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2012年11月29日 (木)

そろそろデザイン工房の宣伝を

蘇祢切也(そねせつや)さんと一緒のイラスト展の日程がほぼ決まった。

来月8日(土)から瀬戸内町の図書館の2階ホールで開催する予定だ。

前回開催された「ミニミニアートギャラリー」の第2弾という設定である。

当初予定していた名瀬での展示は2月にずれ込むことになった。

蘇祢さんは着々と準備を進めている様子だが、僕はまだ基本的な構想もできていない。

とりあえずこれまで描いたイラストを展示しようと思っているが、どんな形にすればいいかまだ見えていない。

できれば新しい絵も追加したいのだがいくつ描けるだろうか?

残された時間を気にしつつ、今日は「あま美デザイン工房」の広告用リーフレットを作成した。

そろそろ外に向かって宣伝しないと・・・干上がりそうで(笑)

これまでやってきた仕事を整理して、「イラスト(マンガを含む)」、「似顔絵」、「デザイン」、「グッズ製作」、「デジタル加工」と5つのメニューを提示したけれど

基本ひとりなので注文がいっぱいきたら対処できない、どうしよう・・・なんて。

杞憂も杞憂。

朝は雨降りで黒雲が広がっていた空も午後からは青空が見えた。

夕方ピースを連れ出して女房と一緒に浜辺を散歩した。

天は落ちそうにないし、まだまだ暇でおだやかな(?)日が続くのかも。(*_*)

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2012年11月19日 (月)

ぼちぼちですけど。

「あま美デザイン工房」として開業届けを出したものの、まだ特に宣伝も営業もしていないし、HPすら立ち上げていない。

これまでのお付き合いと口コミだけの狭い範囲で挿絵や似顔絵の仕事をさせてもらっている。

まったく何もないという日もあるが、ちょっとずつ仕事の依頼がある。

今日は、イラスト1点とVHSのDVD化(こんなこともやっているのだ)の仕事をした。

暇そうにしていると女房が心配して仕事ないの?と聞く。

「これからどうなるんだろうね?」とか・・・。

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すみません、もっとしっかり働きます。

とりあえずコーヒーでも飲んでから・・・。

2012年11月15日 (木)

迷ったときは

今日は風刺マンガのラフを送らなければならないのだが

昨日の突然の解散宣言で絵を変えざるを得なくなったが、どういう表現にしたらいいか定まらない。

夕方心配した新聞社の方から電話があり、そこでようやく決断してひとつの絵を送った。

明日はいよいよ衆院解散だ。

政局が目まぐるしく動くのでしばらくはテーマを絞るのに悩みそうだ。

もうひとつは雑誌の挿絵。

クライアントの意向がうまくつかめずにラフ画の描き直しが続き結局7枚送った。

最終の回答はまだきていないので8枚めもあるかも。

こんなときは才能がないなとちょっとへこむ。

自信を失って迷ったときにはいつも佐藤一斎の言葉に励まされる。

「一燈を提げて暗夜を行く。暗夜を憂うること勿れ。只だ一燈を頼め。」

めげずにとにかく前に進もう。

残りの人生をイラストレーターとして生きると決めたのだから・・・。

2012年11月14日 (水)

突然の解散宣言

来週月曜日に掲載される風刺マンガの下絵が出来ていた。

後は仕上げて新聞社に送るだけ。

缶ビール飲みながらゆっくり構えていたら・・・

夜のニュースで野田総理が解散を宣言したと報じられた。

うわ、これからどうなるの?

とりあえず描き直しが必要みたい。

政治はくるくる動くから1週間に1本は難しい。

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2012年10月31日 (水)

伊藤さんの凄すぎる絵

古仁屋の雑貨屋「MARCHE(マルシェ)」でカレンダーを買った。

25日の新聞で紹介された手作りのカレンダーだ。

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絵は古い写真を見てペンで描いたものだ。

表紙には大火前の古仁屋の街並みが描かれている。

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制作者の伊藤さんとは一度だけ話す機会があった。

友人に「面白い人がいる」と誘われて一緒に食事をしたのだ。

伊藤さんは、長い間劇画のスタジオでアシスタントとして働いた経験があり、その技術を活かして緻密な風景画を描きあげた。

友人が建てたというログハウスの絵をいただいた。

劇画出身なので絵は基本的にペン一本の白黒で描いている。

「子連れ狼」、「弐十手物語」、「おれは直角」等々・・・優れた作品群で知られるスタジオで鍛え上げられた腕前は半端じゃなかった。

これからも島の風景をペン画で描いていきたいとのことだった。

自称アナログ人間で、せめて作品をメールで送れるようになりたいと、パソコンを購入して勉強中らしい。

翌日東京へ戻ったが、次にまた島で会える日が楽しみだ。

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2012年1月 6日 (金)

ごぶさた

8月のケンムンふぇすた以降ブログを更新していない。

気にしながらも先延ばしにしていたらいつの間にか新年になっちゃった。

この間さまざまな出来事もあったが、過去はもういいとして、また今日から書いていこうと思う。

とりあえず、今一番気になっているのは、秋から売り出したTシャツのこと。

加計呂麻島・諸鈍のデイゴ並木とケンムンを描いた絵をバックプリントで入れて、Tシャツの一つ一つに絵の意味と売上の一部を奄美の自然保護を目的とした募金に寄付する旨を書いたカードを添えた。

どこに寄付したかをこのブログで結果を知らせるつもりだった。

しかし・・・あまり売れていないのだ。

夏の終わりに売り出したタイミングの悪さと、海の駅・観光協会とマリンステイションでしか売っていないという販路の狭さと、制作コストと販売手数料の関係で1枚2500円するという値段設定のせいだと思う。(デザインの良し悪しについてはあえて触れない(笑))

寄付の約束をしておきながら果たせていないので、買っていただいた方に嘘をついたようで気が引けている。

寄付先については一応念頭に置いているところがあるが、事業年度の関係(?)で発足は4月以降になるらしい。

作ったのは全部で60枚だが、友人にあげたり、売れた分もあるので、今在庫は半分ぐらいかな?

(買っていただいた方へ)ごめんなさい。「売上の一部を寄付」の約束はちゃんと果たしますからね。まだ先になるけれど。

赤字で少し痛い思いもしたけど、Tシャツのデザインはやっぱり楽しい。

次に作りたい絵のアイデアが20ページのバインダーにいっぱいになっている。

懲りずに・・・今度は夏前には出そう。

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2011年1月20日 (木)

似顔絵のチカラ

月刊の新聞に連載していた漫画が昨年末で終わってから、毎月の決まった締切がなくなった。読者のページで漫画のことは誰も触れなかったし、新聞社の人も特に新シリーズに繋げたいといった雰囲気ではなかった。

「何かあったら、またよろしくお願いします」 お互いにそう言って別れた。それっきり新聞社の人とはコンタクトをとっていない。

いったいあの漫画はどうだったのか、いまだに分からない。何の手ごたえもないままにひとつの仕事を終えた。

今は似顔絵だけを描いている。

似顔絵は面白い。モデルはもちろん、それを見た人がすぐに反応を示してくれるからだ。「似てるー!」と言われるのが、もちろん一番嬉しい。

これまでに注文を受けた中には色々なケースがあった。すでにかたわれを亡くした人を時を経た夫婦のままで描いたこともある。事情があって結婚式をあげれなかった夫婦をウェディングドレスとタキシードを着せて描いたことも、和装に変えて描いたこともある。

写真の合成で作るとわざとらしいが、イラストだと違和感がなく、受け入れてもらえるようだ。

作品を見た人から似顔絵の表情をほめてもらったことがある。どれもみな表情が優しいと。描く人の人柄がにじみ出るものだと真顔で言われたので赤面したが、意外なところを褒めてもらえてとてもうれしかった。

先日加計呂麻島に住む同窓生の自宅で一緒にお酒を飲んだ。余興のつもりでその場で娘さんの似顔絵を描いた。マジックで下書きなしで描いたのでいい出来ではなかったのだが、けっこう喜んでくれた。

これぐらいで本当に喜んでもらえるのなら、お年寄りのいる施設を訪問して似顔絵ボランティアをしてみたい。実は昨年末に近くの施設に電話をして、似顔絵ボランティアの件を切り出したことがあるのだが、年末はずっと忙しいので対応できないと断られた。クリスマスに間に合わせたかったのに残念だった。もしかしたら、こちらの意図が理解できずに警戒されたのかもしれない。

商売につなげようという色気があるわけじゃない。ただ、似顔絵を描いてお年寄りに喜んでほしいだけ。僕の絵の練習にもなる。

帰り際にその同窓生から夫婦の似顔絵を頼まれた。「結婚式の写真がないから、絵で描いてくれ」と。

どんな風に描こうかと今悩んでいる。喜んでもらえるように、二人の記念になるように、最高の絵にしたい。

似顔絵にはそういうチカラがある。

2010年5月10日 (月)

戦中戦後の奄美を調べてます

月イチ新聞漫画「百年の真珠」で次号は戦時中の話を描くので、資料になりそうな本を図書館から借りて読んでいる。(この続きから・・・)

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「軍政下の奄美」「軍政下奄美の密航・密貿易」「沖縄の戦い」「戦争中の暮しの記録」・・・色々と読んでいるうちにまだぼんやりとだが当時の人々の暮らしぶりが見えてきた。

それにしてもつくづくと自分が何も知らないことを思い知らされる。僕が住んでいる瀬戸内町はかって数多くの軍施設が配備されていたところで、方々に戦跡が残っているのだが、これまで特に興味を持つこともなく見過ごしてきた。

通った高校が「奄美大島要塞司令部」だったことも初めて知った。そういえば川沿いのコンクリートの塀がぼこぼこと穴だらけだったのは米軍の機銃攻撃を受けたんだなきっと。

加計呂麻島の呑之浦には作家の島尾敏雄さんが爆撃艇の隊長として配属されていた。その辺のことは氏の作品からある程度うかがい知ることができるが、三浦地区にも同じく爆撃艇の部隊があったことを初めて知った。

まだまだ沢山のことを本で調べていかなければならないと思っているが、しかし、生の体験を聞く機会が徐々に失われていくことにも焦りを感じている。当時のことを語れる体験者が少なくなっていくだろうから・・・。

やりたいことはたくさんあるけれど、まだまだ技術もお金もついていかないので、出来ることから地道に一つずつやっていくしかないね。いずれは奄美の偉人伝や歴史・風俗を漫画にしたいけど・・・。