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2012年11月13日 (火)

空想する浜辺

今朝の浜辺の風景

曇っていたせいもあるが少し寒さを感じるようになった。

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今朝の遭遇者たち

ふてぶてしい顔した猫。

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これは・・・?貝

流木にびっしりついている。

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そしてこれは、不思議な生き物に見えたいつぞやの流木。

なんか少しやつれたような・・・

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この海岸をずいぶんさまよったんだろうね。

やっぱり生き物に見える。

よろよろと立ちあがったりして・・・

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こんな馬鹿げた空想をよくする。

子どもの頃からずっと「授業中にぼんやりしていることが多い」と、先生から注意されていた。

口を開けてよそ見しているって。

すごい光景が目の前に広がっているんだから授業どころじゃない。

そういうときって時間が経つのも早い。

いつの間にかいろんな事が終わっているし(笑)

ピースも空想するんだろうか?

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この角度かわいい♪

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2012年11月 9日 (金)

ときめく朝を

昨夜も夜更かししたので今朝は9時前に起きるのがやっとだった。

散歩を待っているピース(犬)と餌を求めるプーちゃん(インコ)の声が聞こえる。

勤め人ではないので24時間自由にできるという意味では、毎日が日曜日みたいなものだけど、子どもの頃のような「ときめく朝」を迎えられなくなった。

あのときは、一日好きなことができるという喜びで飛び起きたと思うのだが・・・今は好きなことができていない・・・のかな?

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とりあえずピースと散歩するためいつものように浜辺に出た。

すごく潮が引いていた。

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ここは神道にあたるところ。海からまっすぐ神社につながる道だ。

奥に見えているガードレールの先に集落の厳島神社がある。

神さまは、迂回して道路側から上ったりはしないのだ。

神さまがいつでも通れるようにきちんと整備されているところが信仰心の篤さを感じさせて良い。

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海岸沿いのデイゴの葉がきれいな姿になっていた。

ヒメコバチの被害でたくさんのデイゴがだめになったけど、なんとか回復して以前のように真っ赤な花を咲かせてほしい。

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今日はいつもより長くゆっくり散歩したからピースも満足かな?

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日々咲いたり萎んだりする小さな事じゃなくて、長持ちする大きな目標を持とう。

今の状況からは夢みたいな、人が聞いたら笑われるような。

でも、「よしやるぞ!」と起きられるような。

2012年11月 8日 (木)

鳥にも見放されて

奄美大島・瀬戸内町の松の木が虫の被害で次々と枯れている。

最初の頃は、緑の葉が赤茶に変色して朽ちてゆく松の木に強い違和感を覚えたが、ほぼ全域に拡大した今では見なれた風景になった感がある。

山を切り開いて作られた道路は、その壁面の樹が死んで保水力を失い、雨が降るとすぐに崩れてしまう危険なものになった。

自然が微妙なバランスで維持されていることを思い知る。

なんてことを今朝の散歩で思った。

海浜の東はずれに大きな落石や朽ちた樹木が横たわっていたからだ。

アダンの群生の奥は、緑だった皮膚をごそりと剥ぎ取られて赤土の身が剥き出しになっている。

枯れた樹木が並んで立つ姿は不気味だ。

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たぶんもうここで鳥のさえずりを聴くこともないのだろう・・・。

これは以前に同じ浜辺で撮った流木の写真。

海辺に這い上がってきた生き物みたい。

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(わし これからどこに行こう・・・)

2012年1月 9日 (月)

いくら下手でも

今年の年賀状は、添え書きを筆ペンで書いた。

客観的に見て下手な字だ。分かってる。

以前なら一枚書いてみて、「ああだめだ、ちゃんと練習してから書こう」と、すぐに断念した。

ふと気づいた。いや、本当はとっくに気づいていたことだが、「上手くなってから人前に出そう。」という考えは、ほぼ実を結ばないことを。

誰だって下手だとけなされるよりも、上手いと褒められるほうが気分が良い。

たしか徒然草にもそんなことが書かれていた。

踊りを習っている者がいて、宴の席で踊ってみよと言われたときに、素直に踊って未熟さを笑われる者は、その後ぐんぐん上達するが、同じように声を掛けられて、「まだまだ人様にお見せできるものではありません」と断り、しかし、心のうちで「今に上達して皆を感心させてやろう」と思っている者はその後さっぱり上手くならないものだと。(うろ覚えだけど・・・こんな感じ)

上手くなってから(いつか)書くか、それとも、上手くなるために今書くか。

そんなわけで、恥ずかしながら筆ペンを使い始めた。

次は宛名も書こうかとさえ思っている。

武者小路実篤の「人生は楽ではない。そこが面白い、としておく」という本の中で、実篤の絵について興味深いエピソードが紹介されている。

幼い娘が実篤の描く絵を見て、最初の頃は「お父様がまた炊きつけを増やしている」と揶揄していたが、3年ほど経ったある日、相変わらず一心に絵を描く実篤の姿をじっと見ながら、「いくら下手でも上手くなる」と言い残してどこかへ行ったいう。

なんだか元気づけられた。

だから、上達したいと思うことがあれば、その過程において人に笑われることを気にかけずにまっすぐ前を見て進んで行こう・・・なんてことを思っている。

ちょっと遅すぎた感はあるが・・・。

2011年4月 4日 (月)

ひそかに供養をしていた

3月21日の休日

加計呂麻島に車で渡って日帰りのドライブをした。

生間(いけんま)港から上陸して、海沿いの道を東に走り、瀬相(せそう)の戦闘指揮所跡を見に行った。

慰霊碑と壕の他には何もないところなので、ふだんは人が訪れない場所だと思うが、そのときは軽自動車が一台停まっていた。

観光客かな?と思って、近づいてみると、

お坊さんが一心にお経をあげていた。

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あれ、今日は何の日だっけ?

てっきり町か集落の行事で法要を行っているものだと思った。

でも、お坊さん以外に誰もいない。

変だなぁと思いながらも、邪魔をしてはいけないと思い、離れた場所でじっとお経が終わるのを待った。

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(あ、終わったみたい。)

車に椅子や焼香の道具を積み込んで帰ろうとするお坊さんを呼びとめて聞いてみた。

お坊さんは、関西から来られた方で、子どもの頃瀬相に住んでいたらしい。

そして戦争が激しくなる前に奄美を離れたとのこと。

何年か前に久しぶりに訪れたら、多くの方が戦争の犠牲になっていることを知って、供養をしてあげようと思ったらしい。

毎年春と秋の頃に加計呂麻島にやってきて、瀬相と三浦の慰霊碑に線香を手向け、お経をあげているとのこと。

「勝手なことをして申し訳ありません。(私がこうして生きているのは、)誰かが私の代わりになったのかもしれないと思って、少しでも霊を慰めようと思ってやっとります」

咎められたと思ったのか、関係者だと思ったのか、弁解するように言うと、一礼して去っていった。たぶん三浦の慰霊碑に向かったのだろう。

いつもなら形式的なもので済ませるけど、僕も慰霊碑に深く頭を下げた。

2011年3月20日 (日)

食料を届けてくれてありがとう

3月15日のことだった。

東京の板橋区に住む息子から近所のスーパーに食料がないから、遠くまで買い出しに行ってくると連絡があった。

スーパーのガラガラの棚が写メでおくられてきた。

震災の危機感で皆が食料買いに走ったことと、流通がストップしたためらしい。

残念ながら息子は、買いだめをするほどの経済力もなく、その日その日を生きている(笑)ので、大きく出遅れたのだ。

だいぶ経ってから、また写メが届いた。

床に並べられたレトルト食品群。わずか5~6品といったところだ。

買占めを防ぐため制限されたせいでもある。

それを知った妻は、母親の本能に任せてレトルト食品や缶詰めを大量に買って息子と娘に送った。

ところが、その2日後に宅配業者から関東地区には荷物を送れなくなりましたとの通知があった。

やはり、同じようにして物資を届けようとする荷物が集中して、関東の営業所はパンク状態らしい。

既に送った荷物もいつ配達できるか分からないとのことだった。

「10日・・・へたをすると2週間ぐらい覚悟した方が・・・。」配達の人も、状況がつかめないといった感じだった。

ところが、である。

荷物を送ってから4日後の3月19日にちゃんと荷物が届けられたのである。

息子の話しでは、ヤマト運輸の人が自転車で運んできたとのこと。

ガソリンが極端に不足して車が出せない状態なので、自転車+リヤカーという仕立てで荷物をせっせと運んでいるらしい。

「車が出せないなら、自転車を使え、みんな困っているんだ。」との会社の指示とのこと。

息子は、配達員の話に感動して、さらに、(母親の手加減のない愛情がぎっしりと詰まって)すごく重い荷物を3階まで運ばせたことを申し訳なく思ったという。

そう連絡してきた息子は、母親にありがとうを言うのを忘れた。

親の愛情は、ときに一方的で、煙たがられたり、宅配業者の集荷場を混乱に陥れたりもするが、しかし、それが人情というものだ。

子どもの身を案じて食料を送る母親も、届いた荷物を一刻も早く届けようと奮闘する宅配業者も、どちらの行為も尊い、と思う。

2011年1月30日 (日)

浜辺にて

うちの犬の散歩コースは、家の前の浜辺。

いくたびに色んなものを発見する。 最近見つけたものは、

大きなヒトデ。30センチくらいあった。触ってみても何の反応もなく、固かった。死んでいるのだろうか?

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ピース(犬)を呼んで、一緒に写して大きさを表そうと思ったが、なかなかヒトデに近づいてくれない。そのうち、”あ・・・そうか、犬の大きさが分からないか”と矛盾に気づきあきらめた。

よくタバコの箱とかでサイズを示しているけど、タバコは吸わないし。で、結局ヒトデだけ写真に収めた。

自分の足でも良かったんだ。と、後で気づいた。

それと、

小雨の降る中、かすかに差し込む陽の光で虹が見えた。両端の根元(?)がちゃんと見えたけど、近すぎてケータイのレンズに収まりきれなかった。

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虹を見つけたときは、何か良いことが起こりそうな予感がする。

それと、

コンクリートの隙間から生えている、”ど根性○○○” 。

海岸でよく見かける木だけど、名前を思い出せない。

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あまりにも自然すぎて、これまで気にとめなかったけど・・・。

生命ってすごいなと思う。

2010年11月 4日 (木)

奄美市を通って

11月1日に奄美市名瀬へ行った。豪雨の後初めてだった。

国道が途中で寸断されているので、少し遠回りになった。

被害が大きかった奄美市住用にさしかかると道路わきに土砂を掻きだした後が残っており、この先で豪雨の傷あとを目撃するかもと少し緊張した。

テレビで何度も映像が流れた役場の前を通ると、水浸しになった備品や書類が建物の前にずらりと並べられていた。路地の奥には家具や畳が山のように積まれている。

家を出たときには災害の後の様子を写真に撮ろうかと思っていたが、いざそこへ行くと被害者の辛さを思いとてもカメラを向ける気にならなかった。

城(ぐすく)のトンネルにはまだ水が流れていた。この勾配の急な道を通って大量の土砂が下の民家にどっと流れたのだろう。

そして途中何カ所も通行規制していた。名瀬から龍郷に向かう道では道路が半分陥没していた。

報道で分かってはいたが、あらためて被害が現実のものであったことを強く認識した。

一日も早い復旧と被害に遭った人たちの回復を祈りたい。

僕の住んでいる瀬戸内町ではほとんど被害が出なかった。

でも僕の家は道路よりも下にあり、前に海、後ろに川がある。ひとたび水が出れば水没間違いなしの環境なので、報道を見て心配した知人からたくさんのお見舞いの電話やメールをもらった。

人の思いやりに感謝。

2010年8月31日 (火)

年金をもらいすぎる人、もらえない人

所在不明の超高齢者が全国的に問題となっている。僕の住む奄美でも各市町村で一斉に調査を行ったと新聞で報道された。今朝の新聞の1面トップで「120歳以上所在不明者1362人」「喜界町では168歳も」と掲載されていた。

さすがは長寿日本一の島だ。

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今回の一連の騒ぎで知ったことは、誰かが届け出をしない限り戸籍は更新されないという事実。そうか、そういうことになるのか・・・。と、電子化が進む市役所のシステムの中でアナログ的に人間がかかわらなければならないアキレス腱のようなものを見た思いがした。

中には家族が本人の死亡を何十年も隠し続けて年金を受給していたという事件もあった。所在不明者には当然支給されないだろうから、168歳のご老人が109年間の長きにわたり年金を受給することはなかっただろうが、もしかしたら既に本人がいないのに登録された住所を基準に無駄に支給されているケースがあるかも知れない。

死んでも年金を受給できる人と何年も年金を納めたのに1円ももらえない人。

前回のブログで義弟が亡くなったと書いたが、義弟は後者の方。ねんきん特別便で200万円を超える納付が確認できたが、社会保険事務所で確認したところ、支給の要件を満たしていないということで遺族年金も一時金もなかった。

ちなみに女房の家族は父、母、妹、弟とみな60歳に満たない年齢で亡くなったので誰も年金も受けていない。いわゆる”掛け損”だ。

不幸にして病気や事故で早死にした場合はみな自己責任なのだろうか?

年金を受給せぬうちに死亡した場合は、せめて、それまでに納めた年金の3分の1か半分を遺族に返してくれるような制度でもないと安心して年金を納めれらないと思うがどうだろうか?

「年金は賭けるつもりで掛けている」 いつか見たサラリーマン川柳だ。もう今は笑えない。

2010年8月22日 (日)

新盆の夜に思う

先月末に義弟が亡くなった。

弟といっても歳は僕と同じ。姉さん女房をもらったのでそういう関係だった。

お酒を飲み過ぎて肝臓を痛めては何度も入退院を繰り返していたが、今回ついに回復せぬままに死んでしまった。

7月15日に緊急入院で病院に運ばれてから亡くなるまであっという間だった。「うそだろ」みたいな信じられない出来事だった。人ってこんなにあっけなく死んでしまうんだと。

葬儀をしていても本人がどっかで生きているような不思議な感覚がしていた。「やっほ」と片手をあげて笑いながらそれでいて少し遠慮がちな感じでいつものように現れそうな気がしていた。

通夜の夜、僕と女房と子供たちだけになったとき少しむすっとした遺影を眺めながら”おじちゃん”(こどもたちはそう呼んでいた)の酔っぱらったときの武勇伝や偏屈だったことや、融通が利かない生真面目だったりしたことを語り合って大いに笑った。次から次へと思い出が尽きなかった。本当に不器用で生きるのがヘタなおじちゃんだった。でも、僕の子供たちをとても愛してくれた。いつもなけなしのお金をはたいて高価なプレゼントを買ったり、子供と一緒になって真剣に遊んでくれた。

女房は若いころに両親を亡くし、6年前に妹を亡くし、そして今回たった一人の肉親であった弟にも先立たれてしまった。もう誰もいない、一人ぼっちになってしまった。子供たちが家に居てくれた数日間ななんとか気丈に過ごしていたが、その後しばらくは家から一歩も出ずにしくしくと泣き暮していた。なぐさめる言葉がなかった。

時間はありがたいもので、今はもうだいぶ元気になっている。外に買い物に行ったり、友達に会いにいったりと普通に過ごしていることが多くなった。

今日はお盆の入り。厳密には49日を過ぎていないが、それなりの期間があったので引き寄せて新盆として義弟の魂を迎えた。気取ったポーズの若い頃の写真と笑って焼酎を飲んでいる写真を飾って、大好きだった焼酎を添えて。もう誰も「飲むな」とか「しっかりしろよ」とか言わない。好きなだけ飲んでへべれけになって・・・。でも、そんなことを考えると少し辛くなる。飲んじゃいけないと思いつつ飲んでしまい自己嫌悪に陥っていただろうと想像すると、飲酒を咎めたことが悔やまれる。こんな風に死んでしまうんなら最後まで気持ち良く飲ませてあげたかったとも思う。

しかし・・・実はまだ実感がない。葬式を済ませ、住まいの後片付けをして、お盆もして、もうこの世に存在しないことをはっきり理解しているはずなのに、ふと忘れてしまうことがある。まだどっか近くに存在しているような気分が続いている。

いずれにしても生活にまた落ち着きが戻ってきつつある。約1カ月も中断していたブログも再開することができた。今度のことで、同窓生のありがたさや人の温かさあるいはその逆のことなど色々なことを感じた。いずれまた書こうと思う。