2019年4月14日 (日)

油断してしまうとき

確か高校生のときに古文の授業で習ったと思うのだが、徒然草に「高名の木登り」という話があって、それがどうしてだかずっと頭に残っている。

自分は詰めが甘い方だと自覚しているので、そうした油断や手抜かりで最後に残念というか、もったいない結果を招いてしまうことがあると、ああ、これこそ「高名の木登り」だと思うのだ。

ニューヨークの高層ビル・ツインタワーにロープをかけて綱渡りをした男を描いた「ザ・ウォーク」では、もっとも危険なロープの中央付近では大胆なパフォーマンスを見せたが、その後ビルの屋上に戻る際にあとわずかという距離で恐怖と緊張に体を震わせるというシーンがあった。

主人公曰く「タイトロープウォーカーは、最後の3歩で落下する」と。

(ちなみにこの荒唐無稽な話が実話だと知って驚いた)

全豪オープンテニスで、大坂なおみ選手が2セット目でゲームマッチを迎え、九分九厘勝利を手中にしながら、最後の最後で信じられない崩れ方をしてそのセットを落とした時、彼女の中で何があったのかというと、ゲーム終了後に語ったことによると、「よし勝った!」と思ったそうだ。

『過ちは、やすきところになりて…』、油断大敵というべきか。
 
やれやれやっと着いた、と思ったときの気の緩みが危ない。
 
運転の話。
 

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(今日も無事に帰りつくことができた⁉️)
 

2019年4月13日 (土)

春だ、ハブTだ!

現在、ハブをデザインしたTシャツは、名瀬のハブセンター限定で出荷している。

10点ほどあるデザインの中から自由に選んでもらって制作している。

安定した人気で長期にわたって販売される商品もあれば、短命に終わったものもある。

お客様と直に接しているお店側のニーズは、お客様のニーズでもあり、デザインする者にとってとても参考になる。

その一方で自分なりのこだわりもあり、色々考えながら制作している。

自分が面白いと思ったものがお客にも受け入れられたと感じたときは、自分のデザインへの自信になるし、逆の場合は自信を失くすほどではないにせよ迷いが生じて不安になる。

救いは、たとえ失敗しても生産数そのものが少ないのでリスクも少ないということ。

逆に言うと、うまくいってもリターンは少ないということだけど(笑)

とにかく、日々夜なべをしながらコツコツ作ったTシャツを今回まとめて納品することになった。

(昨夜は3時までだった・・・)

「ハブ」たちがそろそろ出ていく陽気になってきた。

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新元号記念Tシャツも一緒に納品させてもらう。

こちらは期間限定品なので、いずれにせよ短命ということになるか。

2019年4月12日 (金)

昭和の味

昔(昭和40年代頃)の古仁屋の町並みについて、昨夜遅くまで妻と語りあい二人で大いに盛り上がった。

話しているうちに断片的だった記憶が次々と繋がっていき、頭の中で当時の町並みが徐々に再現されていった。

子どもの頃の自分がよみがえってあの頃目にしていた風景を辿っているようで楽しかった。

どこそこに、こんな店があったね、あんな店もあったねと思い出し、もうすっかり様変わりしている現在の風景と重ね合わせながら時代の流れを感じるのだった。

あと3週間足らずで新しい元号が始まり、「昭和」はまたひとつ古い時代へと押しやられる。

そのうちに「昭和って、平成の前のあの昭和のことですか?」みたいな言われ方するんだろうな…

頭の中で昔の古仁屋の町を歩き回りながら、そういえば、昔から同じ場所で同じように商売をしている店があることに気づいた。

建物もほぼそのままで。

銭湯なら、嶽乃湯(たけのゆ)がそうだ。

(当時は、今の信用組合のところに「昭和湯」が、今の扇屋のところに「朝日湯」があったなぁ)

嶽乃湯のそばを流れる川には銭湯の排水が混ざってほのかに石鹸の匂いがしていた。

その川に沿って歩くと、道向こうに三平食堂があって、その次に…なにわ食堂が、ある。

「なにわ食堂」がそのままある!

あの頃のままだ! 昭和があった!

なので、(昨夜の発見に刺激されて)今日のお昼は、久しぶりに「なにわ」で食べてきた。

いつものようにチャンポンラーメンと焼き飯を注文して、妻と二人で分けて食べた。

ず〜っと変わらなかった値段がいつの間にか一部だけアップしていた。

350円だった焼きそばが400円に、450円だったチャンポンラーメンが500円にそれぞれ50円だけ上がっていた。 それでも安い。

もう半世紀以上もこのスタイルのまま変わらぬ味を提供し続けている「なにわ食堂」は、僕らに昭和を彷彿とさせる稀有な存在だ。

「令和」の時代になってあとどれだけ頑張ってくれるのか…暖簾を下ろす日がなるべく遠くあってほしいと願いながら、できるだけ食べに行く機会をつくろうと思った。

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今はキャベツが安いからラーメンにふんだんに入っていた。

焼き飯にはもう豚は入っていないが、変わらぬ懐かしい味がする。

食べるたびに塩加減が微妙に違うのも”昭和の味”のうち…かな。

旨かった、ごちそうさまです。

2019年4月11日 (木)

「令和」Tシャツデビュー

新元号「令和」のTシャツが完成した翌日の9日(火)に早速奄美市方面へ出かけてお店に置かせてもらった。

龍郷のビッグツーには、S〜XLを2枚ずつ計8枚を用意していたが、置けるスペースがなくて、かろうじて4枚だけハンガーに下げてきた。

少しでも目立つようにと端っこに置いてみたけれど、はたしてお客さんの反応はどうだろうか?

次に名瀬のハブセンターに新商品の紹介のつもりで訪れたら、気に入ってもらってすぐに注文をいただいた。

(今週末納品予定)

最後に住用のマングローブ館に寄って、こちらもスペースが厳しいので4枚だけ置かせてもらった。

改元に絡む期間限定商品なので、このペースではたしてどれだけ出せるか分からないが、どうせ大量生産はできないのでまあ、こんな感じだろう。

Tシャツを始めた頃は、販路拡大のために通販を考えたこともあったが、つくづく手を出さないでいて良かったと思っている。

いつ何時どれだけ注文を受けるか分からない通販にちゃんと応えられるだけの体力もノウハウもないと自覚できるようになったからだ。

イラストなどの仕事の延長として、これまで通りのペースで気長にやっていこうと思っている。

新元号Tシャツは、瀬戸内町や笠利町などの他の店にも置かせてもらうつもりでただいま制作中。

ぼちぼち増殖させていきます。

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ビッグツーにとりあえず4枚並べて、これが新元号Tシャツのデビューとなった。

2019年4月10日 (水)

バラが咲いた〜

小雨の中、月に一度の不燃ゴミの日だからと頑張って(?)ゴミ出しをして家に戻ったとき、赤い花が目に飛びこんできた。

庭のバラの蕾が一斉に開花したようだ。

娘が帰省するたびに、剪定したり挿し木をしたり植え替えたりと、こまめに手入れをしているバラたちだ。

妻は、娘の言いつけにしたがって虫除けスプレーをかけたり植え替えたりして、

僕は、妻の言いつけにしたがって水やりだけしている。

鮮やかな花が咲くたびに、マイク眞木の歌が聞こえそうな(古いな)少し弾んだ気持ちになる。

前に妻のために薔薇のTシャツを作ってプレゼントしたらすっごく喜んでくれた。

美しいものには人を元気にするパワーがある。

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付け加えると、美味しいものも人を元気にする。

僕はそっちの方かな。

2019年4月 9日 (火)

新元号記念Tシャツ完成!

完成した。

こういうのって気分が盛り上がっているときに一気にやっておかないと、時期を逃して結局出来なかった…みたいなことになりかねない。

昨日のうちで試作したイラストに色付けをした。

色のアクセントを抑えて、柔らかく、どこか懐かしい雰囲気にしてみた。

白黒だと少しおとなしめだったイラストが、色を入れることによってぐっと魅力的になったと思う。(自画自賛)

改元の記念にメモリアルグッズを作ることができた。

売れるかどうかはともかくとして、計画していたことを実行できたのでひとまず満足している。

Tシャツをどこに出せるか分からないが、とりあえず、取引先を回って(販売できそうかどうか)様子を見てみようと思う。

新元号が発表された直後は、世間もメディアも大盛り上がりだったが、最近やや落ち着いて来た感があるのがちょっと気になる。

5月1日の新元号施行をピークとするお祭りだから、人々の高揚感に乗じて売り抜かないといけない(笑)

記念グッズってそういう性格のものだろうから、ここは頑張って走らないと・・・

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「新元号記念Tシャツ・奄美の森バージョン」

他のバージョンもあるのか?というと、あることはある…頭の中に。

「森バージョン」が支持されるようであれば、海バージョンの制作も考えようと思う。

でも、新しくデザインするたびに試作品が増えていくのはちょっと問題。

おかげで、年中Tシャツばかり着ている。

2019年4月 8日 (月)

新元号記念Tシャツ(試作品)

新元号「令和」にちなんだ記念Tシャツがついにできた。

といっても、まだ試作の段階だけど。

さっそくプリントしてみた。

奄美の森の動物たちが「令和」の看板を囲んでいる図をイメージしたものだ。

にぎやかにしたつもりだけど、白黒のせいか、なんだかおとなしい。

(チコちゃんに叱られるの)キョエちゃんが頭の中で「地味〜!」と叫んだ。

色物のTシャツにもプリントすることを想定してモノクロのデザインにしたけれど、白シャツに絞って少し色を加えようかな・・・

どっちにせよ、あまりグズグズしていると新元号熱が冷めてしまって売り時を逃してしまいそうだ。

しかし、こんなに時間がかかって期間限定となると、単純に仕事として考えると効率が悪い。

結局、(改元という稀有な機会に作る)僕にとっての記念Tシャツでもあるのだ。

できる限り良いものを残したい。

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数日前にデザインイメージを娘に見せて感想を聞いたら、「お祭りだから面白くないと売れないよ」となんとなくダメ出しされた。

「(売れるのは)3枚くらいかな」と怖い冗談(だよね?)も。

自分の手に惚れて客観的に見られなくなる傾向があるから気をつけよう・・・前のめりになって大ゴケしないようにしなくては。

なにしろ、売れ残ったら来年はもう誰も買わないはず。

2019年4月 7日 (日)

今日は「サンガツサンチ」

昼過ぎに町の公民館(のようなもの…「きゅら島交流館」)へ出かけて投票を済ませてきた。

玄関をくぐるとすぐ正面に大きな雛飾りがあって、来場者の目を引いていた。

そうか、今日は旧暦3月3日、ひな祭りの日だと気づく。

朝から海岸への車の乗り入れが多かったのはそのせいか。

てっきり、春休み中で日曜日だから陽気に誘われた家族連れが出てきていると思っていた。

今日はサンガツサンチなんだ。

家に戻ってから浜へ行ってみると大勢の人たちが浜辺に出て楽しそうに過ごしていた。

マジメに貝を拾っている人、シートを広げて何かを食べている人、椅子に腰掛けて海を眺めている人、あるいは、泳いでいる子どもたち。

サンガツサンチに海へ出ない者はカラスになると言われているので、とりあえず、浜へ下りてその厄災を免れようとする人々で、普段は静かな浜辺も今日は賑わっている。

僕が子どもの頃、旧暦3月3日には父母に連れられて必ず海へ行き、貝拾いをして、弁当を広げた。

そうするものだと決まっていた。

その日は町の人がごっそりいなくなるので、知らずにやって来た内地の営業マンが、どの店も開いておらず昼ごはんを食べることができなかったというエピソードがあるほど、町の人たちにとっては、欠かすことができない年中行事のひとつだった。

かつては・・・

今はどれほどの人が浜辺へ出ているだろうか?

そうした行事や風習は、地域の文化なので、長らく続いていてほしいとは思うのだが、

僕自身は、ここ数年はまともに浜辺で過ごしていないな・・・

もうそろそろカラスになるかも。

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真剣に貝をとっている人は少なかったように思う。

家族で出かけて浜辺で弁当を食べるのが目的ということもあるだろうし、年々浜辺でとれる貝が少なくなってきているせいもあるかも。

2019年4月 6日 (土)

置き場がないかも問題

4月1日に新元号が発表されてからやがて1週間。

発表された直後から続々と”令和”関連グッズが発売されているようだ。

考えてみたら、改元だけでも滅多にあることではないのに、1ヶ月の猶予期間のある改元というと(少なくとも自分が生きているうちには)もう二度とない機会だろう。

僕も何か作ってみようと思い、Tシャツをデザインすることにした。

残念ながら、今日のTシャツ納品には間に合わなかったが、来週早々には出荷できそうだ。

・・・と、新元号記念Tシャツを世に送り出すという自分の思いつきに胸踊らせていたが、

今日他のTシャツを補充して気づいたことは、「どの店にも新しい商品を出すスペースがないのでは?」という懸念。

Tシャツを販売する業者が増えてきたせいか、あま美デザイン工房に割り当てられたスペースが年々縮小している現状で、期間限定とはいえ、新しい商品を加えられるだろうか?

特にビッグツーでは、ハンガー式になってからTシャツの総量を減らさざるを得ない状態なので、何種類かは売り切れ終了の予定でいるが、それらの整理がついてから新元号Tシャツでは、もうとっくに売るタイミングを逃しているだろう。

元号改正に伴う、せいぜい4〜5月のお祭り的なグッズだ

新元号関連グッズなんてもう作る機会はないだろうから、なんとしてでもTシャツを出したいと思っている。

少し無理してでもどこかに置くかもしれない。

どうするかは後で考えるとして、とりあえず作ってみることにする。

(ブログで紹介するつもり)

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いっそ、このTシャツたちの下にでも置かせてもらおうかな?

マジで置き場ないよね・・・

2019年4月 5日 (金)

最後は、じゃがいもオンリー

趣味?で畑をしている親戚からたくさん野菜をいただいたので、毎日野菜をふんだんに食べることができた。

そして、それを先日ようやく食べ終えた。

(義務感のような言い草でごめんなさい)

サニーレタスや水菜などの葉野菜は、冷蔵庫に押し込んで、徐々にへなへなになっていくのを追いかけるように必死で食べた。

せっかくもらったものを無駄にするわけにはいかない・・・やっぱり義務感もあったか。

最後に残ったジャガイモは、おかずだか、酒のつまみだか分からない、単品の煮っころがしにして食べた。

大きくて旨かった、感謝です。

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ジャガイモといえば、奄美では徳之島が産地として有名だ。

徳之島の人はとにかく頑張るんですと、営業で各地を回っている人から聞いたことがある。

農家ばかりでなく、公務員も務めを終えたあと畑へ出て、暗くなるまで働いているのだと。

同じような感想を内地の奄美会の役員(瀬戸内町出身者)から聞いたことがある。

徳之島の人は根性が違う、必要なら山を動かしてでも畑にすると。

おそらく、ジャガイモ畑も半端な規模ではないんだろうな。