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2014年2月の21件の記事

2014年2月10日 (月)

島ぐちの漫画ブログを始めた

方言も交えて島ネタ(シモネタではない)の自由なマンガを描いてみたいとずっと思っていて

昨日からそれをブログで実行した。

奄美こだわりのウェブサイト「し~ま」でだ。

島出身者にしか分からない楽屋オチ的な内容になるかもしれないけど

本人は楽しく描いている。

「あげ漫でぃ!」というブログだ。

お気に入りに入れたので興味のある人はご覧あれ。

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2014年2月 9日 (日)

風刺マンガ(83)

南海日日新聞 2014年1月13日掲載

<吉兆>

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この絵を描いたときは母を亡くした直後だった。

とても仕事をする精神状態ではなかったのだが頑張って描いた。

(母の死は)新聞の読者には関係のないことだから

落とさずに描かなきゃ・・・と、そんな思いだけで描き上げた。

普段は割といい加減な僕なのに・・・そのときは不思議な責任感にかられていた。

ただ、何かを風刺するようなものを描く気にはなれなかった。

少しでも気持ちが明るくなるようなものにしたかった。

たまたま新聞に出たコウノトリの記事が目にとまり、それを題材にしてマンガを描いた。

奄美の島々に人が増えて以前の活気をとりもどせたらいいのにと思いながら。

 

後日の新聞で昨年の統計で奄美群島の人口が11万4千124人と報じられていた。

現実にはどんどん人口が減っていく・・・。

2014年2月 7日 (金)

椅子の張替え(DIY)

食堂の椅子がやばい。

もう30年近く使い続けているので、ギシギシ軋むし、座面が破れてきた。

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買い替えるには勿体ないし、お金もない。

自分で修理することにした。

先ず椅子をばらして

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緩んだ個所を木工ボンドで接続し直した。

接着を強めるために体重をかけて抑え込んでいたが

疲れたので鉄アレイにバトンタッチ(効果あるのか?)

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その間に座面をばらす。

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おびただしい数のステープルの針・・・。

これを外すのが実にやっかいだった。

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業務用の大きな針が強く打ちこまれているのでマイナスのドライバーで力をこめてこじ開けるようにながら一つひとつ外していった。

けっこう長い時間をかけてようやく剥がせた

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中敷きのウレタンスポンジは張替えが更に面倒そうだったのでそのまま使うことにした。

こんな感じで妥協することが生きるのを楽にするコツだ。

その代わり三流の人生になるけど。

敗れたシートの代わりに何を使おうか家の中を探しまわって

女房が買ってきたテーブルクロスに白羽の矢を立てた。

「使ってもいい?」と確認してから

ジョキ ジョキ・・・。

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何に使うか先に言ってた方が良かったかな・・・。

とにかく、それを座面の板にぐるりと巻き込んで

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ホビー用のステープラでガンガン止める。

裏当ては・・・ここでも妥協して、再利用することに。

座面を椅子に固定して

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完成!

ん、良い感じと自己満足する。

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でも、まだやっと1脚め。

残り3脚を同じようにばらさないといけない・・・座面の針外しが大変なんだよなぁ・・・。

完成した椅子は先ずは女房殿に使っていただくことにする。

言わば、耐久テストだ。

面白い本見つけた

なじみの床屋で面白そうなタイトルの本を見つけた。

「シルバー川柳・・・」

川柳は好きだ。 サラリーマン川柳は愛読書?のひとつだ。

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散髪を終えてから立ち読みした。

 「先寝るぞ」 「安らかにね」と 返す妻

 本性が 出ると言うから ボケられぬ。

 欲しいもの 今じゃ優しさ だけになり

 足腰を 鍛えりゃ徘徊 おそれられ

 年上が タイプだけれど もういない

けっこう笑える。

どうやらこういった可笑しみが分かる歳に近づいてきたのか・・・。

願わくば歳をとっても心だけは元気でいたい。

そんな気持ちを後押しする句も。

 百歳が 「10年日記」 買う勇気

2014年2月 6日 (木)

風刺マンガ(82)

南海日日新聞 2014年1月6日掲載

<だんだん鼻息が荒くなってない?>

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去年最後のマンガが12月25日の奄美の日本復帰を題材にしたものだったので

今年最初のマンガは新年に相応しいものにしようと思っていた。

午年(うまどし)なので馬を描くことに。

アベノミクスが奏功しているような雰囲気の中で安倍首相がだんだん強気になっている様を描いてみた。

相次ぐ増税でアベノミクス号から振り落とされそうな「景気」にがんばれって言いたくなる!?

 

南国でよかった

東京までバイトに出ていた娘がたった今茨城まで帰りついた。

電話で話をしている間ずっと「寒い寒い」を連発している。

テレビの天気予報で東京はこの冬一番の寒さと報じていた。

通常茨城はそれより更に1、2度低い。

雪がまださらさらの状態で残っていると、震えながら実況中継していた。

帰り道のコンビニでホットの紅茶を買ってそれを抱きながらアパートへ帰ったようだ。

「コタツで寝る」とか言っていたけど大丈夫かな?

水道の水はちょろちょろと出していないと凍ってしまうとか。

昨日娘から届いた写真がある。

アパートか大学から写した光景だと思うが、あたり一面雪景色だ。

見ているだけで寒い。

娘には悪いが、暖かいところに住んでいて良かったとつくづく思う。

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2014年2月 5日 (水)

おじの花壇

おじが訪ねてきてお茶を飲みながらしばらく話をした。

おじは母の葬儀に個人と会社名で生花を供えてくれたが

その花鉢をひとつ持って帰って

花壇に挿し木をして育ててくれている。

(おじにとっては)妹の葬儀に供えられて花をこのまま枯らしたくないという思いだったらしい。

優しい人だ。

花壇だって自分のものではない。

道路脇の荒れた花壇を誰に頼まれたのでもなくせっせと耕して

少しずつ花を植えていって作ったものだ。

道を通る人が気持ち良くなればそれでいいからと。

供花の菊はその花壇の端にそっと植えられた。

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80歳を過ぎた今もよく働く。

畑仕事など頑張り過ぎて家族が心配するほどだ。

若い頃に大病をした経験もあり

毎朝起きたときに元気でいることに感謝しているという。

おじが言うには

「僕は人より優れた能力はないし体力も自信がないから、その分を時間で稼ごうと思って頑張ってきた。」

「他の人より1割でも2割でも長い時間働いて追いつこうと」

一代で会社を興しそれなりに財を成した人の含蓄のある言葉だった。

奢るところがなくどこまでも謙虚な人だと思った。

僕も人より長く、

夜更かししながら頑張っているつもりだけど・・・

中身が薄いんだよね。 (;一_一) お酒飲みながらだったりするし・・・。

2014年2月 3日 (月)

眼は命だから

緑内障の治療として毎日差している目薬がもうすぐ切れそうだ。

糖尿病に次いで失明の危険があるといわれる病気だから気を抜けない。

何でも後回しにしがちな僕だがこればかりはぐずぐずしていられない。

早速名瀬まで出かけて眼科を受診した。

先ず眼圧を測定(片目ずつ瞬間的に風を当てて調べる)し、次に視力検査をした。

右目は効き目なので酷使(?)しているせいか、極端に視力が落ちる。

緑内障も右目がひどい。

ちなみにどの目が効き目か調べるためには、両目で何かの目標物に指さして、そのまま片目をつぶれば分かる。ずれない方が効き目だ。

病気が進行していないか調べるために検査を受けた。

検査機器の中を覗き、中央の点に視点を合わせてままで周辺のわずかな光を感知したらボタンを押すのだ。

これを片目ずつ5分ほど行う。

検査しない方の目はシールの眼帯で覆う。

疲れるのか途中でぼうっとなる瞬間がある。

誤差を縮めるために同じ位置で何度か点滅させて偶然のボタン押し(あるいは押さない)の可能性を排除する・・・らしい。

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視界の欠けている範囲が広がっているような気がして心配だったのだが、

結果は2年前とほとんど変わっていなかった。

病気は進んでおらず薬によって上手く抑えられているようだ。

眼圧も良い状態らしい。(10・・・とか?)

「残念ながら治る病気ではないので、できるだけ今の状態をキープしてください」とのこと。

もちろんだ、頑張る。

(頑張るったって、目薬さしたり、日中なるべくサングラスをして目を保護するくらいだけど・・・。)

きれいな景色を観たり、本を読んだり、映画を観たり、絵を鑑賞したり、イラスト描いたり、愛する人の姿を見たり、美味しい料理を目で楽しんだり・・・。

目から入る情報はとても多く、喜びは大きい。

これからもたくさんの良いものを見続けたい。

そして、できれば良い目(!?)も見たいと思う。

2014年2月 2日 (日)

「八方ふさがり」の厄払い

初めて「八方ふさがり」なる厄年があることを友人のメールで知った。

その厄払いをしようという誘いに好奇心をかきたてられ

喪中は参加を見合わせるべきでは?という一般常識的な疑問を封印し、「お祝いごとではないし・・・」という曖昧さで参加することにした。

11時までに古仁屋の高千穂神社に集合ということだったが、15分ほど前に到着したときには参加者(35年生同窓生)のほとんどが先に来て待っていた。

同窓生には母の葬儀のときにずい分助けられたのでお礼を言いたかったのだが、葬儀に参列していない人もいるので気まづくなるかもと思い敢えてその場では口にしなかった。

でも、心から感謝している。

いずれ何かのカタチで同窓にお返ししたいと思う。

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お祓いをしてくださる神職のNさんが社脇の手水舎近くに正装で待機していた。

まだすべての建物が完成していないときに一度訪れたことがあったが、そのときは大工さんの恰好だったので「当人だったのか!」と少し驚いた。

時間前になると、先ず手水で清めてから拝殿の中に入るよう促された。

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先ず左手を洗い、次に右手を洗い、次に口を注いで、最後に柄杓の柄を立て水で流す。

口を注ぐときは左手に水を受けて間接的に水を口に含むとか。

昔どこかの観光地でやった覚えがあるのだが、僕はすっかり手順を忘れていた。

お手水の作法は全国どこの神社でも共通とのことだった。

「八方ふさがり」のお祓いをする僕ら35年生以外に厄年のお祓いをする3人の男性が混じっていた。

「まとめてします」 そういうものなんだ。

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靴を脱いで整然と拝殿の中に入った。

脱いだ靴の順番が4番目だったのがわずかに心にひっかかる。

神社だと何となく縁起をかつぎたくなる。

皆が席に落ち着くのを見計らいお祓いが始まった。

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神職が祝詞(のりと)を唱えて儀式の始まりを神さまに告げる。

起立した状態でお辞儀をして神職が大麻(おおぬさ)を振ってお祓いをした。

座ってしばらく神職の祝詞が続く。

おごそかに神楽も流れる。(これはテープだった)

目を閉じて笙(しょう)の音に聴き入っていると

突然「こぎつねがいます」と神職の声

一瞬「子狐? 八方ふさがりは狐憑きなのか?」と驚いたが、

皆の立ちあがる気配で、「ごきりつねがいます」の聞き違いだと分かった。(汗)

しだいに肩甲骨のあたりがふわりと暖かくなり

なにやら効験ありしかと少しときめいたが、

もしかしたら最後列の僕の背中に窓から差し込む陽があたっていただけかもしれない。

しばらくすると暖かい感覚は消えた。

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神職がやや慎重に神楽太鼓をたたき(まだ太鼓に慣れていないのかも)

いよいよ玉串を捧げることとなった。

先ず、神職が「八方ふさがり」の厄払いのために玉串を捧げることを神さまに告げた。

その際代表者の名前を言い間違えた。

(たぶん)やや複雑な思いで代表者のK君が玉串を捧げ「二礼二拍手一礼」の作法を示す。

前列から順に一人ずつ同様の作法で神前に玉串を捧げていった。

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 ところが最後に僕の番になって玉串が切れた。

ふと4番目になった靴の並びを思い出す。

「今日はそんな日か・・・」

神職が既に納められた玉串を改めて大麻で祓い渡してくれた。

この玉串を先に納めた人の祈念がリセットされるというこはないよね・・・。

などぼんやり思いながら、二礼、二拍手、一礼。

(どうか、「八方ふさがり」などという全方向だめか!みたいな災厄を祓い清めてください)

全員が玉串を捧げ終えたところで御神酒が回された。

「乾杯!」と神職の掛け声。

無理!やばいでしょう、飲んだら酒気帯び運転になってしまう。

一応口をつけるだけにしてそのまま杯を返した。

これですべて終了。

帰り際におみくじを引いたりしながら皆一様にほっとした表情。

最後に記念写真を撮った。

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この後早速お祓いの効果を試すためにパチンコ店に向かう者も・・・。

神職が言うには「八方ふさがり」の年は、物事がうまく進まぬ年なので、自重、自粛し、大きな災いを招かぬように静かにやり過ごして、来年が良い年になるように努めてくださいとのことだった。

新しいことを始めたり移転などは避けた方が良いとのこと。

それは、つまり・・・

僕にとっては「座して死を待つ」と同じこと。

それはできない。

新しいことも含め、これから色んなことを積極的にやっていかなくてはならない。

とりあえず今年一年を乗り越えるためにも。

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ま、お祓いした分マシになったはずだし・・・。

2014年2月 1日 (土)

峠の桜道

1月27日(月)に本茶峠(ふんちゃとうげ)の桜を見た。

峠道を通るのは本当に久しぶり。

本当にこの道で良いのか不安になり散歩中の夫婦に尋ねたくらいだ。

17時頃に龍郷側から入ったら

ほとんどの場所で逆光になって花が見づらかった。

夕方なら名瀬側の道から入った方がいいようだ。

車を停めてしばし鑑賞した。

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まだ完全に咲いてはいなかった。

満開になる頃もう一度行ってみようと思う。

道の両側に桜の木が広がった花のトンネルのようなものを期待していたが

桜は左右いずれかに植わっているだけで、頭上を花で覆われるような贅沢な気分は味わえなかった。

それにしても道が長い

つづら折りの坂道が延々と続く。

トンネルの便利さに慣れきってしまったので

たまにこうした旧道を通ると

「道」のありがたさに改めて気づかされる。

かって奄美の各集落では定期的に「みちされ」をして大切な「道」を作り守ったという。

今は、どこまでも走る車があって、どこまでも続く舗装道があって、

ほんとうに良い時代に生きているなぁ。