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2015年7月13日 (月)

源五郎さんのインド旅

不思議なケンムンの世界を描き続ける源五郎光さんの新居におじゃましてきた。

まだ全部引っ越しの荷物は入っていない様子だった。

あまり生活感のない家に写真と本だけがたくさん置かれていた。

しばらくして本棚にある手作りの絵本群を見つけた。

若いころにたびたび訪れたインドでの出来事を絵本にしたものだった。

絵本を読ませてもらいながら色々と質問攻めにした。

インドに何度訪れたかはっきりした回数は分からないらしい。

チャンスがあればいつでも行けるように常に荷物をまとめていたという。

相当インドに魅せられたようだ。

1回の滞在で1カ月ほど居たというのだからほとんど放浪記である。

ガンジス河に浮かぶ死体を日常的に見たり、見ず知らずの女性から赤ん坊を押しつけられそうになったり、虫さえも殺さない素っ裸の少数民族に出くわしたり、色々な体験をしてきたようだ。

それらの珍しい体験を「インドをあるく」というシリーズで手製の絵本にしている。

インドの人たちを暮らしぶりを写した写真もたくさんあった。

これだけ色々な体験をしながら、「人生観が変わった」とか、「価値観や思想が変わった」とか「人生で大事なことに気づいた」とか一切言わないのがすごいと思った。

そういえば、インドに行ってきました的なガネーシャのタペストリーとかも見当たらない。

僕だったら、これだけの体験をしたら自慢したくなるのに・・・。

源五郎さんはどこまで行っても普通で穏やかなのだ。

でも、源五郎さんの描く絵は普通じゃない(良い意味で)。

インドを旅していたんだなぁと思うと何となく納得できる気がする。

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2015年5月 4日 (月)

ラストライス?

最近炊飯器のフタが開きにくいなぁと思っていたら

ついにまったく開けられなくなってしまった。

しかも3合の米を炊いたばかり

ご飯がなければ、「ご飯」じゃない!?

仕方がないので、炊飯器のフック解除ボタンをドライバーでこじ開け

フックのかかるあたりをガチャガチャやってみた。

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開かない・・・。

半ばあきらめながらもグラグラに浮いたボタンを押してみたら

「パカッ」と 開いた。

やったー! やっと夕食にありつくことができた。

チャンチャン♪

って・・・これからのご飯どうするんだ?(;一_一)

2015年5月 2日 (土)

謎の白い集団

29日10時20分頃 一本の通報電話(?)が入った。

「もしもし、清水の***だけど、今ね黒埼の方に何か白いのがたくさんいるのよ」

「今までこんなの見たことがない」

電話の主の興奮した様子に好奇心を強く刺激されてカメラを片手に家を飛び出した。

「黒埼」という地名が印象に残っていたので、まっすぐマネン崎の展望台に行ってみた。

周辺の眼下を見下ろしたが”白い塊”を見つけることができず、そうか、清水海岸の黒埼方面かと気づき、あわてて引き返した。

海岸の駐車場に電話の主が立っていた。

教えられた方向を見ると、清水と嘉鉄の間の岬、黒埼の岩場に白い粒が確認できた。

とりあえず防波堤の端まで歩み寄って200ミリの望遠で撮った。

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「鳥」だと思うが、ぴくりとも動かないのではっきりしない。

確かめようと浜に降りてゆっくりと近づいていった。

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やっぱり鳥だ。

何をしているのだろうか?

あの塊の下に何か・・・やばいのが漂流していたらどうしよう・・・。

そう考えたら気になって確かめずにはいられなくなった。

そのとき一隻の船が近づいて

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岩の上に移動した。

エンジン音に驚いたのだろう。

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慎重に歩を進めていたが、距離が50mほどに縮まったとき

鳥たちは次々と浮き上がり嘉鉄の方向に飛び立ってしまった。

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最初に集団がいた磯場に漂流物など何もなかった。

彼らは渡り鳥でただ休息していたのだろう。

邪魔して悪いことをした。

家に戻ると、「慌てて飛び出して何だったの?」と聞かれたので

「ん・・・渡りのサギ集団だった」と。

2015年4月26日 (日)

美術館の裏側

と言っても別に何かを暴くわけではなく

美術館の建物を裏から見ただけのこと。

田中一村記念美術館の企画展示を見たあと、施設内に設けられた散歩道を歩いてみた。

道沿いに一村が描いた植物が植わっている。

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しばらく歩くと美術館の裏側にたどり着く。

水辺に立つ群倉(ボレクラ)のような佇まいが特徴の美術館の後ろ姿だ。

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ちなみに、企画展示室では来月17日まで霧島アートの森の彫刻などが展示されている。

奄美で立体の芸術作品を観る機会はあまりないので、関心のある人はその期間に足を運んでみるといい。

田中一村の絵を観賞した後で企画展示室にも立ち寄れるルートになっている。

もちろん、無料の企画展示室だけでもOKである。

( 「6人展・はじめの一歩」ではお世話になりました )

2015年4月22日 (水)

古仁屋のつきあげ

今朝早く古仁屋の町に出る機会があったのでかまぼこ屋さんに寄ってつきあげを買った。

お店の前にはちゃんと「こにやのつきあげ」って看板がでている。

まだ熱い揚げたてのつきあげを3本と2枚。

そのまま食べても美味しいが、ニンニクの葉やニラと一緒に炒めると絶品のおかずになる。

たまに名瀬方面の知人への手みやげにするが、車中につきあげの美味しそうな匂いが漂って誘惑に負けそうになる。

着いたら数が減ってたりして(笑)

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2015年4月10日 (金)

長~いトンネルウォーキング

3月15日にトンネルウォークのイベントに参加した。

トンネル内に歩道がないため「歩くのは最初で最後のチャンス」とのこと。

全長4243メートルの網野子(あみのこ)トンネルは、県下一長いトンネルとなる。

朝8時半に古仁屋漁港の駐車場に集合、10台の大型バスに分乗して奄美市側のトンネル出入り口に向かった。

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ここから瀬戸内町側のトンネル出入り口・網野子集落へ向けて歩くのだ。

早足で1km10分程だから50分くらいかかる見込みだ。

あいにくの雨だが、傘はたためば杖代わりになる(?)

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歩道がない分全体にコンパクトなイメージのトンネルだ。

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みな思い思いのペースでのんびり歩く。

途中で小学生の一団が走り去って行ったが、ほとんどの人は立ち止まって写真を撮ったり、談笑しながら最初で最後の長~いトンネルウォークをゆっくり味わっていた。

中間地点付近に設けられた仮設トイレには長蛇の列ができていた。

30分近く歩いたところでようやく半分くらい。 さすがに長い!

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あれ?公衆電話が・・・って、そんなわけはない。

緊急用の電話ボックス、トンネル内に数ヵ所あった。

どーか使うことがありませんように・・・。

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歩き続けること約1時間、ようやく出口が見えてきた。

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出口で迎えてくれたのは・・・

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鹿児島からやってきたグリブーとさくら(そういえばこの二人夫婦になったんだっけ)

そして、テントの中では網野子集落の婦人会の皆さんたちが飲み物とおやつを用意して、地上に出られて?安堵した様子の参加者たちをねぎらってくれた。

記念のタオルももらった。

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瀬戸内町側のトンネル出入り口はこんな。

イベントスタッフ(役場職員?)も雨の中おつかれさま。

トンネル内にじっと立っていたスタッフが案外寒くて辛かったかも。

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この後、歩き終えた人から順次バスに乗って古仁屋漁港に戻った。

ちなみにこのイベント参加者全員に事前に缶バッジが配られた。

申し込み参加者の記念品であり目印でもある。

このイラストは僕が描いた。

「可愛くて楽しそうな雰囲気のデザインで」との要望に応えたつもり。

でも、だいたいいつもこんな感じの絵かな・・・?。

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トンネル抜けたらすぐ瀬戸内町。

ヤドリ浜から西古見まで東西に長い本島側を巡るのもいいし、フェリーで加計呂麻島・請島・与路島にも渡ってみては?

2015年1月26日 (月)

野茶坊さん!?

一週間ほど前に陶芸・野茶坊焼きの池さんから突然「会いたい」と電話がかかってきて

先日名瀬に用事のついでに訪ねて行った。

屋仁川沿いとは聞いていたが探す時間の猶予がなかったので、近くまで行って電話した。

「そこをまっすぐゆっくり進んでください、見えますから」と言われて車をゆっくり走らせた。

「見えます?・・・何が?」と思いながらキョロキョロしていると

はるか向こうから走ってくる人がいた。

頭にバンダナ、りっぱなヒゲ・・・わざわざ迎えにきてくれたのだ。

新聞の写真とかで予想はしていたけれど、間近に見るとインパクトがある。

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「やんご」の通りを少しはずれたところに池さんの自宅と工房があった。

その辺りは、先月散歩したところで、”こんな雰囲気良いなぁ”とか思って写真を撮ったところだった。

どうして看板に気づかなかったんだろう。

川沿いの階段を上った少し高台に自宅があった。

柱には『ネクタイをしている人 立ち入り禁止』と書かれていて思わず笑ってしまった。

野茶坊焼きの作品を展示している喫茶室のようなところに通されてコーヒーを飲みながらしばらく会話した。

3時から陶芸教室があるということでそれまでの間30分ほど話したが、池さんの話が面白すぎてあっという間に時間が過ぎてしまった。

プロフィールを短くまとめると、瀬戸内町の出身で、大島高校を出た後、親の反対で芸術関係の大学を諦めて、(池さん言うところの)フツーの大学に進学し、その後シベリア鉄道に乗りロシアに渡り、スペインで絵画の勉強をし、その後なぜか陶芸に魅せられて島の赤土を混ぜた「野茶坊焼き」をやっているとのことだった。

その間の面白いエピソードも色々と聞かせてもらった。

僕にはこんな勇気や行動力はない。

冒険に満ちた池さんの生き方に比べると、なんとも生ぬるい人生を歩いているように思う。

でも、まあ、人はそれぞれ。

昔はそういう人の前では、引け目を感じたり羨望の感情がおこったりもしたが、今はそういう感情はあまりないような気がする。

たぶん、今は自分のやりたいことがはっきりしているからだと思う。

池さんの本職である陶芸の話をほとんど聞かぬまま、初めての訪問を終えた。

この後、アート仲間「風の会」が集まって3月の展示会の打合せをした。

マンガ絵を描き続けている中で、色々な人との出会いがあることが嬉しい。

2014年12月25日 (木)

久しぶりのアイロンプリント

平面彫りの福田さんの家で作品を見せてもらった折に「これシャツにプリントしたいな」と思ったものがあった。

人生の悲しみ、苦しみ、喜び・・・そういった諸々すべてを包み込み静謐で慈愛に満ちているような女性の表情に魅かれたのだ。

これは周りが黒地でないとだめだなと思い、(いつもの昇華プリントは白系にしかプリントできないので)アイロンプリントで作ることにした。

アイロンプリントは一種のシールなので、大きなプリントではシャツの目をふさいでしまう。

通気性が悪くなって夏はけっこう蒸れるのだ。

それで周辺をカットして女性の顔だけをプリントすることにした。

しかし、久しぶりだったので、アイロンプリントの温度設定やプレス時間が曖昧で、適当にやってみたら失敗してしまった。

そういえば昇華プリントを始めたときもけっこう失敗したなぁ・・・。

過去のメモとか見ながらもう一度挑戦。

今度はアイロンの当て紙をはがすのが早すぎて端が少し剥がれてしまった。

でも、まあ自分で着る分には良しとしよう。

それにしても色々忘れてあやふやになっていることが多くなってきた。

歳とってくると「記憶」よりも「記録」が大事なんだな。

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2014年12月20日 (土)

自家製カレンダー

薄い板に立体的な彫り物をする、いわゆるレリーフ、ご本人は”平面彫り”という表現で作品づくりをしている福田さんのためにカレンダーを作ってプレゼントした。

同氏の作品を写真に収めたものを表紙を含めて13枚使ってポストカードサイズのカレンダーに仕立てたものだ。

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福田さんの作品がどれも素晴らしいので予想以上に良い出来になった。

本人もとても喜んでくれて追加で作ってほしいと頼まれた。

複数口だったので今度は代金をいただいて制作した。

そうすると今度は自分の分も欲しくなって

ケンムンのイラストだけを集めた「ケンムンカレンダー」を作ってみた。

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自分だけのオリジナルカレンダーだ。

もっと工夫していけば来年は販売用のカレンダーも作れるかな?

2014年12月19日 (金)

最後の「ホライゾン」

”奄美の情熱情報誌”と銘打って1995年から足かけ20年にわたって美しい写真とともに島の魅力伝え続けてきた「ホライゾン」が今号(40号)をもって休刊するとのこと。

僕は33号の妖怪特集から記事の挿絵を描かせてもらっていた。

そして40号では、娘も民話特集の挿絵で最初で最後のホライゾンデビューをした。

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僕らにとっては初めて親子で掲載された記念樹となった。

編集長の濱田さんに励まされながら挿絵を描いてきたこれまでのことを思い、何かお礼をしようと、ホライゾンの1~40号の表紙をTシャツに仕立ててプレゼントした。

期待以上に喜んでくれた様子で直ぐにお礼のメールが届いた。

(ブログでも紹介してくれた)

ホライゾン日記

最後の「ホライゾン」じっくり読ませてもらってます。