「つながり」に感謝
思っていたよりもだいぶ早く母が逝ってしまった。
医者からもう助からないと宣告を受けてからわずか一月ほどしか経っていなかった。
父亡き後も住みなれた家がいいと一人暮らしを続けていたが、一昨年前から食事を作れなくなり、去年の秋頃からは目立って足腰が弱ってきたので半ば強引に家に連れてきた。
わずか2ヶ月ほどの同居生活だったが、子どもの頃と同じように四六時中一緒に居れたことが母を失った今せめてもの慰めになっている。
最後の最後まで穏やかな母のままで静かに息を引き取った。
不思議な偶然が重なって僕と女房の他に弟も母の最期を看取ることができた。
弟の嫁も東京に戻るつもりの空港で知らせを受けてトンボ帰りした。
19日に帰る予定だった妹が母の最期に立ち会えなかったことが残念だった。
6年前に父を亡くしたときはまだ冷静でいられたのだが母の場合は違った。
動揺していないつもりだったが何だか不安定な状態が続いた。
普通にしている日常の中でふいに哀しみが湧いてきてなかなか平常心に戻れない。
その間も冗談言ったり笑ったりしているくせに、ご飯食べたりトイレに行ったり全く普段通りの事をしているのに。
仕事で新聞の風刺マンガをひとつ描いたが、なかなか集中できずに長い時間をかけてやっと描き上げた。
初七日が過ぎて2日後に祭壇を片付け位牌を仏壇に移してからようやく気持ちに余裕が持てるようになった。
仏壇に線香をあげていたのと同じような日常に落とし込むことができたのかもしれない。
あるいは、日数が経って哀しみが薄れてきたせいかもしれない。
母が亡くなってから改めて人と人とのつながりを実感した。
葬儀のときに自分の時間を割いて当然の事のように裏方を務めてくれた同窓生たち。
かけつけてくれた親族。
デイケアで母が世話になった施設の人。
母の郷里や僕の住む集落の人。
遠く龍郷や名瀬からかけつけてくれた友人たち。
予想もしないたくさんの供花や弔電、そしてたくさんの方に焼香していただいた。
ありがたくてとても心強かった。
この人たち一人ひとりの似顔絵を描いて感謝の意を伝えたい
そのときは本気でそう思った。
でも、現実的には無理だから、これから先少しずつ、少しでも返せるように心がけようと思う。
前に進んでいかなくては。
納骨のときに母の骨つぼと父の骨つぼが離れて置かれたことに弟が気づき、家に戻ってから「寂しいだろうから父ちゃんと母ちゃんの壺とくっつけてあげればよかったのに」と言われた。
弟の言う通りだと思い、数日後に墓を開けて壺の並びを変えて二人の骨壺をひっつけた。
そのときに墓中に頭を突っ込みながら「僕もここに入るのか」、「壺はどこに置かれるだろうか?」と思った。
そのときまでつながって支え合って生きていくことにしよう。
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