川の流れのように
”川の流れ”というと滔々と流れる大きな河を連想するかもしれないが、そんな逞しいものではない。
それは大河ドラマの偉人たちの世界。
僕の思う川は、山間の小さなせせらぎのこと。
ことさら力むこともなくさらさらと流れて日々を送り人生を全うしたいと願っている。
”願っている”わけだから、現実はそうではないということ。
おそらく、ほとんどすべての人がそうしたさらさらとは流れない人生を送っているのだと思う。
長い年月を恙なく過ごすというのは至難の業。
すべてが順風満帆なんてあり得ない。
躓き、滞り、やっと流れ出したと思ったらまた・・・みたいな人生なのでは?
もし、詰まってしまって流れに滞りがおこると色々な障害が現れる。
人間の体で言えば、排便が滞ると便秘になって、万病の元となる。
血流が滞ると静脈瘤ができ、最悪心筋梗塞や脳梗塞に繋がっていくかもしれない。
支払いが滞ると催促が来て、やがて借金苦に喘ぐことになるかもしれない。
社会との繋がりが滞ると孤立して、誰の助けも得られずに孤独死してしまうかもしれない。
夫婦間の愛情が滞ると何しろ一つ屋根の下で毎日顔を合わすわけだからこれはもう耐えられないかもしれない。
さらに、車の流れが滞ると渋滞となり、電気の流れが滞ると停電となり、水の流れが滞ると断水となり、食料の流れが滞ると飢饉となり、お金の流れが滞ると不景気となり、・・・こうして、人も社会も流れが滞るとたちまち支障が出て、やがて機能停止状態に陥ってしまう。
うわー、書いてみてあらためて気づいたけど、”流れる”ってすごく大事なことなんだ。
”淀む水は腐る”とも言うから流れが止まったらもう最悪だ。
あらゆる流れが滞ることなくスムーズに動いていてほしいと切に願う。
なにしろ僕らは小さな川だから何かあるとすぐに詰まる。
詰まったら、ツマラナイ。
古仁屋の川。
子どもの頃は、ここでウナギをつかまえたりして遊んだんだけどね。
今の子どもたちは、町の中に遊べる場所がないのでツマラナイかも。
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