「城大師」とは何者ぞ?
「城大師堂 500m先」
住用町城(ぐすく)の国道脇に立つこの看板がずっと気になっていた。
正体は謎だが、城大師なるものがこの奥で祀られていることは想像がつく。
そのうち確かめてみようと思いながら、なかなか”そのうち”が掴めずにいた。
山に伸びる見通しの悪い道に何となく不安感があったのだ。
昨日の午後そこを通ったとき、ようやく決心して看板の道へハンドルを切った。
狭くガードレールもない道ではあったが、ちゃんと舗装されていて人の気配も感じられた。
途中で道が二又に別れていて、社があるなら山上だろうと左の山側を選択した。
はたしてやがてそこに赤い鳥居が見えた。
鳥居の上には「弘法大師堂」と書かれている。
弘法大師って、あの弘法大師?「弘法にも筆の誤り」のあの・・・?
意外な感じがしたが、脇の看板にちゃんと「弘法大師」との説明書きがされている。
それによると、弘法大師とされる坐像が戦前から伝わっており、それを平成22年に集落で祠に祀ったという次第。
どうして弘法大師の坐像が伝承されてきたのか、その所以は明かにされていなかった。
鳥居をくぐって細い階段を上っていくとさらにまた赤い鳥居が立っていて、そのすぐ先にこじんまりとした赤いトタン張りの祠があった。
祀られている坐像を拝見したかったのだが、扉が閉められていて角材の閂がかかっていた。
扉には2つの覗き窓が設けられているが、劣化なのかいずれも曇っていてはっきりと中を見ることはできない。
閂は簡単に持ち上げられそうであったが、さすがにそこまでする気持ちにはなれなかった。
扉を閉じて祀られているものを興味本位で暴くような真似はしたくない。
なので、「城大師」の坐像がどんなものであるかを知ることはできなかった。
ただ、ずっと気にかかっていた謎をひとつ解けて満足した。
これでわだかまりなく城の道を通過できるはず。
そういえば、「奄美大島の口承説話(田畑千秋著)」にも弘法大師の話がいくつも出てくるが、どうして奄美にそんな話が伝わっているのだろう?
新たな謎だ。
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