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2012年10月27日 (土)

諸鈍シバヤ見物(2)

シバヤが始まる前にエイサー太鼓が披露された。

エイサーのリズムはテンポと歯切れが良くて好きだ。

もしかしたら、こういう光景を見た観光客が沖縄と奄美を混同するのかも。

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続いて登場したのは、島唄の朝崎郁恵さん。

2002年に68歳でメジャーデビューしたとのアナウンスで、思わず歳を数えてしまった。

すごい。元気だ。

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そして、いよいよシバヤの始まり。

先ずは、シバヤ人衆の楽屋入り「イッソウ」が披露された。

拍子木、三味線、太鼓を打ち鳴らし、掛け声も勇ましく賑やかに登場する。

右手右足のナンバ歩きが基本とのこと。

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このシーンをこんなイラストにしてみた。

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「サンバト」(山高帽の翁)は、歌舞伎の三番叟(さんばそう)からきている・・・らしい?

彼が演目ごとに説明をしてくれる。

シバヤの順番は、必ず最初が「ククワ節」で、最後は「高キ山」と決まっているとのこと。

その間の演目は順番が入れ替わっても良いそうだ。

諸鈍シバヤ見物

10月23日(旧暦9月9日)に諸鈍シバヤを見てきました。

今回は、商工会が主催する「あっぽでぃ」のツアーに乗っかっての見物です。

大屯(オオチョン)神社の境内で、土俵を挟んで正面から間近に見ることができました。

これまで、遠く人ごみの隙間から見たり、境内脇の木の上から見たりできちんと声を聞き取ることができませんでしたが、今回は、サンバトの演目の紹介をきちんと聞くことができました。

シバヤを主催する諸鈍集落の相撲などの行事も一緒に行われました。

少年たちの相撲が行われている間に、シバヤ人衆(ニンジョ)の禊(みそぎ)となる「シュンハナツカイ」が行われました。

司会の案内で、現場を見るために集団に付いて海岸に降りていきました。

シバヤ人衆は一度も立ち止まることなく、そのまま波打ち際まで歩いていき、一列に並んだかと思うやおもむろに海水に手を浸して飛沫を頭に振りかけました。

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2、3度そうした後、また元の道を引き返して神社に戻っていきました。

海に向かって何か祝詞のようなものが唱えられたり、号令がかけられたり、柏手が打たれたり・・・とか、そういったものは一切なく、しごくあっさりと終了しました。

勝手に何か儀式めいたものをイメージしていたので、ちょっと拍子抜けしました。

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これからいよいよ国指定重要無形民族文化財「諸鈍シバヤ」の始まりです。

2011年8月21日 (日)

「ケンムンふぇすた」

町の夏祭り「みなと祭り」2日目の今日、伝統の舟こぎ大会がある。

いつもなら参加するのだけれど、今年は、ちょっと・・・。

笠利の奄美パークで「第1回ケンムンふぇすた」が開催されるのだ。展示イラストの当事者としてどうしてもそこに行きたい。

今日は、ご当地奄美市笠利の夏祭りもあるので、人が集まるかどうか心配だったが、会場には大勢の人が詰めかけていた。

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「ケンムン」は、奄美大島と徳之島に棲んでいる妖怪だ。喜界島には「ガーロー」が沖永良部には「ヒーヌムン」が、与論島には「イシャトウ」がいる。

妖怪はそれだけではない。森が深く、自然が豊かな奄美には、他にも様々な妖怪が棲んでいた。かっては・・・。

開発が進み、町が明るくなって、妖怪も棲みづらくなったようだ。最近では遭遇する人はめったにいないようだ。

妖怪の出現は自然環境の状態と深いかかわりがあるのかもしれない。

いったいケンムンは、どんな姿をしているのだろう?・・・ということで、ふぇすたでは、ケンムンのイラストを公募していた。全国から355点の応募があったとのこと。

そのすべてが会場に張り出されていた。

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ちなみに僕は、高校・一般部門でかろうじて入賞できた。

情報誌Horizonで描いたイラスト原画を会場に展示している立場としては、落選しては恰好が悪い。部門の最優秀は、石崎さんという絵の上手な方だった。

色々なケンムンがいて、発想や絵の上手さに感心することしきりだ。

オープニングで入賞者の表彰式があった。

実は、最初は人前に出ることが嫌だったので、一般客として黙って見ているつもりだったが・・・。

奄美パークの園長、宮崎緑さんが直々に表彰してくれることが分かり、気が変わった。

宮崎緑さんは、ニュースセンター9時のキャスターを務めていたときからのファンなのだ。

名前を呼ばれて、壇上に上がり、賞状と記念品(タンカンリキュール)を受け取った。間近で宮崎さんの微笑みを見ることができてハッピーだった。

会場の入り口には、僕のイラストがまとめて展示された。

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他にも色々な催しがあった。

この日初披露されたケンムンソング「kingmoon」は、ノリが良くていい感じだった。

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実際にケンムンやイシャトゥなどの妖怪に遭遇した人たちによる証言は、なかなか興味深い話だった。

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会場の一角では、近大の学生がTシャツを販売したり、ばしゃ山村の人がケンムンの人形作りの実演をしながら販売していた。

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土人形がかわいいので欲しかったが、女房に「何に使うの?」と止められた。

今度一人で買いに行こうっと。

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イベントのフィナーレは、イラストの大賞と最優秀賞をとった人たちの絵をバスにラッピング。

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ケンムンづくしの一日だった。

帰りは偶然にケンムンバスのすぐ後ろについた。

このケンムンたちは、今年いっぱい街を走るらしい。

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2011年3月 2日 (水)

請島の大山に登った

2月27日標高398メートル、奄美大島では4番目に高い大山(ミヨチョン岳)に登った。

奄美の各地で催された「シマ博覧会」のプログラムに参加してのことだ。

この山の頂上は、地元の人には知られていたが、一般の観光客が登るようになったのはごく最近とのこと。今は登山ルートもできている。

請島に渡るためには外海に出ないといけない。その日は時化ており、大きなうねりに船酔いする人が続出した。僕は、元々乗り物に弱いので、最初から用心して酔い止めの薬を飲み、船室で横になっていたので何とか無事だった。

池地(いけじ)の公民館でしばらく休んでから、入山にあたっての注意事項などの説明を受けた。

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数台の車に分乗して、登山 口まで移動した。車は坂道をどんどん登っていった。このまま頂上付近まで車で行くのかな?

と、思っていたら、中腹あたりで降ろされた。

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区長さんの奥さんが用意した塩をなめて、いざ入山。手つかずの自然が残っている林の中の草を踏みしめながら、ひたすら坂道を登り続けた。

そろそろ暖かくなってきたので、ハブが活動を始めるのではないかと少々ビビりながらも、珍しい植物群に夢中でカメラを向けていた。

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途中途中で案内役を勤めてくれた池地(いけじ)の区長さんが、この先は集団自決を行おうとした場所、ここは戦闘機が墜落した場所と歴史の片りんを語ってくれた。

約30分ほど歩いて頂上に着いた。大きな一枚岩を登ると、

「うわーすごい、すごい」と思わず声をあげたほど、眼下にほぼ360度の絶景が現れた。

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岩の端ににじり寄って、下を見る。ぐーっと吸い込まれそうな感覚だ。

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今日の天気は予報では雨。濡れることを覚悟できたが、いかなる幸運か、雨は少しも降らず、お日様さえ顔をのぞかせた。

岩の上の思い思いの場所で弁当を広げて食べた。こんな景色を見ながらご飯を食べることってこれから先にあるだろうか? そんなことを思いながら、しばし充実感に浸った。

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度胸のある人たちが岩の端に寄って記念撮影をしている。見ていて手に汗が出る。

僕は高いところは割と平気な方だが、さすがにこの岩の縁近くに立つ気にはなれない。

1時間以上岩の上で過ごしてから、元の道をたどって下山した。

登山口から道路に降りると、区長さんの奥さんがグァバでつくったゼリーを手渡してくれた。山の頂上に登った達成感とともに甘いゼリーをほお張った。う~ん満足。

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で、帰りも時化。

来たときと同じように、1階の船室でひらすら寝る。

古仁屋の港に着いたときには、興奮と山登りの疲れとローリングする船のせいで、疲労感が全身を襲い、目を開けていられない状態だった。

家にたどりついて、ホットカーペットの上にどっと倒れこむと、そのまま眠ってしまった。

岩から落ちる夢を見た。

2011年1月10日 (月)

成人式

1月4日に瀬戸内町の成人式が行われた。

僕の娘もいつの間にか20歳。この日のために準備しておいた晴れ着を着てやや緊張の面持ちで出席した。

女の子は全員晴れ着を着ていてとても華やかだ。公民館の2階からその艶やかな後ろ姿に目を奪われた。

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男性はどうしても地味になる・・・2名がピンクの羽織で頑張っていた。

ニュースを見ると荒れた成人式があったりするが、瀬戸内町の成人式は誰ひとり声を荒げることもなく粛々と行われた。

ここだけ妙に頑張って武勇伝つくってもね・・・この後ずっと大人が続くから。

島の子はいいな。

素直さや真面目さってやっぱり大事だと思う。 みんながんばれ!

2010年9月23日 (木)

集落の豊年祭

9月18日に集落の豊年祭・敬老会が開催された。

毎年開かれる集落にとって最大のイベント。相撲があり、踊りや唄があり、余興があり・・・酒を飲む。これが各集落ごとに行われるのだからそのパワーというかエネルギーに感心する。

もっとも最近はどこも高齢化と過疎化が進んで、集落によってはただ人が集まって酒を酌み交わすだけというところもあるようだ。

今年僕はビデオ撮影を任された。自分のビデオカメラもあるが、区長の持つDVDに直接書き込む式のカメラが珍しくてそれを使うことにした。

バッテリーはフル充電してあり2時間以上使えそうだったので何とかなるかと思っていたのだが、実際に撮影を始めると経過時間以上に電池が消耗していった。

電池の残量を気にしながら、なんとかして最後までもたせなくてはとスイッチをこまめに切って冷や汗をかきながらビデオを撮った。エンプティの車で走っているような心境だった。

途中の相撲をすっぽり落としてなんとか撮り終えた。最後の万歳三唱のシーンはいったん電池切れになったものをふたたび起こして(カメラの)死力を振り絞って撮った。

これまでこんなに必死にビデオを撮ったことはなかった。ただ、ずっと電池の残量ばかり気にしていたので、どんな映像を撮ったかあまり記憶にないのだ。

2010年6月27日 (日)

ギタリスト・アントワンのコンサートに行った

ユーチューブで一番見られているギタリストと言われるカナダ出身のアントワン・デュフォールのコンサートが奄美大島・名瀬であった。

初来日して全国8か所でコンサートを行い奄美が最後の会場になった。一緒に演奏している深佐太郎さんのお母さんとうちの女房が友達付き合いをさせてもらっている関係で見る(聴く)機会を得た。

最初に演奏した深佐さんとアントワンさんの風貌が良く似ていたので、登場したときに会場から笑い声が聞こえた。「着替えた?」みたいな感じ。

フィンガーテクニックを駆使して一本のギターで様々な音を作り出す。ソロで演奏しているのだが、目を閉じて聴くとあたかも複数の演奏者がいるような錯覚を起こす。

出口付近でCDを売っていたがお金がないのであきらめた。いつか買うかも。

帰りの車の中で「あれだけすごい演奏ができるのに深佐はアマチュアで前澤はセミプロ(?)で、アントワンだって売れっ子というわけではなさそうだし・・・」 独立して腕一本で食べていくというのは本当に大変なことなんだなぁとため息が出た。

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