでも良いと告げられた。

瀬戸内から笠利まで・・・明日が大晦日でさすがに年内は無理です。

そして、明けて1月4日にTシャツ2枚を届けに笠利まで出かけた。

世間が仕事始めで動き始める日だ。

他の用事を兼ねながらとはいえ、笠利までのガソリン代を考えるとTシャツ2枚分の儲けは吹っ飛んでしまう。

ただ、「少量の注文でも届けますよ」と伝えていることをちゃんと実行したかった。

たぶん、どんなことでも効率を考えると正解がなくてもっともっとと突き詰めていかなければならなくなるのだと思う。

効率ではなく効果を優先して考えるなら、自分にとって多少でも効果があればそれは現時点の正解になる。

以前より少しマシになることを目指して仕事をしていく・・・のが自分に合っている気がする。

発展しないタイプだね。

それでも、笠利まで来ればギャラリーの展示作品を見るついでの楽しみがある。

今回は龍郷町の婦人たちが手作りした作品がずらりと並べられていた。

ひとつひとつの作品にこめる思いを感じて、創ることの楽しさを改めて教えられた気がした。

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ここには作業の”効率”はなくてイメージが少しずつ形作られていく”効果”があって

やっぱりそれが楽しさや満足感につながると思うんだよね。

利益を考えなければだけど・・・

2019年1月 4日 (金)

しばらくゴミと暮らす

12月27日の朝にゴミ出しをして次にゴミ出しできるのは明けての1月7日だ。

年末の掃除にからむ一番ゴミが出る時期をはさんで11日分のゴミを家にとどめておかねばならない。

現段階で大きなゴミ袋が3つ溜まっている。

地区ごとに収集の曜日が定められていて、タイミングが良いところは今朝回収されたはずである。

僕の住む地区は土日を挟んで月曜日にやっと順番が巡ってくる。

おせちなどほとんど食べ尽くしたのであまり生ゴミの匂いがしないのがせめてもの救いだ。

ともかくしばらくは黄色いゴミ袋たちと一緒に過ごさなければならない。

こんな状況が町中にあるのだろうから年始の収集はさぞかし大変なことだろう。

ゴミの収集も水や電気と同じくストップするとその有り難さに気づく。

缶コーヒーのCMで「世の中は誰かの仕事でできている」というのを聞いた時に言い得て妙!と膝を打ったが、これもまたそうである。

買ったものはいずれ必ずゴミになる。

環境問題などがいろいろ言われ出してからほとんどの人は消費に多少のためらいが生じているのではないだろうか。

”一生ものの良いものを買って大事に使う”のが賢明な方法なのだろうが、良いものは総じて高い。

僕らボンビー庶民はとりあえず安いものに手を出してゴミを出し続けている。

なんとか暮らしを改善してそのジレンマを捨てたい。

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(昨年12月最終処分場へゴミ捨てに行ったときのもの)

2019年1月 3日 (木)

あんこ愛

たまたま大型スーパーで見つけた「あんトースト」にハマって、名瀬に行くたびに買い求めていた。

わざわざ用事リストにメモするほど忘れてはならない大事な買い物だった。

しかし、元々の入荷数が少ないのか度々売り切れていた。

初めてお客さまのご意見板に「あんトーストをもっとたくさん入れてほしい」とリクエストした。

しばらく買えずにあんトーストロスが続いていたある日、ふと、食パンにあんこを塗れば同じではないか?と思いついた。

トーストした厚めの食パンにくだんのパンと同じように切り込みをいれて粒あんをたっぷりと塗り込め、バターを塗りたくる。

見るからにカロリー高めの自家製あんトーストの出来上がりだ。

苦めのコーヒーと甘いあんトーストの相性が抜群。

もう2年ほど毎日朝食代わりに食べている。

たまに3時のおやつにもなる便利なやつだ。

おかげであんこが入っていないスカスカの商品に当たってがっかりすることもなくなった。

パックや袋に詰められた砂糖たっぷりのあんこが数週間で空になるのは、ちょっと考えると恐ろしいことだが、市販されているスイーツだって大体そんなものだろう。

何よりも朝起きた時にあんトーストとコーヒーを思い浮かべるだけで地味にテンションが上がるのだ。

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最初の頃は、食パンを冷凍保存するときにパン同士がくっつかないようにいちいち個包装していたが、買ったまま袋ごと立てて冷凍すればくっつかないことも分かった。

知恵もついた。

2019年1月 2日 (水)

火の用心

たとえばお湯を沸かそうと火をつけたらコンロのそばに立ち続けてお湯がたぎるのを待っていたりは、しない。

たいがいその場を離れて何かほかのことをする。

近くにいるのなら大丈夫だろうが、火の気配を感じられないところまで離れてしまうと問題だ。

何かに気を取られて火をつけていることを忘れてしまう恐れがある。

若い頃は滅多になかったことだが、だんだん歳をとってくると脳のどこかが弱ってくるのだろう、そのことをすっかり忘れていたということが増えてくる。

平成28年の12月に新潟県糸魚川で起きた大火災も火をかけたままその場を離れてしまったことから起きた事故だった。

テレビ中継で火災の様子を見ながらとても人ごととは思えない恐怖を感じた。

そのときから火をつけていることを忘れないようにする道具を使っている。

道具というと何やらスマートな感じもするが、ただの手書きのカードだ。

火をつけたら台所の壁にかかっているそのカードを首からさげる。それだけ。

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はっきり言ってこれを下げている姿は格好悪い。

そこがミソだ。

邪魔にならぬよう小さくしてオシャレに手首につける、とかではダメなのだ。

首からこの札をぶら下げている違和感バリバリの状態だから意識できる。

仮にその状態で外へ出て誰かに会えばきっとその人が指摘してくれる。

格好悪いが効果は抜群である。

あれから一度も鍋を焦がしたりはしていないのだから。