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2015年7月の11件の記事

2015年7月30日 (木)

三角浜

潮の流れは不思議なことをする。

何もなかったところに砂浜ができている。

奄美市名瀬のTSUTAYAから山羊島に向かう道路とそれに沿うようにして海上を走る道路に挟まれた小さな浜。

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最初は護岸の隅っこに砂が吹きだまりました的なものでしかなかったのに

小笠原の新島のように少しずつ広がっている。

浜には人影があり海では舟こぎの練習をしていた。

久しぶりに見た三角浜はすっかり海浜らしくなっていた。

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武下和平さん

26日の「武下和平 ひぎゃ節 フェスティバル」におばと一緒に出かけた。

シマ唄の大御所、しかも瀬戸内町出身。

そして、大変失礼だが、ご高齢なのでこの機会を逃したら次があるかどうかわからない。

帰郷して僕が最初に買ったシマ唄のCDは「武下和平傑作集」だった。

とくにシマ唄に興味があったわけではないが、氏の唄声は物売りの車から流れ、町中のどこかから流れと、幼いときから耳になじんできた懐かしい調べなのだ。

きっと多くの人が同じような記憶をもっているに違いない。

舞台では、武下流門下生のシマ唄があり若手の唄がありの構成で、武下さんご本人のシマ唄は数曲だけであった。

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のどの調子もいまひとつのようで何度も水でのどを潤していたが、それでもとにかくナマ唄を聞くことができた貴重な機会だった。

娘のかおりさんと一緒に親子で歌う姿が実に幸せそうでほほえましかった。

話の端々で笑ったり、娘に「なぁ!」と何度も同意を求めたり、武下さんはとても気さくな方なのだなと感じた。

シマ唄が好きなおばは終始身をのりだして真剣に聞き入っていた。

特別ゲストとして築地俊造さんも3曲歌った。

3曲目は珍しく坪山豊さん作詞作曲の「わいど節」だった。

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「だんだん唄が歌えなくなっていく豊あにょを励ますために・・・」と気になる発言もあった。

もしかするとだいぶ具合が悪いのかもしれない。

昔買ったCDの武下和平さんは髪も黒々として若かったが、目の前の武下さんは80歳を超えて白髪で少しでっぷりとした快活なおじいさんになっていた。

築地さんもいつのまにか歳をとっていた。

横で熱心に唄を聞いているおばも80歳になった。

歌う方も聞く方も記憶のしっぽにつかまりながらすべり落ちそうになっていく。

僕も80歳まで生きたとして、こうしてシマ唄を聞きにいったりするだろうか?

そのとき舞台に立っている唄者は誰だろう。

2015年7月25日 (土)

行きはよいよい帰りは怖い

千葉に住んでいる友人Hくんが昨日帰省した。

といっても実家に誰かいるわけではないので帰郷というべきか。

なにしろ久しぶりに島に帰ってきた。

早速同窓数名で一緒に飲んだ。

いろいろ話がはずみ楽しい時間を過ごすことができた。

いっぱい飲んで食べてまた飲んで

赤ら顔から青白い顔へ・・・僕はどうやら飲み過ぎてしまった。

最初の店(神鷹)で限界を感じていたが、がんばって二次会についていった。

もう少し皆と一緒にいたいと思った。

古仁屋で飲むのも同窓と過ごすのも久しぶりだった。

二次会は「ビートル」に行った。

お店は満席で僕らはカウンターにずらり並んで腰かけた。

もう限界と思っていたのだが、焼酎の水割りを出されて

なんとなく口をつけているうちに不思議に回復していった。

酔いがまわった同窓たちのテンポの外れたカラオケとアクセントのあやしいトークが妙に居心地が良かった。

たぶん僕もだいぶ酔っていたのだろう。

懐メロ的なメドレー曲にのせられ少しカラオケを歌った。

これも久しぶり。

カウンターの並びに座った若い女性の歌がめちゃめちゃ上手かった。

郷土出身の有名歌手のお姉さんで、顔も声質もよく似ていると思った。

そして実にひょうきんなでサービス精神の旺盛な人だった。

みなは知っている様だったが僕は初めて彼女のパフォーマンスを見た。

すごく楽しくて得した気分になった。

「校長しぇんしぇい」と呼ばれたHくんも一緒に歌ったりとずいぶん楽しそうにしていた。

こんな調子でずっと続きそうな気配さえしていたが

夜中1時半くらいの時間でさすがにお開きとなった。

Hくんをホテルまで送ってから

僕はタクシーで帰るつもりでいたが車がどこにも見当たらなかった。

営業所まで行ってみたが明かりがなく周辺に車もなかった。

家まで歩くしかないのか・・・と覚悟を決めて

袈裟がけのカバンをぐっと引き寄せて歩き出した。

町はずれの芦瀬までは同じ方角のKくんと一緒だった。

酔っているわりにはしっかりとした足取りで歩けた、と思う。

町の中はまだ明るいのだが、山道は極端に暗い。

しかも何度もハブが出てるところだし。

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足元に神経を集中していたらだんだん酔いもさめてきた。

集落入り口の三叉路を下るところは、これまたハブの通り道。

君子危うきを避けて遠回りすることにした。

ようやく家にたどり着いたときは2時を回っていた。

ハブを心配してくれたKくんに生きたまま帰りついたことを知らせようと思ったがやめた。

もう眠っているはずだ。

恐怖を感じながら夜道を歩いたせいか少し興奮している。

明日は台風か・・・などと思いながら本など読んでぐずぐず過ごした。

あ、風刺マンガを描くのを忘れていた!と気づいたころにようやく眠くなった。

2015年7月21日 (火)

痩せるべきか買うべきか?

久々にスラックスを履こうとして、届かないフックの距離にここまで来たか!と驚愕した。

もはやお腹をひっこめて無理して履くなどというレベルではなくなっていた。

いったい今ウエストはいくらになっているのだろうか?

アジャスターがついた略礼服のズボンと、なぜかお腹の圧迫に極限まで応えてくれるジーンズ以外にまともに履けるものがなくなった。

こうなったのは食べて動かない怠惰な自分の責任なのだが・・・

ここまでひどい状態になると思わなかった。

かくなる上は、痩せる努力をして手持ちのズボンを履けるようにするか?

それとも、今の自分を受け入れて新しいズボンを購入するか?

でも、なしくずしになりそうな気もするなぁ。

お腹が大きくなるたびに新しいズボンを買い続けることに・・・

ヤドカリみたい。

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2015年7月19日 (日)

鳥ジンクス?

今日は朝5時に起きた。

室内はまだ薄暗くて電灯をつけているような状態だった。

窓の外からアカショウビンの声が聞こえてきた。

姿は見えないがだいぶ近いところにいるようだった。

今度は昼間、庭の方から「キュッ キュッ」とか「キャッ」とかあまり聞き覚えのない鳥の声がした。

ガラスごしにそうっと声の主を探してみると、

なんと天然記念物のオーストンオオカゲラが目の前の桑の木にとまっている。

その距離ほんの3mほど。

頭が鮮やかな赤色をしているので雄のようだ。

ちょんちょんと木の幹づたいに動き回っていたが、前の道路を車が通過した音に驚いてどこかへ飛び去ってしまった。

ところで、ときどき鳥が車の前を横切ることがある。

それがまっ黒なカラスなら「今日はあまりツイてないな」と用心し

その他の白っぽい鳥なら「今日はツイてるかも」と期待する。

サシバとかルリカケスとか珍しい鳥だった場合は、「ラッキーな事がおこるのでは」と大いに期待する。

特に根拠はなく勝手にそう思い込んでいるだけの話だが。

過去に西古見の公民館でヤツガシラを真近に見たときにはその後色々良いことが続いたので、そうした記憶が「鳥ジンクス」につながったのかもしれない。

今回のオーストンオオカゲラも少し期待していいのかな?

最近はカラスばっかり目にしていたし・・・。

2015年7月18日 (土)

もしかしてシンクロニシティ?

図書館で借りる本を物色しているときにあるタイトルに目が止まった。

「カキフライが無いなら来なかった」

面白いタイトルだなぁと思い手にとったが特に中身も見ずに書棚に戻した。

一度に5冊まで借りることができるが、4冊めでもういいか、という気持ちになり手続きを済ませて図書館から離れた。

しばらく車で走った後、図書館にいる間ケータイを車に置いていたので誰かから電話がかかってきたかもしれないと思って確かめてみた。

僕が図書館に行くことを知っていた娘からラインにメッセージが届いていた。

「図書館で「カキフライが無いなら来なかった」という本を借りてほしい」

7月16日 11時48分

ぼくがちょうどその本を見つけたあたりの時間である。

「すごいな・・・」

あまりの偶然に驚いた。

それにしてもなぜ図書館を出る前にケータイを確認しなかったかと悔やまれる。

一通り用事を済ませてから図書館へ戻りその本を借りることにした。

だが、いくら探しても見つからない。

あれだけさっと目をひいたのだからすぐに見つかるだろうとたかをくくっていたのだがさっぱり見つけられい。

パソコンで検索しても分類番号では探せなかった。

本がどうやら短歌や俳句のコーナーに分類されていることを手掛かりに端からなめるようにして確かめてようやく見つけることができた。

残り1冊の枠で追加で借りた。

借りてから初めて気付いたがそれはお笑い芸人の又吉直樹がせきしろという人と共同で出した自由詩の本だった。

そしてもうひとつ

翌17日の夜ケータイが鳴ってそれは見知らぬ番号だった。

こんな遅くに何だろうと思ってとると、呼びかけても返事がない。

ザブン、ザブンと小舟の上で揺られているような波音(水音)がする。

他には何の音も聞こえないので子どもがイタズラしてかけたものでもなさそうだ。

いったん切ったあと、もしかしたら誰かが海で困ったことになっているのでは?と思い

こちらからリダイヤルしてみた。

しばらく呼出し音が続いた後に男性の声で返事があった。

そちらから電話があったので掛け直したと告げると「知らない、今仕事中だから」と切られた。

不審電話の扱いだが、まだいいほうである。

以前ケータイの履歴にかけ直して用件を尋ねると、電話に出た女性から「私は電話なんかかけていません」ときっぱり。じゃあ、間違いだったのですねと問い直すと、「はぁ~!あなた誰ですか? いいかげんにしないと(警察に?)通報しますよ」とすごい剣幕で切られた。

なので、見知らぬ番号へのリダイヤルはちょっと抵抗がある。

しばらくして先ほどの番号から再び電話がかかってきた。

今度の男性の声は快活でどうやら間違えて電話をかけてしまったことを履歴から気づいたようである。

そして相手は僕のことも知っていた。

僕も声を聞いて相手を思いだした。番号を登録するのを忘れていたようだ。

たまにこうやって勝手に?電話をかけてしまうのでスマホはこわい。

ところで、さっきは電話からずっと波の音がしていたので、海に居るのですか?と尋ねると

「海? いや・・・あっ・・・ほぉー!」何やら驚いた様子。

本当に波の音だったか?と聞くので、ずっとその音がしていたと告げると

「それは僕にとって良い知らせだな・・・」と意味ありげ。

実は、彼は油絵を描いていて没頭していたので間違えて電話をかけたことも気づかなかったようだ。

掛け直した僕の電話で作業を中断されてムッとしくだんの返事になったのだろう。

そんなに夢中になって何を描いていたかというと「海」だったのである。

「海の上に・・・」と少々詳しい説明をしてもらったが、いずれ発表する予定だと言うので詳細は明かさないことにする。

どういう状況で電話から波の音が聞こえていたのか分からないが、彼が気を良くしたことは確かである。

いずれまた会いましょうと上機嫌で電話を切った。

と、これが最近の「偶然」の話。

これに似たことは過去にもいっぱいある。

重い病気とか亡くなったとか噂されていた人のことを突然ふと思い出して、そういえばどうしているのだろう?と考えたとたん

その本人から声をかけられて飛び上がるほど驚いたことがある。

就職先で迷っているときに、数年ぶりに帰省していて町で会った友人が偶然その会社の本社がある都市に住んでいて「絶対こっちが良い」と勧めてくれたこと。

それまで僕はもう一つの方に気持ちが傾きつつあったが、その会社は数年後に倒産した。

彼のアドバイスのおかげで働きがいのある職場で永く勤めることができたのだ。

その職場でもたくさんの「偶然」に助けられた。

これらがいわゆる「シンクロニシティ(共時性)」というものなのだろうか?

できれば「ラッキーな偶然」にどんどん出会いたいものだ。

2015年7月14日 (火)

やっと荷物が届いた

台風9号と11号の狭間に5日ぶりに船が入った。

注文していたシャツや袋やあて紙などの材料が届いた。

宅配業者はかなりの荷物を積載しているらしく家の前に停まってから品を探し出すのに手間取っていた。

数日分の荷物が一気に届いたわけだから郵便や宅配はさぞかし混乱しているだろう。

夕方7時頃だったが、配達はまだまだかかりそうだった。

ご苦労さまです。

早速届いた品をビニール袋に入れて小分けし他の箱に移した。

明日からまたTシャツのプリント作業だ。

そうだ、船が入ったってことは、牛乳とパンもスーパーに並ぶわけだ。

台風11号の影響でまた船が欠航するだろうから、ちゃんと買っておかなくては。

2015年7月13日 (月)

源五郎さんのインド旅

不思議なケンムンの世界を描き続ける源五郎光さんの新居におじゃましてきた。

まだ全部引っ越しの荷物は入っていない様子だった。

あまり生活感のない家に写真と本だけがたくさん置かれていた。

しばらくして本棚にある手作りの絵本群を見つけた。

若いころにたびたび訪れたインドでの出来事を絵本にしたものだった。

絵本を読ませてもらいながら色々と質問攻めにした。

インドに何度訪れたかはっきりした回数は分からないらしい。

チャンスがあればいつでも行けるように常に荷物をまとめていたという。

相当インドに魅せられたようだ。

1回の滞在で1カ月ほど居たというのだからほとんど放浪記である。

ガンジス河に浮かぶ死体を日常的に見たり、見ず知らずの女性から赤ん坊を押しつけられそうになったり、虫さえも殺さない素っ裸の少数民族に出くわしたり、色々な体験をしてきたようだ。

それらの珍しい体験を「インドをあるく」というシリーズで手製の絵本にしている。

インドの人たちを暮らしぶりを写した写真もたくさんあった。

これだけ色々な体験をしながら、「人生観が変わった」とか、「価値観や思想が変わった」とか「人生で大事なことに気づいた」とか一切言わないのがすごいと思った。

そういえば、インドに行ってきました的なガネーシャのタペストリーとかも見当たらない。

僕だったら、これだけの体験をしたら自慢したくなるのに・・・。

源五郎さんはどこまで行っても普通で穏やかなのだ。

でも、源五郎さんの描く絵は普通じゃない(良い意味で)。

インドを旅していたんだなぁと思うと何となく納得できる気がする。

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2015年7月11日 (土)

黒糖焼酎のお菓子

東京土産にお菓子(マロングラッセ)をもらった。

パッケージに「奄美黒糖焼酎 朝日 使用」とある。

ラム酒の代わりに黒糖焼酎を使って作ったようだ。

どういう経緯でコラボすることになったのかは知らないが

高級菓子?に”売り”として黒糖焼酎が使われているのは何だかうれしい。

食べるとほんのり焼酎の風味が後を引き砂糖漬けの甘さもそんなに強く感じない。

マロングラッセとの相性は抜群である。

ただ一箱に4個しか入っていない。

もったいないのでフォークで削ってちびちび食べている。

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2015年7月 5日 (日)

シーカヤック大会が開催されました

今日7月5日は、奄美大島の瀬戸内町で「第23回シーカヤックマラソンIN加計呂麻大会」が開催された。

9時30分に競技がスタートし、色とりどりのシーカヤックが海峡へ漕ぎだした。

第1の通過ポイントである清水海岸で選手がやってくるのを待ち構える住民たち。

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やがてトンキャンの鼻先からカヤックが次々と現れて

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海は一気に華やいだ。

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選手を見守り応援する人々

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選手たちは海岸を舐めるようにして設置されたブイを通過し、沖へと向かった。

どうやら潮流の関係で嘉鉄には行かず加計呂麻島・度連に向かうよう。

これから加計呂麻島の通過ポイントをいくつか経由して古仁屋のゴールめざす。

選手のみなさん、暑さにバテぬよう頑張って!

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