西郷隆盛が奄美へ島流しされた際の”島とぅじ(島妻)”として知られる「愛加那(あいかな)」。
その愛加那が住んだ家とは、つまり、龍郷町の「西郷南洲謫居跡」ということになる。
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歴史に名を馳せた西郷隆盛のことは誰でも知っている。
その西郷が奄美大島で暮した謫居跡としての価値はもちろんだが、
二人の子どもと引き離されて一人ひっそりと生きた愛加那の姿を偲びたい。
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愛加那は1837年(天保8年)に生まれた。
大阪で大塩平八郎の乱があった年だ。
22歳で西郷の妻となり、菊次郎と菊草の一男一女を授かったが
3年後に西郷が薩摩に戻りやがて子らも西郷に引き取られた。
菊次郎が2歳のときに母子が引き離されているから
1863年から1902年までの約40年を孤独の中に身を置いていたことになる。
その間愛加那はこの家で何を思っていたのか?
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縁側を支える柱だけはまだ当時のものが残っているそうだ。
ここから月をながめ子らへ思いを馳せる愛加那の姿を想像する。
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当時の面影を残す貴重な家でも特に補助金がもらえるわけではないので
維持費はすべて個人の持ち出しとのことだった。
愛加那と血の繋がる龍家の子孫の龍さんが管理している。
維持費の足しになればと一人200円の拝観料をもらっている。
「どうにもならなくなったら閉めようかと思っています」とも。
愛加那は気丈で働き者であったとのこと。
若いときから芭蕉布を織り、村の女性たちにも教えていたという。
夏の大雨の日に畑仕事に出てそこで倒れ66年の生涯の幕を閉じた。