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2014年1月の6件の記事

2014年1月25日 (土)

奄美から甲子園に!

選抜高校野球の21世紀枠で奄美市の大島高校野球部の出場が決まった。

奄美群島からは初めての甲子園出場となる。

今日の新聞には喜びを伝える記事が溢れた。

「もし大島高校が選ばれたら挿絵を描いてください」と言われ

昨日15時の発表を待った。

記者からの連絡で大高の出場決定を知り

急いで絵(マンガ)を描いた。

晴れの大舞台、甲子園に島民がこぞって応援に駆けつけるイメージを描いた。

実際はほとんどの人がテレビやラジオで試合を見守ることになるのだが

気持ちは甲子園の応援席まで行って必死で応援していることだろう。

明るいニュースで島が盛り上がるのは嬉しい。

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それとは別にスポーツで今気になっているのは大相撲

里山がなんとか勝ち越して幕内に留まることができるかどうか

小兵ながら多彩な技を繰り出して連日観客を楽しませている。

昨日は土俵際まで追い込まれながら「一本ぜおい」という柔道まがいの大技で逆転勝ちした。

今日は人気力士の遠藤に負けてしまったが

まだ明日がある。

ワンチャンスをものにしてぜひとも勝ち越してほしい。

そのうちに慶天海も番付を上げてくるだろうし、テレビで観られる十両、幕内での奄美勢の活躍が楽しみだ。

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2014年1月23日 (木)

ちょっとずつ復活!?

母を失ってからしばらくほとんど何もしていなかったけど

今は少しずつ仕事を始めている。

やれば夢中になるのでたくさんあった方がいい。

教育関連の冊子の挿絵をすべて終えた。

新聞のマンガも休まず続けている。

オリジナルTシャツも量販店で販売できそうだ。

今は記念品のデザインを手がけている。

机の前に座り込んで

疲れたらコーヒーを飲んで

ついでに(?)仏壇に線香をあげて

奇妙な安らぎの中で

徐々に車輪が回り出した感触がある。

経済的なことを考えると

目が冴えて眠れなくなることもあるけれど

一歩一歩歩んでゆく以外にないだろう。

ご先祖のみなさま

お願いしますね。

2014年1月21日 (火)

「つながり」に感謝

思っていたよりもだいぶ早く母が逝ってしまった。

医者からもう助からないと宣告を受けてからわずか一月ほどしか経っていなかった。

父亡き後も住みなれた家がいいと一人暮らしを続けていたが、一昨年前から食事を作れなくなり、去年の秋頃からは目立って足腰が弱ってきたので半ば強引に家に連れてきた。

わずか2ヶ月ほどの同居生活だったが、子どもの頃と同じように四六時中一緒に居れたことが母を失った今せめてもの慰めになっている。

最後の最後まで穏やかな母のままで静かに息を引き取った。

不思議な偶然が重なって僕と女房の他に弟も母の最期を看取ることができた。

弟の嫁も東京に戻るつもりの空港で知らせを受けてトンボ帰りした。

19日に帰る予定だった妹が母の最期に立ち会えなかったことが残念だった。

6年前に父を亡くしたときはまだ冷静でいられたのだが母の場合は違った。

動揺していないつもりだったが何だか不安定な状態が続いた。

普通にしている日常の中でふいに哀しみが湧いてきてなかなか平常心に戻れない。

その間も冗談言ったり笑ったりしているくせに、ご飯食べたりトイレに行ったり全く普段通りの事をしているのに。

仕事で新聞の風刺マンガをひとつ描いたが、なかなか集中できずに長い時間をかけてやっと描き上げた。

初七日が過ぎて2日後に祭壇を片付け位牌を仏壇に移してからようやく気持ちに余裕が持てるようになった。

仏壇に線香をあげていたのと同じような日常に落とし込むことができたのかもしれない。

あるいは、日数が経って哀しみが薄れてきたせいかもしれない。

母が亡くなってから改めて人と人とのつながりを実感した。

葬儀のときに自分の時間を割いて当然の事のように裏方を務めてくれた同窓生たち。

かけつけてくれた親族。

デイケアで母が世話になった施設の人。

母の郷里や僕の住む集落の人。

遠く龍郷や名瀬からかけつけてくれた友人たち。

予想もしないたくさんの供花や弔電、そしてたくさんの方に焼香していただいた。

ありがたくてとても心強かった。

この人たち一人ひとりの似顔絵を描いて感謝の意を伝えたい

そのときは本気でそう思った。

でも、現実的には無理だから、これから先少しずつ、少しでも返せるように心がけようと思う。

前に進んでいかなくては。

納骨のときに母の骨つぼと父の骨つぼが離れて置かれたことに弟が気づき、家に戻ってから「寂しいだろうから父ちゃんと母ちゃんの壺とくっつけてあげればよかったのに」と言われた。

弟の言う通りだと思い、数日後に墓を開けて壺の並びを変えて二人の骨壺をひっつけた。

そのときに墓中に頭を突っ込みながら「僕もここに入るのか」、「壺はどこに置かれるだろうか?」と思った。

そのときまでつながって支え合って生きていくことにしよう。

2014年1月 7日 (火)

とにかく描く!描きまくる!

年が明けてからずっと真面目に(?)机に座って仕事している。

子ども向け企画本のありえないほど大量の挿絵を描いているのだ。

そういう状況下にもかかわらず昨日は絵の売り込みにも行った。

何かを変えていかなければ。

描いて!描いて!描いて!

駿馬にまたがり駆け抜けるでござる!

今はまだ背負ってよろめいているけど・・・(;一_一)

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2014年1月 2日 (木)

風刺マンガ(81)

南海日日新聞 12月30日掲載

<日本復帰>

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昭和28年12月25日は、戦後アメリカの統治下におかれた奄美群島が日本に復帰した記念の日だ。

去年(平成25年)はちょうど60年の節目にあたる。

(マンガでは復帰運動の父と呼ばれた泉芳朗とアマミノクロウサギを登場させた)

戦争でたくさんの人々が命を落とし、生き残った人々も多大な犠牲を強いられた。

だからもう悲惨な思いは二度とするまいと不戦の誓いを立てた。

おかげで日本はときに「平和ボケ」と揶揄されるほどの平穏な日々を送ることができている。

そのことに一種の危機感を持ち

国民それぞれが「国家」のために尽くす忠誠心を備えていた「あの時代」を懐かしむ者もいる。

場合によっては「戦争」も辞さないと。

もし日本のリーダーがそうなら・・・!?。

でも、

「戦争は嫌だ! 平和を愛している!」と声高に叫んでいても、お構いなしに傷つけられる可能性はある。

命を守れさえすればひたすら低姿勢でもいいかというと、それもちょっと違う。

だからといって、他国に負けないように軍備を増強していくのは負の連鎖を生むだけのような気がするし。

国と国との利害関係がある限りそう簡単に結論を出せる問題ではないはずだ。

いずれにしろ、日本が「好戦的」だとか「覇権主義」とかの誤解を招かないよう慎重な配慮が求められる。

政治、とりわけ外交に個人的な感情をまじえては危険だと思う。

自身の理想に向かって突き進むかに見える阿倍総理の言動が気がかりだ。

マンガで「日本」が開けようとしている扉が「パンドラの箱」でありませんように・・・。

2014年1月 1日 (水)

初日の出!?

寝坊した。

昨夜どんなに遅くなっても明日は早く起きて初日の出を見に行くぞ、なんて思っていたのに。

7時過ぎ。ちょうど今頃水平線から陽が差し込む頃か・・・。

えーと、ソッコーで着替えてテキトーに顔を洗って車を飛ばせば・・・間に合わなーい!

今年はお天道様にがっつりお願いしたいことがあったのに。(;一_一)

しようがないので窓外の東の山に照準を合わせることにした。

待つこと約1時間・・・意外と長かった。

光差し込む山際に向かって手を合わせ心をこめて願かけをした。

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新しい年がやってきた。

相変わらず「今年こそは!」の誓いを胸に、充実した一年を送りたいと思っている。

がんばるぞ!

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