指の傷あと
最近マニキュアに目覚めた女房が「見て見て」とピンクに染めた指を突き出した。
長い間看護師として働いてきたのでこれまで爪を染めることはなかった。
試しにやってみたら殊の外楽しかったようだ。
ちらと指を眺めて「ああ、良いんじゃない」と気のない返事をしながら視線をテレビに戻そうとして、女房の指に白い筋があるのに気がついた。
左手の人差指に稲妻のような傷痕がある。
くっきりとしたその傷に今まで気づかなかったのが不思議なくらいだ。
どうしたのか聞くと、中学生の頃に庭の灌木を切っていたときに誤って鎌で切ったのだという。
かなりの出血があったようだ。
集落には元軍医で医療に詳しい人がいて、早速診てもらった。
すると傷が深いので、町の病院でちゃんと縫合した方がいいと勧められたという。
「病院・・・お金がかかる」指の怪我よりもそっちの方が心配だったらしい。
「こうしてずっと押さえていれば治るんじゃない?」そう聞き返すと、傷口はふさがるが痕がきたなくなると言われた。
治ればいい・・・そう思って病院には行かなかった。
父親が大病を患って入退院を繰り返しており、苦しい家計をおもんばかっての選択だった。
彼女の母親は、指の傷をなでては「女の子なのに可哀そうに」と泣いたという。
僕にも同じような体験がある。
19歳のときにアルバイト先で親指の付け根を切る怪我をしたのだ。
全国に本を発送する仕事で、そのときは、伝票を見て該当する本をコンベアに乗せていく作業をしていた。
宛名ごと本の束にビニールが巻きつけられるのだが、機械の手前ではらりと伝票が滑り落ちた。
咄嗟に落ちた伝票を拾って本の上に戻したが、手が残ったまま機械で一瞬のうちにビニールが巻かれてしまった。
そしてビニールを切断する刃がゆっくりと僕の右手に降りてきたのだ。
軍手ごとざっくりと割れて血がどくどく出てきたのを覚えている。
事務所で止血用にタオルをあてがわれ、直ぐに病院に行くように勧められた。
「大丈夫です」と、血に染まったタオルを抱き込むようにして一人で電車に乗り、そのままアパートに戻ってじっとうずくまって過ごした。
病院へ行くお金がなかったのだ。
今なら「これって労災だよね」と対処できるのだが、その頃の僕にそんな知識はなかった。
しばらくは痺れて感覚がなかったのだが、数日したら元通り親指が動かせるようになった。
もし、あのとき親指の神経を失っていたら、僕はイラストを描くことはできなかった。
運が良かった。
今その傷痕は小さく目立たなくなってきているが、触れるたびに19歳の無知で無鉄砲な危うい自分を懐かしく思い出す。(今は少し知恵がついてきた分臆病になっている。)
女房の指の傷の話で、自分も右手の傷と東京で暮していた頃を思い出した。
あれから30年以上経った今、ふりだしに戻って同じ夢を追っかけていることに気づいた。
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