ティーヤ(通夜)の準備
9月29日の朝、集落の伝統行事である「ティーヤ(通夜)」の準備をした。
「通夜」と書くとなんとなくしんみりとした雰囲気があるがこの場合は違う。
神社の境内で陽気に飲み明かす・・・らしい。
旧暦9月6日から7日にかけて夜通し行うので「通夜」という呼び名になったとか。
集落のはずれにある厳島神社に集まり、男衆は、周辺の草木を薙ぎ、境内に(人の踏んでいない)海砂をまいて清め、鳥居に紙垂をかけ、女衆(ほとんどは集会場で供え物の準備、神社に来たのは2名)が拝殿の拭き掃除をした。
「厳島神社」とは広島にある有名な神社のことだが、平家の落人伝承にかかわりがあるらしく、加計呂麻島に落ち延びた平資盛が見晴らしの良い場所を求めて分霊(わけみたま)をここに祀ったと伝わっている。
かっては小高い山にあり、そこに至る道は険しいものだったようだ。
道路が整備されてそれまで海岸線に沿って低い地にあった細い砂利道が山の中腹を走るりっぱな舗装道路に変わり、境内に上がる道も清水から嘉鉄方面に向かう県道沿いに変更された。
ゆるやかな傾斜となりお年寄りでも楽に上れるようになった。
かっての境内に続く道は、「神道(かみみち)」として今も残っている。
石灯篭と拝殿の間から海に向かってまっすぐ伸びる道がそうだ。
人は新しい道を通って神社にお参りするが、神様は変わりなく海からこの道を通って上ってこられるので、神道(かみみち)は今でもきれいにしておかなければならない。
雑草はきれいに刈られてゴミひとつ落ちていない。
前日に集落の有志が手入れをしてくれたようだ。
(ガードレール越しに上から見たところ。実際は写真で見るよりもきつい傾斜になっている)
県道が通る前の道は、階段が始まる手前の段差があるところで、道幅は1メートルほどしかなく、うっそうとして気味が悪いところだったようだ。
そこを通って隣の嘉鉄集落と往来した。
その当時の神社は見上げる先の方にあったという。
準備作業が終わると集落の中央にある集会場へ行き、おにぎりとうどんをごちそうになった。
労働の後みんなで食べるうどんは格別だ。
その夜ティーヤが行われたが、僕は仕事があったので行かなかった。
行けばきっと飲まなければならないだろうし・・・。
それでも、翌朝お隣さんが「縁起ものだから」と神社にお供えしたものを届けてくれた。
お清めの塩と米にだんごとミキ(米と砂糖でつくる奄美の飲み物)。
伝統行事を守り支えていくって手間暇かかることだからそれなりのエネルギーが要る。
島の人はえらいなぁ。
僕も島人のひとりだけど、恥ずかしいくらいエネルギーがない。
とりあえずなんとか後ろをついていきたいとは思っている。
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