郷土のことを学んでいる
地元の観光浮揚事業の一環として、ガイドを養成するという企画があった。
面白そうだったので受講を申し込んだ。9月のことだ。
そして10月16日に第一回の講座が加計呂麻島(かけろまじま)の諸鈍(しょどん)という集落で行われた。国指定重要無形文化財の「諸鈍シバヤ」が催される日に合わせた粋な計らいだった。
土曜日と重なったこともあって狭い境内はたくさんの見物客であふれかえっていた。
僕は木の根元の小高く盛り上がった傾斜に陣取り、不自然な形で両足を突っ張らせながらビデオを撮った。諸鈍シバヤを最初から最後まで見たのは、これが初めてだった。
代々諸鈍に住む者だけで演じてきたが、集落の人口減少に伴い、近頃は”諸鈍小中学校に通う学童も含む”と解釈を広げて周辺に住む児童にも参加してもらっているようだ。
なにしろ800年も続く伝統芸能であり、国の無形文化財だ。演る人がいないからと言って簡単には止められない。
大変だ。
見る人たちにとってはありがたいことだけれど。
( これはまだ始まる前の写真。肝心の演舞はビデオでしか撮ってなかった・・・)
続いて、11月27日に2回目の講座が開かれた。
役場の会議室で町の戦跡について詳しい抗議を受けた後、船で加計呂麻島の瀬相(せそう)へ渡り、海軍大島防備隊の跡地を見学した。
戦闘指揮所は敵に発見されぬよう深い壕になっていて、懐中電灯のわずかな光を頼りにまだ出るかもしれないハブに怯えながら歩いた。
その後、再び船で呑之浦(のみのうら)に移動し、作家の故島尾敏雄が若い頃に特攻隊(第十八震洋隊)の隊長として駐屯していた壕を徒歩で巡った。
大島海峡は複雑に入り組んでいるから、軍港や基地をつくるのに恰好の地だった。なので、明治の頃から度々利用されてきた経緯がある。
瀬戸内町には奄美大島要塞司令部も置かれていたので戦跡は多い。
それを観光資源として見ることには抵抗があるが、過去にそこで何が行われていたかを知ることは大事だと思う。
まだまだまだまだ勉強不足。
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