「八方ふさがり」の厄払い
初めて「八方ふさがり」なる厄年があることを友人のメールで知った。
その厄払いをしようという誘いに好奇心をかきたてられ
喪中は参加を見合わせるべきでは?という一般常識的な疑問を封印し、「お祝いごとではないし・・・」という曖昧さで参加することにした。
11時までに古仁屋の高千穂神社に集合ということだったが、15分ほど前に到着したときには参加者(35年生同窓生)のほとんどが先に来て待っていた。
同窓生には母の葬儀のときにずい分助けられたのでお礼を言いたかったのだが、葬儀に参列していない人もいるので気まづくなるかもと思い敢えてその場では口にしなかった。
でも、心から感謝している。
いずれ何かのカタチで同窓にお返ししたいと思う。
お祓いをしてくださる神職のNさんが社脇の手水舎近くに正装で待機していた。
まだすべての建物が完成していないときに一度訪れたことがあったが、そのときは大工さんの恰好だったので「当人だったのか!」と少し驚いた。
時間前になると、先ず手水で清めてから拝殿の中に入るよう促された。
先ず左手を洗い、次に右手を洗い、次に口を注いで、最後に柄杓の柄を立て水で流す。
口を注ぐときは左手に水を受けて間接的に水を口に含むとか。
昔どこかの観光地でやった覚えがあるのだが、僕はすっかり手順を忘れていた。
お手水の作法は全国どこの神社でも共通とのことだった。
「八方ふさがり」のお祓いをする僕ら35年生以外に厄年のお祓いをする3人の男性が混じっていた。
「まとめてします」 そういうものなんだ。
靴を脱いで整然と拝殿の中に入った。
脱いだ靴の順番が4番目だったのがわずかに心にひっかかる。
神社だと何となく縁起をかつぎたくなる。
皆が席に落ち着くのを見計らいお祓いが始まった。
神職が祝詞(のりと)を唱えて儀式の始まりを神さまに告げる。
起立した状態でお辞儀をして神職が大麻(おおぬさ)を振ってお祓いをした。
座ってしばらく神職の祝詞が続く。
おごそかに神楽も流れる。(これはテープだった)
目を閉じて笙(しょう)の音に聴き入っていると
突然「こぎつねがいます」と神職の声
一瞬「子狐? 八方ふさがりは狐憑きなのか?」と驚いたが、
皆の立ちあがる気配で、「ごきりつねがいます」の聞き違いだと分かった。(汗)
しだいに肩甲骨のあたりがふわりと暖かくなり
なにやら効験ありしかと少しときめいたが、
もしかしたら最後列の僕の背中に窓から差し込む陽があたっていただけかもしれない。
しばらくすると暖かい感覚は消えた。
神職がやや慎重に神楽太鼓をたたき(まだ太鼓に慣れていないのかも)
いよいよ玉串を捧げることとなった。
先ず、神職が「八方ふさがり」の厄払いのために玉串を捧げることを神さまに告げた。
その際代表者の名前を言い間違えた。
(たぶん)やや複雑な思いで代表者のK君が玉串を捧げ「二礼二拍手一礼」の作法を示す。
前列から順に一人ずつ同様の作法で神前に玉串を捧げていった。
ところが最後に僕の番になって玉串が切れた。
ふと4番目になった靴の並びを思い出す。
「今日はそんな日か・・・」
神職が既に納められた玉串を改めて大麻で祓い渡してくれた。
この玉串を先に納めた人の祈念がリセットされるというこはないよね・・・。
などぼんやり思いながら、二礼、二拍手、一礼。
(どうか、「八方ふさがり」などという全方向だめか!みたいな災厄を祓い清めてください)
全員が玉串を捧げ終えたところで御神酒が回された。
「乾杯!」と神職の掛け声。
無理!やばいでしょう、飲んだら酒気帯び運転になってしまう。
一応口をつけるだけにしてそのまま杯を返した。
これですべて終了。
帰り際におみくじを引いたりしながら皆一様にほっとした表情。
最後に記念写真を撮った。
この後早速お祓いの効果を試すためにパチンコ店に向かう者も・・・。
神職が言うには「八方ふさがり」の年は、物事がうまく進まぬ年なので、自重、自粛し、大きな災いを招かぬように静かにやり過ごして、来年が良い年になるように努めてくださいとのことだった。
新しいことを始めたり移転などは避けた方が良いとのこと。
それは、つまり・・・
僕にとっては「座して死を待つ」と同じこと。
それはできない。
新しいことも含め、これから色んなことを積極的にやっていかなくてはならない。
とりあえず今年一年を乗り越えるためにも。
ま、お祓いした分マシになったはずだし・・・。
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