カテゴリ「日記」の記事 Feed

2014年2月 3日 (月)

眼は命だから

緑内障の治療として毎日差している目薬がもうすぐ切れそうだ。

糖尿病に次いで失明の危険があるといわれる病気だから気を抜けない。

何でも後回しにしがちな僕だがこればかりはぐずぐずしていられない。

早速名瀬まで出かけて眼科を受診した。

先ず眼圧を測定(片目ずつ瞬間的に風を当てて調べる)し、次に視力検査をした。

右目は効き目なので酷使(?)しているせいか、極端に視力が落ちる。

緑内障も右目がひどい。

ちなみにどの目が効き目か調べるためには、両目で何かの目標物に指さして、そのまま片目をつぶれば分かる。ずれない方が効き目だ。

病気が進行していないか調べるために検査を受けた。

検査機器の中を覗き、中央の点に視点を合わせてままで周辺のわずかな光を感知したらボタンを押すのだ。

これを片目ずつ5分ほど行う。

検査しない方の目はシールの眼帯で覆う。

疲れるのか途中でぼうっとなる瞬間がある。

誤差を縮めるために同じ位置で何度か点滅させて偶然のボタン押し(あるいは押さない)の可能性を排除する・・・らしい。

Photo

視界の欠けている範囲が広がっているような気がして心配だったのだが、

結果は2年前とほとんど変わっていなかった。

病気は進んでおらず薬によって上手く抑えられているようだ。

眼圧も良い状態らしい。(10・・・とか?)

「残念ながら治る病気ではないので、できるだけ今の状態をキープしてください」とのこと。

もちろんだ、頑張る。

(頑張るったって、目薬さしたり、日中なるべくサングラスをして目を保護するくらいだけど・・・。)

きれいな景色を観たり、本を読んだり、映画を観たり、絵を鑑賞したり、イラスト描いたり、愛する人の姿を見たり、美味しい料理を目で楽しんだり・・・。

目から入る情報はとても多く、喜びは大きい。

これからもたくさんの良いものを見続けたい。

そして、できれば良い目(!?)も見たいと思う。

2014年2月 1日 (土)

峠の桜道

1月27日(月)に本茶峠(ふんちゃとうげ)の桜を見た。

峠道を通るのは本当に久しぶり。

本当にこの道で良いのか不安になり散歩中の夫婦に尋ねたくらいだ。

17時頃に龍郷側から入ったら

ほとんどの場所で逆光になって花が見づらかった。

夕方なら名瀬側の道から入った方がいいようだ。

車を停めてしばし鑑賞した。

Dsc09597
まだ完全に咲いてはいなかった。

満開になる頃もう一度行ってみようと思う。

道の両側に桜の木が広がった花のトンネルのようなものを期待していたが

桜は左右いずれかに植わっているだけで、頭上を花で覆われるような贅沢な気分は味わえなかった。

それにしても道が長い

つづら折りの坂道が延々と続く。

トンネルの便利さに慣れきってしまったので

たまにこうした旧道を通ると

「道」のありがたさに改めて気づかされる。

かって奄美の各集落では定期的に「みちされ」をして大切な「道」を作り守ったという。

今は、どこまでも走る車があって、どこまでも続く舗装道があって、

ほんとうに良い時代に生きているなぁ。

旧正月の夜に

「シブリ煮むん(冬瓜の煮物)」を食べたくなってスーパーで鶏ミンチをで買い

冷凍庫から四角に切って凍らせておいたシブリ(冬瓜)を取り出して

煮込んで味付けをした。

でも、何だか様子がおかしい。

どうやら冬瓜だけでなく

餅のブロックが混ざってしまったようだ。

見た目そっくりだったし・・・。

旧正月だからこれはこれででいいか・・・。

Dsc_0344
「何・・・これ?」とビビる女房に

「とりもち」と答えておいた。

2014年1月23日 (木)

ちょっとずつ復活!?

母を失ってからしばらくほとんど何もしていなかったけど

今は少しずつ仕事を始めている。

やれば夢中になるのでたくさんあった方がいい。

教育関連の冊子の挿絵をすべて終えた。

新聞のマンガも休まず続けている。

オリジナルTシャツも量販店で販売できそうだ。

今は記念品のデザインを手がけている。

机の前に座り込んで

疲れたらコーヒーを飲んで

ついでに(?)仏壇に線香をあげて

奇妙な安らぎの中で

徐々に車輪が回り出した感触がある。

経済的なことを考えると

目が冴えて眠れなくなることもあるけれど

一歩一歩歩んでゆく以外にないだろう。

ご先祖のみなさま

お願いしますね。

2014年1月21日 (火)

「つながり」に感謝

思っていたよりもだいぶ早く母が逝ってしまった。

医者からもう助からないと宣告を受けてからわずか一月ほどしか経っていなかった。

父亡き後も住みなれた家がいいと一人暮らしを続けていたが、一昨年前から食事を作れなくなり、去年の秋頃からは目立って足腰が弱ってきたので半ば強引に家に連れてきた。

わずか2ヶ月ほどの同居生活だったが、子どもの頃と同じように四六時中一緒に居れたことが母を失った今せめてもの慰めになっている。

最後の最後まで穏やかな母のままで静かに息を引き取った。

不思議な偶然が重なって僕と女房の他に弟も母の最期を看取ることができた。

弟の嫁も東京に戻るつもりの空港で知らせを受けてトンボ帰りした。

19日に帰る予定だった妹が母の最期に立ち会えなかったことが残念だった。

6年前に父を亡くしたときはまだ冷静でいられたのだが母の場合は違った。

動揺していないつもりだったが何だか不安定な状態が続いた。

普通にしている日常の中でふいに哀しみが湧いてきてなかなか平常心に戻れない。

その間も冗談言ったり笑ったりしているくせに、ご飯食べたりトイレに行ったり全く普段通りの事をしているのに。

仕事で新聞の風刺マンガをひとつ描いたが、なかなか集中できずに長い時間をかけてやっと描き上げた。

初七日が過ぎて2日後に祭壇を片付け位牌を仏壇に移してからようやく気持ちに余裕が持てるようになった。

仏壇に線香をあげていたのと同じような日常に落とし込むことができたのかもしれない。

あるいは、日数が経って哀しみが薄れてきたせいかもしれない。

母が亡くなってから改めて人と人とのつながりを実感した。

葬儀のときに自分の時間を割いて当然の事のように裏方を務めてくれた同窓生たち。

かけつけてくれた親族。

デイケアで母が世話になった施設の人。

母の郷里や僕の住む集落の人。

遠く龍郷や名瀬からかけつけてくれた友人たち。

予想もしないたくさんの供花や弔電、そしてたくさんの方に焼香していただいた。

ありがたくてとても心強かった。

この人たち一人ひとりの似顔絵を描いて感謝の意を伝えたい

そのときは本気でそう思った。

でも、現実的には無理だから、これから先少しずつ、少しでも返せるように心がけようと思う。

前に進んでいかなくては。

納骨のときに母の骨つぼと父の骨つぼが離れて置かれたことに弟が気づき、家に戻ってから「寂しいだろうから父ちゃんと母ちゃんの壺とくっつけてあげればよかったのに」と言われた。

弟の言う通りだと思い、数日後に墓を開けて壺の並びを変えて二人の骨壺をひっつけた。

そのときに墓中に頭を突っ込みながら「僕もここに入るのか」、「壺はどこに置かれるだろうか?」と思った。

そのときまでつながって支え合って生きていくことにしよう。

2014年1月 1日 (水)

初日の出!?

寝坊した。

昨夜どんなに遅くなっても明日は早く起きて初日の出を見に行くぞ、なんて思っていたのに。

7時過ぎ。ちょうど今頃水平線から陽が差し込む頃か・・・。

えーと、ソッコーで着替えてテキトーに顔を洗って車を飛ばせば・・・間に合わなーい!

今年はお天道様にがっつりお願いしたいことがあったのに。(;一_一)

しようがないので窓外の東の山に照準を合わせることにした。

待つこと約1時間・・・意外と長かった。

光差し込む山際に向かって手を合わせ心をこめて願かけをした。

Dsc09507
新しい年がやってきた。

相変わらず「今年こそは!」の誓いを胸に、充実した一年を送りたいと思っている。

がんばるぞ!

2013_2

2013年12月23日 (月)

懐かしの古仁屋高校

雑貨やの「MARCHE(マルシェ)」でカレンダーを買った。

昨年と今年に発売しているペン画カレンダー「懐かしの奄美」ではなくて

「懐かしの古仁屋高校」(?)というところだろうか?

僕の母校だ、この校門もよく覚えている。

Dsc09480
この校庭も。

Dsc09482
マルシェ店主の実兄、伊藤暢浩さんの精密なペン画が6枚。

価格は500円だった。 卒業生には良い記念になるかも。

個人的には、川沿いの弾痕だらけのあの壁を描いてほしかったかな。

2013年11月30日 (土)

「奄美復帰復興の記録映像」を見てきた

奄美復帰60周年の記念として、復帰当時のドキュメント映像を鑑賞する催しがあった。

町立図書館の視聴覚室で50人ほどが出席した小さなイベントだった。

これまで見たことがない貴重な映像をたくさん見ることができた。

Dsc09391

Dsc09395

 上映会の後、楠田書店の楠田哲久さんのスピーチもあった。

直前の上映で、復帰当時に奄美の学校に教科書を配布するために会社が設立されたとの紹介があったが、それが楠田書店だった。

当初は大島全域の教科書を担っていたが、途中から南部(古仁屋地区)は泰山書店に引き受けてもらったとのこと。

楠田さんは、日本復帰100周年を迎える将来について触れ、今の中学、高校生の世代にしっかりと引き継いく重要性を述べた。

Dsc09402

次に奄美のトラさんこと、花井恒三さんが話をしてくれた。

先に東京奄美会が制作した「東京における 日本復帰運動」が小、中学生向けに作られた冊子であるならば、自身は高校生向けの本を考えていると明かした。

各集落での聞き取り調査を精力的に行っていて、瀬戸内町には再来年からとりかかる予定だとか。

Dsc09411

二人のスピーチの後、会場にいた女性が当時の思い出を語ってくれる一場面もあった。

奄美が日本復帰を果たした後、大勢で船に乗って沖縄の境界線まで行き、そこで「沖縄を返せ~」と大合唱のエールを送ったとのことだった。

今でもその歌を覚えていると少しだけ披露してくれた。

Dsc09414

 調べていけばまだまだ興味深い話がいっぱい出てきそうだ。

そんな話をマンガにしたい。

2013年11月24日 (日)

カモ

今朝裏手の川からにぎやかな声がきこえるので覗いてみたら

いつもいるカモが増えていた。

Dsc_0291

 

どっかで飼っていたのだろうか?

あっちにこっちにつながって歩く姿がかわいい。

そういえばそろそろ鍋の季節だな・・・なんて(笑)

生協まつりで似顔絵を

医療生協グループの「生協まつり」で席描きの似顔絵を描いた。

写真を見て描くCG似顔絵はたくさん描いてきたけれど

本人を前にして直に描くのは難しい。

短い時間でちゃんと仕上げるためにはもっと腕をあげないといけない。

今日描かせてもらった人たちには今更だけど・・・。

Photo_5

 外で描くのはほとんど経験がないので緊張したけど

会話しながらその人を描くのは新鮮で楽しかった。

機会をつくってくれたヘルパーさんと南大島診療所に感謝。

Dsc09387

Dsc09386_2