歩いて気づいたこと
今日は車がなかったので古仁屋まで歩いた。
芦瀬にある九電と図書館までなので、距離にして1キロメートルくらいだ。
しかし、勾配のきつい坂を越えなければならない。
すぐに脚に疲労がきた。
なんという体力のなさ・・・。
車ならあっという間に通過してしまう距離なのに
歩きだと目的地になかなかたどり着けない。
そして、時間をかけてひたすら歩くうちに心にある変化が生まれてくる。
たとえば草むしりをしているときにも同じような感覚になる。
素直に少しだけ謙虚な気持ちになるのだ。
どすどすと体が地面に刺さるごとに胸から腹に何かが安定してくる。
道がきれいで良かったなぁとか、(普段は)車があって良かったなぁとか、
海を見ながら、自然が豊かなところで生活できて良かったなぁ・・・といった感謝の気持ちが湧いてくる。
九電で口座から引き落としができなかった分の電気代を支払った。
督促状に舌打ちしながら家を出たが、歩いてたどり着いたときには、電気のおかげで便利な生活できるからありがたいよね、みたいな気持ちにさえなっていた。
もっとも、支払った後の財布を見たらすぐに萎んでしまう一時的なものではあったが (笑)
その足で近くの図書館に寄った。
一人一度に5冊まで借りることができるので、普段車で来たときにはあまり考えずに読みたいものをとりあえず5冊選ぶのだが
今日は歩きだ。 本を5冊も借りたら重くてかなわない。
恵原義盛さんの本を2冊だけ借りた。
カバンに並んで収まり、まずまずの重さ。
人は制約された中では「選択」が必要になるのだと思った。
”とりあえず”の余地はないのだ。
時間、空間、資産・・・きわめて限られている。
これから社会に出て行く若者のように、とりあえず色々やってみたい・・・的な余裕はもうないのだ。
日々何をするべきか何をしたいか「選択」しよう。
・・・なんて、少し神妙な心持ちになった。
けど、しばらくするとそんな気持ちは薄れて無駄な時間を過ごしているに違いない。
切れた頃にまた歩くか。
(帰り道に見えた集落の様子)
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