沖縄旅行(7)
古宇利島から今帰仁(なきじん)城跡に移動した。
今帰仁城は、北の山北王(さんほくおう)が治めたところだ。
平安時代の終わり頃から鎌倉時代にかけて平氏と源氏が争っていた頃、琉球では北山、中山、南山の3つの王国が覇を競っていた。
城は後の薩摩の侵攻ですべて焼け落ちてしまったらしく、石垣だけがその痕跡をとどめている。
この光景何度かテレビで見たことあると思ったら、世界遺産に登録されている有名な場所だった。
曲線を描く独特の石積み。
城に登る元々の道であった旧道脇の石段を歩いた。
この石段は戦後に造られたものらしい。
傾斜地だったこの道をアメリカ軍のジープがわがもの顔で走りぬけていたが、
その状況を忍びなく思った沖縄の人たちが(ジープが走れないように)石段を設置したとバスガイドさんが教えてくれた。
”割れないように”という意味で、3段、5段、7段の奇数で組み上げられていた。
両脇に寒緋桜が植わっていて1~2月が見ごろらしい。
カズキヨは、いきなりバッテリー切れで写せなくなったデジカメを握りしめ風景は目に焼き付けていた?
高台の大庭に到着。
ここでもガイドさんが色々説明してくれたはずだがよく覚えていない。
台所を象徴する火の神が祀られている祠。
”家事の神様”とか言われて、女子がこぞって手を合わせた。
案外健気だ。
ここが城内の主要な建物があった場所とされるところ。
途中、今帰仁グスクの建設にまつわる記録パネルがあった。
ガイドさんの説明によると、グスクの建設には長い年月がかかり、その間奄美人10万人が労役についたとのこと。
奄美が琉球に支配されていた時代に強制的に連れて来られたようだが、10万人は多すぎないか? 延べ人数?
きっと多くの人が戦に巻き込まれて命を落とし、生き残った者は新しい支配者の元で奴隷になったんだろうな・・・。
二度と奄美の土は踏めなかったはず。
親は?妻子は?・・・なんだか想像してしまう。
一通り見学した後は記念撮影。
沖縄組からサユリもツアーに参加した。
おちゃめなこの2人は?
この後、琉球蝶々園の展望レストランで昼食をとった。
建物が不思議すぎるんだけど、たぶん竜宮城のイメージ?
すぐそばの交番も「沖縄」って感じで面白い。
次はいよいよ一番楽しみにしていた「ちゅら海水族館」だ。
いきなりこれだもん、来て良かった。
コメント